融通念仏宗(ゆうづうねんぶつしゅう)とは、平安時代末期の天台宗の僧侶である聖応大師良忍によって開かれた融通念仏(大念仏)に基づく浄土系の宗派。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。
総本山
大念仏寺(
大阪市平野区)
平安時代にこの地域を開発したといわれる開発領主で
坂上田村麻呂の次男である「平野殿」こと
坂上広野の私邸内に建てられた修楽寺が前身と伝わる。日本最初の念仏道場である。
教義
華厳経・
法華経を
正依とし、
無量寿経・
観無量寿経・
阿弥陀経を
傍依として、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という立場から、口称の念仏で浄土に生まれると説く。
歴史
良忍が始めた融通念仏は当初は
勧進行脚が主で、仏教宗派としての組織を持たず集団運動の中から発展したものであった。
大阪の
平野の大念仏寺をはじめ、
京都の
清凉寺や
壬生寺などで融通念仏が盛んになり、壬生寺や清凉寺、
千本閻魔堂、
神泉苑には融通念仏の中興者である
円覚上人による
大念仏狂言が伝えられている。
戦国時代の頃から宗派としての色合いを帯びはじめたが、大念仏寺の法統が何度も絶え、融通念仏の寺も他宗派の寺院となり勢いは振るわなかった。元禄年間(1688~1703)に、融通念仏再興の祖とされる大念仏寺第46世の融観が融通念仏の復興に努め、「融通円門章」等により教義を明文化し、一宗としての制規を定め、学寮も設けるなかで融通念仏宗として整備されていった。「融通円門章」は漢文体で難解なため、その弊を補うために和文形式で書かれた「融通念仏信解章」も広く普及した。
特徴
融通念仏の最大の特徴は、
観想念仏から
称名念仏の重要視に変えた事であり、融通念仏宗では、毎朝西方に向かって良忍の説いた十界一念・自他融通の浄土往生を期する念仏(融通念仏)を十唱することなどを日課とする。
専修念仏の先駆であり、より純粋な天台系の浄土教仏教を伝えており、その後の浄土宗や浄土真宗の先行的形態と内容を持つともいえる。
関連
浄土系仏教 | 伝統宗派