鬱陵島(ウルルンド、ウルルンとう)は、朝鮮半島から約130km沖合い、大韓民国慶尚北道浦項市から約270kmにある島。日本ではかつてラジオ放送などの気象通報などにおいて日本語読みでうつりょうとうと読まれていたため、この読みに親しんでいる人が多い。この島の最高峰は聖人峯(ソンインボン、성인봉)で標高984m。
13-16世紀、「倭寇」と呼ばれる海賊が朝鮮や中国を荒らしまわって大きな被害をもたらしたため、この対策として、1403年、李氏朝鮮の太宗は同島の居住者に対し、本土への移住を命じた。いわゆる「空島政策」の発令である。
江戸時代には幕府の許可を得た隠岐の漁師などが、空島となった鬱陵島へ行き海産物や竹などを採取していたが、同じく朝鮮本土より漁労に来ていた朝鮮人を見つけ日本へ連行、幕府が李氏朝鮮へ抗議する。自国領だとする朝鮮がこれに反発。日朝間で長期間論争が続いたが、徳川5代将軍綱吉の時17世紀末の協約で日本から渡航させない旨を李氏朝鮮に伝え、日本の漁師達が幕府の許可得て渡航することはなくなった。(竹島一件)
1745年(英祖21年)に成稿した李孟休の『春官志』には、「蓋しこの島、その竹を産するを以ての故に竹島と謂い。三峯ありてか三峯島と謂う。于山、羽陵、蔚陵、武陵、磯竹島に至りては、皆、音号転訛して然るなり」とあり、古くは竹島・三峯島・于山・羽陵・蔚陵・武陵・磯竹島などとも呼ばれ、竹を産していたことが分かる。
李氏朝鮮は無人政策をとっていたため、ほとんど人は住んでいなかったが、1876年の開国後に人が住み始め、現在は観光と漁業の街になっている。
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