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対馬(つしま)は、日本九州の北方玄界灘にある長崎県に属するである。長崎県では最大の島であり、全国においても、本州北海道四国九州の主要4島を除いて、第6位である。対馬の大半を占める主島の対馬島(つしまじま)のほか、その周囲には百以上の属島が存在する。一般的にはこの対馬島と属島をまとめて対馬と呼ばれることが多い。古くは対馬国(つしまのくに)や対州(たいしゅう)、また日本書紀において対馬島(ただし、三文字引き合わせて「つしま」と読むのが書紀古訓における伝統的な読み方である)と記述されていた。

位置的に朝鮮半島に近いため、古くから大陸と日本とを繋ぐ、文化や経済の窓口の役割を果たしてきた。

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地理


対馬島は、九州本土より玄界灘対馬海峡の東水道をはさんで約132km、朝鮮半島へは対馬海峡の西水道をはさんで約49.5kmである。南北に82km、東西に18km、面積は約700km2

南北に細長く延びる形をした主島 対馬島と、百を超える小島から形成されている。主島の面積は696.29km2であり、すべての島を合わせた面積は、708.61km2である。有人島は、主島・泊島・赤島・沖ノ島・島山島・海栗島の6島である。

主島の中央部には浅茅湾(あそうわん)が位置する。主島はかつて一つの島だったが、1672年大船越瀬戸が、1900年万関瀬戸がいずれも人工的に建設され、細長い主島を南北に3つに分離している。過去には南部を上島、北部を下島と呼んだこともあったようだが、現在は、万関瀬戸より北部を上島(かみじま)、南部を下島(しもじま)と呼ぶ。主島は山がちで険しく、耕作に適した平地は少ない。また、陸上交通も不便である。対馬島のこのような地形は、人々の生活や歴史に大きな影響を与えてきた。

全体に山がちではあるが、下島の方に標高の高い山が多い。下島の内山盆地の北には島最高峰の標高648.5mの矢立山(やたてやま)、内山盆地の南部に標高558.5mの龍良山(たてらやま)、中央部に標高558.2mの有明山、標高515.3mの白嶽(しらたけ)、上島北部には標高457.8mの御嶽(みたけ)が位置する。

対馬島の外周は上島の東海岸の一部と下島の西海岸の一部を除くほぼ全域がリアス式海岸で囲まれ、その総延長は915kmに及ぶ。海岸には断崖絶壁もまま見られ100mに及ぶものもある。特に浅茅湾はリアス式海岸で有名であり、天然の良港となっている。また、風光明媚なため、重要な観光地となっている。

自然環境


気候

対馬の周りには暖流である対馬海流が流れているため、その影響で比較的平年を通して暖かく、雨が多いという典型的な海洋性の気候を有している。

は日本の西のアジア大陸から吹いてくる季節風が原因で、ゴビ砂漠などの黄砂の影響を多大に受ける。は30℃を超える日は滅多になく、比較的涼しく過ごしやすい。は比較的雨が少なく、は大陸から吹く季節風の影響で寒さが厳しくなる。

植生

島の面積の89%が山林を占めており、島の原始林や杉・大ソテツなどが国や県によって天然記念物に指定されるほど自然が豊かである。また、植物は大陸から渡ってきた植物、対馬のみ生息する植物、日本本土に生息する植物と多種多様に存在し、対馬島の自然の豊かさを演出している。

自然公園等

対馬島は、壱岐島とともに壱岐対馬国定公園に指定されている。

龍良山原始林、洲藻白岳原始林、御岳鳥類繁殖地、鰐浦ヒトツバタゴ自生地は、国指定天然記念物である。

主な対馬固有の動植物

主な日本では対馬だけに生息する大陸系動植物

ツシマヤマネコ

ツシマヤマネコとは、対馬島にのみ生息するベンガルヤマネコの亜種と言われる野生のの一種である。近年は交通事故等の原因により頭数が激減していたため、その保護活動が盛んである。環境省によると、西表島イリオモテヤマネコよりも絶滅のおそれが高いと位置づけている。1949年には非狩猟鳥獣指定、1966年に長崎県指定天然記念物、1971年に国指定天然記念物に指定されている。

2000年現在、下島ではその生息が確認されていない。

環境問題

対馬島の沿岸には、対馬海流によって外国から運ばれたゴミが漂着し、大きな問題となっている。中国や台湾からのものもあるが、その大半は韓国のゴミである。漂着ゴミは、プラスチック製の各種容器・生活廃棄物・漁具類が多いが、テレビや冷蔵庫等の大型ゴミもある。

また、2000年以降は毎年、韓国の養殖業で使用されたと見られる薬品用ポリタンクが大量に漂着している。これらのポリタンクには、塩酸過酸化水素等がハングルで表記されていた。また、実際に薬品が残っていた例もあった。

歴史


対馬島は古くから大陸との交流があり、魏志倭人伝にも「対馬国」として記述が見られる。建国神話である『古事記』では、最初に生まれた島々の1つとして「津島」と記されている。また『日本書紀』には「対馬洲」「対馬島」と記されている(国生み)。歴史的に朝鮮半島に近い地理的関係から両国の中継地として日本と大陸との接点となった。663年の白村江の戦い以後は、倭国金田城を築いて防人を配置し国境要塞となる。このため国府や、多くの神社などがおかれていた。

平安時代には女真族の侵攻である刀伊の入寇を受け、一時新羅の侵攻も受ける。鎌倉時代には、2度に渡る元寇を受け、史書には多くの住人が虐殺されたと記されている。一方で倭寇の根拠地の一つであり、李氏朝鮮の倭寇征伐を大義名分とした応永の外寇では尾崎浦を焼かれ、朝鮮軍と対馬宗氏の軍が戦っている。応永の外寇後、宗氏は朝鮮の官職を受け、歳賜米200石を支給されて、朝鮮に来航する日本船に文引(許可証)を発行する役割を与えられた。

豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では中継基地として利用され、宗氏も出兵した。

江戸時代には引き続き宗氏が対馬府中藩をおこして支配し、鎖国体制の中、朝鮮通信使を迎える等の、日朝外交の仲介者としての役割を果たした。また、日朝の中央権力から釜山倭館貿易を許されていた。

江戸時代後期の1861年にはロシアの軍艦が浅矛湾に投錨し、対抗したイギリス軍艦も測量を名目に同じく吹崎沖に停泊して一時占拠する事件が起こり、5月には外国奉行小栗忠順が派遣され、7月にイギリス公使オールコックがロシア軍艦を退去させた(対馬事件)。

1871年、廃藩置県により厳原県となり、その後一時伊万里県へ編入された後すぐに長崎県へ編入された。

14世紀後半から江戸時代にかけて、対馬の宗氏は一貫して日本の中央権力に忠誠を誓ってきたが、朝鮮から官職を与えられ、特殊な役割を果たして来たことも事実である。ある日本史研究者はこれを対馬の境界性と表現している。

対馬要塞

近代にはロシア、イギリスによる対馬への接近に脅威を感じた日本政府、軍は国境最前線である対馬島の要塞化を図った。豊、竜ノ崎、竹崎、海栗島などに砲台が築かれ、昭和前期には対馬海峡全体を防衛できるほど整備された。特に豊砲台には、軍縮条約により巡洋戦艦から航空母艦へ転用された「赤城」の40cm連装砲塔が、竜ノ崎砲台には、戦艦「摂津」の30cm連装砲塔が設置された。豊砲台の跡地は今日でも見学することができる。

行政区画の変遷

1889年の市町村制度施行の際には上県郡に5村、下県郡に9村が発足した。その後合併や町制施行などを経て上県郡(峰町、上県町、上対馬町)と下県郡(厳原町、美津島町、豊玉町)の26町体制となっていたが、2004年3月1日に対馬のすべての町が合併して市制施行し、対馬市の1市体制となった。

詳細については、対馬市#歴史を参照のこと。

韓国人の領有権主張


第二次世界大戦後日本を占領した連合軍総司令部 (GHQ) に対し、韓国李承晩政権は竹島だけでなく対馬についても日本からの割譲を要求したが、GHQから「根拠がない」として一蹴された。現在でも一部の韓国人が領有権を主張しているが、韓国政府は対馬領有を主張しているわけではない。

2005年3月18日慶尚南道馬山市(マサン)市議会は島根県議会の「竹島の日」に対抗して「對馬島の日」(대마도의 날)条例を制定した。韓国政府は馬山市に条例の撤回を要請している。

李氏朝鮮領議政(宰相)申叔舟が1471年に編纂した『海東諸国紀』は日本国対馬島の図を掲載し、本文では対馬島を日本国西海道に属すとして島内の事情を詳述している。ただ、16世紀に刊行された朝鮮の地理書『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」には対馬島を朝鮮の領土であるかのように描かれていたため、この地理書が刊行されて以後、朝鮮半島の地図では対馬が日本国の領土でないと描くことが多くなった。そして、驚くべきことに江戸時代の日本でも刊行された朝鮮半島の地図までが対馬島を朝鮮領であるかのように描いていたこともあった。

日韓交流


対馬は1990年代頃から、日韓交流の拠点となるべくイベント等さまざまな活動を行っており、中でも対馬アリラン祭が有名。他にも国境マラソンin対馬対馬ちんぐ音楽祭などがある。さらに島内の殆どの道路標識に朝鮮語を併記するなど観光客の誘致に力を入れている。また、対馬島内の複数の中学校が韓国内の中学校と姉妹校縁組を締結しておりホームステイなどの交流をおこなっている。対馬市は釜山広域市の影島区と姉妹都市提携を結んでおり、釜山市内に市の事務所を構えている。

交通


島内の道路は、比田勝(上島北東岸)~上島の西部~下島の北部東岸~厳原(下島東岸中部)に至る国道382号と、厳原から下島を時計回りにほぼ一周して鷄知(下島東岸中部)に至る長崎県道24号厳原豆酘美津島線、上島東岸沿いを走る長崎県道39号豊玉上対馬線が主である。主要地方道はこの2路線の他に4路線、一般県道は9路線がある。公共交通機関はバス対馬交通)、タクシーのみ。

島外への交通手段は以下の通り。

参考文献


  • 講談社『日本の歴史ー14、周縁から見た中世日本』第3部「海域世界の交流と境界人」第1章「境界としての対馬島と喜界ヶ島」(高橋公明、2001年)

関連項目


外部リンク


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