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高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本における高等学校中等教育学校の後期課程の生徒高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球大会のことをいう。主催者は日本高等学校野球連盟(高野連)と、選抜高等学校野球大会には毎日新聞社が、全国高等学校野球選手権大会には朝日新聞社がそれぞれ行っている。戦後の学制改革を経て継続しているため、旧学制による中等学校野球も一般的にはこれに含まれる。(同様に旧学制による高等学校野球とは異なる。)

概要


その名のとおり高校生が高校の野球部で行う野球のこと。阪神甲子園球場にて行われる二つの全国的な大会が日本で人気を博している。

一般に高校野球の全国大会を甲子園大会と呼び、次の二つの大会の一方もしくは両方をさす。

通常、新入学生(1年生)の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新年度の2年生、3年生の選手のみ)ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。

またこれとは別に毎年11月に明治神宮野球場で行われる明治神宮野球大会でも高校の部が開催されており、2002年度の大会以降の優勝チームの所属地区には翌年春の選抜大会の出場枠1チーム分が約束されることになった。

また、軟球を用いる軟式野球全国高等学校軟式野球選手権大会(8月、兵庫県明石市高砂市)や、国民体育大会(毎年10月か11月。但し硬式、軟式とも高校生の大会は公開種目扱い=正式な天皇杯得点に加算しないエキシビジョン)が行われる。

2004年11月、高野連は近年流行しているヘアカラーの使用や眉毛の剃りこみを禁止するように通達を行った。

甲子園練習

春と夏の全国大会の開幕の前に、出場が決まった全代表チームの阪神甲子園球場での事前練習(通称:甲子園練習)が行われる。これは大会までに甲子園のグラウンドの雰囲気を事前に確かめるという目的があり、大会開幕の概ね1週間前から順次行われる。1チームの割り当ては概ね30分程度。なお、夏の大会に関してはプロ野球阪神タイガースの公式戦との日程調整の関係で午前中だけの開催となる場合がある。

また、大会期間中は甲子園球場のある西宮市とその周辺の自治体(尼崎市大阪市神戸市など)の公設球場、あるいは企業の野球部グラウンドなどを利用して練習が行われる。

エピソード


外地学校からの参加

戦前は台湾朝鮮関東州といった外地学校が全国大会に参加していた(春は台湾のみの参加)。1921年の夏の第7回大会に釜山商(朝鮮)、大連商(関東州)が外地学校として初出場をした。外地学校が決勝に進出することもあったが、決勝戦で勝利をすることができず、外地学校の優勝校が出ないまま、戦後はこれらの外地学校からの参加がなくなった。

これまでの外地勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1926年夏・第12回大連商(関東州)準優勝1-2静岡中(静岡)
1931年夏・第17回嘉義農林(台湾)準優勝0-4中京商(愛知)

大学野球経験者の出場・19歳の出場

大会初期の頃、大学野球経験者が高校野球全国大会(当時は中学野球)に出場することがあった。
1918年、全国大会に出場した慶応普通部(東京)の山口昇は慶応大の選手として大学野球経験があった。山口は全国大会出場時は中学5年だったが、当時の大学野球の規約では系列校であれば大学生でなくても大学野球に出場できたため、このような現象が起こった。
また、1920年、全国大会に出場した豊国中(福岡)の小方二十世は出場時は19歳であり、法政大の選手として大学野球経験があった。当時の中学野球の規約では選手の年齢制限はなく、在籍生を学校長が代表選手と認めればどんな選手でも出場できたため、このような現象が起こった。
後に選手年齢を18歳未満にする年齢制限などの規約改正を行い、大学野球経験者が出場することはなくなった。

しかし、規約改正以降も年齢制限を超えながら出場特例が認められ、甲子園に出場した選手が何人かいる。1956年の夏大会で甲子園に出場した米子東(鳥取)の長島康夫は外地からの引き揚げのため大会出場時には19歳になっていたが、高野連は事情を考慮して、予選1ヶ月前に特例を設けて長島の出場を許可している。その後、中学卒業後に1年以上何らかの事情で高校に進学できなかった選手に関しては、満19歳以下でも出場資格が得られる規則になっている。1999年の春大会で甲子園に出場した明徳義塾(高知)の森岡エーデル次郎は帰国子女のため大会出場時には19歳になっていたが、特例が認められ出場した。

甲子園6回以上出場

現在、一人の選手が甲子園に出場できるのは最大5回までである。しかし、学制改革前は旧制中学が5年制のため、6回以上甲子園に出場することが可能であり、理論上は一人の選手が9回出場することが可能だった。なお、実際には一人の選手による最多出場回数は8回が最高であった。

戦時下における甲子園開催

1941年の夏の大会から1946年の春の大会まで、戦争の影響で全国野球大会は中止になった。しかし、1942年に「戦意高揚」を目的として、戦時下において文部省主催の夏の全国野球大会が甲子園球場で開催された。前年の23地区から16地区へ変更されたが、地方予選を行った上で全国大会を開催した。全国大会も順調に日程を消化し、優勝校は徳島商(徳島)となった。

この夏の大会は従来の大会を主催していた朝日新聞社から「大会の回数継承」と「優勝旗の使用」を申し入れたが、文部省が却下したため、全国高等学校野球選手権大会には記録されていない。そのため幻の甲子園とも呼ばれる。

軍事色が強い大会であったため、スコアボードには軍事スローガンが掲げられ、ユニフォームのロゴはローマ字から漢字に変更された。また「打者は球をよけてはいけない。球に当たっても死球にならない」という特別ルールが存在した。

甲子園の土

1937年の夏の大会で熊本工(熊本)は順調に勝ち抜いたが、決勝戦で敗れて準優勝に終わった。決勝戦終了後に、熊本工の投手であった川上哲治は甲子園の土をユニフォームのポケットに入れた。それから数年後、1949年の夏の大会で小倉(福岡)が準々決勝で倉敷工(岡山)に負けた後、小倉の投手であった福島一雄が甲子園の土を拾って地元に持ち帰った。これが甲子園の土第一号とされている。 その以降、高校球児たちの憧れである甲子園球場への出場の記念として、戦いに敗れた高校球児が試合後に甲子園の土を拾って持ち帰るようになった。

1958年の夏の大会で、春夏を通じて初めて沖縄(当時はアメリカ統治下)から首里(沖縄)が出場。1回戦で敦賀(福井)に敗戦したが、試合終了後に拾った甲子園の土が当時の琉球政府の検疫の関係で持ち帰ることができず、帰郷後処分された。しかし、それを知った日本航空スチュワーデス有志らが球場周辺にあった海岸の石を拾い首里に寄贈。同校庭に今も甲子園初出場を記念した「友愛の碑」というモニュメントとして飾られている。

地方大会での甲子園球場の使用

兵庫県大会や近畿大会では阪神甲子園球場を使用することがある。つまり、全国大会に出場したことがないにも関わらず、甲子園の土を踏んだ高校球児が存在する。

甲子園球場が完成した1924年から地方大会に使用されており、兵庫県の球児は本大会より一足先に完成されたばかりの甲子園球場の感触を味わっていた。その後も兵庫県内の球場事情や立地が重なり、たびたび甲子園球場が使用されていた。平成になってからは地方大会で使用されることは少なくなったが、現在でも使用されることがある。

勝利校の校歌演奏と校旗掲揚

試合で勝負を決した後、勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が行われている。
これを発案したのは、女子陸上選手である人見絹枝である。人見絹枝は1928年アムステルダムオリンピックの女子800mに出場し、日本女子陸上初となる銀メダルを獲得した。オリンピックでは金メダル選手の国の国歌が流れ、上位3位までの選手の国旗が掲揚される。人見をはこの表彰式を元に発案し、1929年、春の第6回大会から始められた。勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が最初に行われたのは八尾中(大阪)であった。
夏の大会での勝利校の校歌演奏と校旗掲揚は春の大会より28年遅れて、1957年の第39回大会から始められた。
雨天コールドで勝利した場合、雨に濡れた選手や応援団の体調を考慮し、校歌斉唱を省略することがある。例として、最近では1988年夏の滝川二(兵庫)や1993年夏の鹿児島商工(現樟南、鹿児島)がある。

春優勝校と夏優勝校の決戦試合

高校野球の全国大会は春と夏で年2回あるが(国体と明治神宮大会を除く)、両大会の優勝校同士による決戦試合が行われたことがある。
1927年、春優勝校は和歌山中(和歌山)で夏優勝校は高松商(香川)であったが、「真の日本一を決めよう」という声があがり、同年11月6日に大阪の寝屋川球場で両校による決戦試合が行われた。この試合は高松商が勝利した。
また、1956年の第11回秋季国体でも春優勝校の中京商(愛知)、夏優勝校の平安(京都)の直接対決があり、中京商が勝利した。この年の国体は兵庫県での開催だったので、甲子園球場で行われた。

全国大会出場辞退

過去には、全国大会出場を決めた学校に不祥事が発生すると、その学校が出場辞退を強いられることがある。たとえ、不祥事を起こした者が野球部員でなくても、連帯責任として野球部の全国大会出場に影響を及ぼす。日本学生野球憲章の第20条に基づくものであくまで自主的に辞退するものとされているが、実質的には出場権の剥奪である。しかし、最近の高野連は野球部員以外の不祥事には、連帯責任を負わないとしている。
不祥事以外で出場辞退した学校も存在する。1922年夏の新潟商(新潟)の出場辞退は不祥事によるものではなく、主力選手の病気であった。

今までの全国大会出場辞退校(春は推薦辞退を含む)
開催年大会学校辞退理由
1922年夏・第8回新潟商(新潟)主力選手の病気
1935年春・第12回浪華商(大阪)系列校にからむ刑事事件
1939年夏・第25回帝京商(東京)選手の出場資格問題
1939年夏・第25回日大三(東京)選手の出場資格問題
1952年春・第24回門司東(福岡)野球部員の試験免除
1958年春・第30回浪華商(大阪)同校生の恐喝事件
1965年春・第37回高知商(高知)野球部員の暴力事件
1967年春・第39回津山商(岡山)元部員の暴力事件
1971年春・第43回北海(北海道)同校生の暴力事件
1971年春・第43回三田学園(兵庫)同校生の暴力事件
1971年春・第43回市和歌山商(和歌山)同校生の暴力事件
1971年春・第43回南部(和歌山)同校生の暴力事件
1975年春・第45回門司工(福岡)同校生の暴力未遂
1984年春・第56回池田(徳島)野球部員の飲酒運転事故
1984年春・第56回函館大有斗(北海道)マネージャーのひき逃げ事故
1985年春・第57回明徳義塾(高知)野球部長の刑事事件
1987年春・第59回東海大浦安(千葉)野球部員の暴力事件
1989年春・第61回岩倉(東京)野球部指導者の暴力事件
1992年春・第64回上宮(大阪)元監督の同校生への暴力事件
1992年春・第64回神戸弘陵(兵庫)野球部員の喫煙
2000年春・第72回敦賀気比(福井)野球部員の無免許・飲酒運転事故
2005年夏・第87回明徳義塾(高知)野球部員の暴力事件と喫煙
2006年春・第78回駒大苫小牧(北海道)元野球部員の飲酒・喫煙

白河の関・津軽海峡

福島県白河に作られていた関所に由来。春夏の大会で北関東以北の地域から優勝校が出なかったため、高校野球の隠語として使用されていた。しかし、2004年夏の大会で駒大苫小牧(南北海道)が全国制覇を成し遂げ、それまでの最北だった作新学院(栃木)を大きく更新し、優勝旗は一足飛びに津軽海峡を越えてしまった(優勝旗が津軽海峡を越えたその旨を、ナインを乗せた機内で気の利いた機長が「まもなく津軽海峡の上空を通過します。57年ぶりに連覇の偉業を達成された駒大苫小牧高の皆さん、優勝おめでとうございます」と放送した時、乗客はこぞって歓声を上げた)。なお、駒大苫小牧の優勝後、白河市長が苫小牧市長宛てに「駒大苫小牧の優勝おめでとうございます。ただ、白河の関どころか津軽海峡まで飛び越えてしまったことで、白河の関の知名度が下がってしまうのが少し残念ですが・・・・」という趣旨の手紙を送っている。確かに今後「白河の関」という隠語は使われなくなるだろう。

なお、本来白河の関は古来、東北の豪族が関所をおいたところであり、朝廷の実質的権力が及ぶ限界を言い表したものでもある。そのため「白河の関」はそれより北方の蝦夷(東北の旧称でありかつ『蔑称』である)を差別する隠語でもあった。したがって日常的に使える言葉はではないと唱える人もいる(優勝決定後、朝日新聞にその旨を記した投書があった)。

参考:asahi.comの記事 (外部リンク)

2004年までの北海道・東北勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1915年夏・第1回秋田中(秋田)準優勝1-2京都二中(京都)
1963年春・第35回北海(北海道)準優勝0-10下関商(山口)
1969年夏・第51回三沢(青森)準優勝2-4松山商(愛媛)
1971年夏・第53回磐城(福島)準優勝0-1桐蔭学園(神奈川)
1989年夏・第71回仙台育英(宮城)準優勝0-2帝京(東東京)
2001年春・第73回仙台育英(宮城)準優勝6-7常総学院(茨城)
2003年夏・第85回東北(宮城)準優勝2-4常総学院(茨城)
2004年夏・第86回駒大苫小牧(南北海道)優勝13-10済美(愛媛)

箱根の関

関東の学校が全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語。初めて箱根を越したのは1916年の夏の大会の慶應普通部(東京)、その後1949年の夏の大会の湘南(神奈川)が達成した。

1916年夏に慶應普通部が優勝したにも関わらず、1949年夏の湘南の優勝において箱根越えが注目された理由として以下の要因があげられる。箱根が東西を分ける関所として人々に有名であること、慶応普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の開きがあること、湘南の優勝までの当時の高校野球(または中学野球)では西高東低(西日本の学校が強く、東日本の学校が弱い)の印象が強かったこと、1916年はまだ2回目の大会であり当時の中学野球は世間から余り注目されていなかったことなどである。

春の箱根越えは1957年早稲田実(東京)が達成。早稲田実の優勝以降は関東勢の優勝が珍しくなくなったためか、現在では殆ど意識されなくなっている。

1949年までの関東勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1916年夏・第2回慶應普通部(東京)優勝6-2市岡中(大阪)
1920年夏・第6回慶應普通部(東京)準優勝0-17関西学院中(兵庫)
1924年春・第1回早稲田実(東京)準優勝0-2高松商(香川)
1925年夏・第11回早稲田実(東京)準優勝3-5高松商(香川)
1936年春・第13回桐生中(群馬)準優勝1-2愛知商(愛知)
1949年夏・第31回湘南(神奈川)優勝5-3岐阜(岐阜)

関門海峡

九州の学校が全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語。1947年の夏の大会で小倉中(福岡)は優勝し、優勝旗は初めて関門海峡を越した。また、それまでの最西だった松山商(愛媛)を更新した。春の大会では1958年の済々黌(熊本)が達成。

1947年までの九州勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1934年夏・第20回熊本工(熊本)準優勝0-2呉港中(広島)
1937年夏・第23回熊本工(熊本)準優勝1-3中京商(愛知)
1947年春・第19回小倉中(福岡)準優勝1-3徳島商(徳島)
1947年夏・第29回小倉中(福岡)優勝6-3岐阜商(岐阜)

海を渡る

沖縄県の学校が全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語。沖縄は琉球王朝時代や米軍統治時代などの歴史から、本土に対する意識が強かった。そのため、沖縄水産(沖縄)が夏の大会で1990年と1991年に二年連続で決勝に進出しながら準優勝に終わった時、同校の監督が「優勝旗が沖縄の海を渡らなければ、 沖縄の戦後は終わらない」 と発言するほどだった。そして、1999年の春の大会で沖縄尚学(沖縄)が沖縄勢として初優勝し、優勝旗は沖縄の海を渡った。また、それまでの最南だった鹿児島実(鹿児島)を大きく更新した(沖縄尚学が優勝を決めた瞬間、スタンドでは相手の水戸商(茨城)の応援団を交えてのウェーブが起きた)。

1999年までの沖縄勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1990年夏・第72回沖縄水産(沖縄)準優勝0-1天理(奈良)
1991年夏・第73回沖縄水産(沖縄)準優勝8-13大阪桐蔭(大阪)
1999年春・第71回沖縄尚学(沖縄)優勝7-2水戸商(茨城)

東北・北陸の甲子園制覇

北信越では長野県が甲子園優勝経験を持つが、純粋な北陸地方では甲子園優勝校はまだ存在しない。準優勝は1978年春の福井商(福井)と1995年夏の星稜(石川)がある。

北海道は甲子園での優勝経験を持つが、白河の関から一気に津軽海峡を越えたため東北地方では甲子園優勝校は存在しない。また、優勝旗を甲子園から駒大苫小牧に持ち帰る実際の経路は陸上交通において白河の関を通過しなかったため、主に東北の人々から、白河の関はまだ越えていないとする意見が存在する。その意見に従うと、陸上交通で白河の関越しが欠かせない東北太平洋側の県や山形県内陸地方、秋田県県南地区に所在の高校の優勝はまだ存在せず、「白河の関を越す」ことはこれらの地域の高等学校の悲願として、実現まで隠語として継続使用する価値はあるとしている。

よくこの原因について、雪国のハンディと言われている。このため、秋場に行われる国体や明治神宮大会では、ハンディのある季節からの期間が長いせいか優勝校は存在する。北陸勢としては若狭(福井)が1952年の国体と1973年の明治神宮大会で初優勝をしている。東北勢としては盛岡商(岩手)が1952年の国体で、東北(宮城)が1977年の明治神宮大会でそれぞれ初優勝している。その後も、北陸勢や東北勢は国体や明治神宮大会で何度か優勝をしている。そのため、該当地域の甲子園制覇は時間の問題とする声もある。

今までの北陸勢の戦績(決勝)
開催年大会学校結果相手校
1978年春・第50回福井商(福井)準優勝0-2浜松商(静岡)
1995年夏・第77回星稜(石川)準優勝1-3帝京(東東京)

春夏連覇・夏春連覇

春の全国大会で優勝した年の夏の全国大会で優勝することを春夏連覇という。また、夏の全国大会で優勝した翌年の春の全国大会で優勝することを夏春連覇という。春夏連覇や夏春連覇をすると優勝校には二つの優勝旗が同時期に置かれることになる。過去に9例がある。

春夏連覇・夏春連覇
開催年学校春大会夏大会連覇
1930年広島商(広島)夏・10回夏春連覇
1931年春・8回
1937年中京商(愛知)夏・23回夏春連覇
1938年春・15回
1960年法政二(神奈川)夏・43回夏春連覇
1961年春・33回
1962年作新学院(栃木)春・34回夏・44回春夏連覇
1966年中京商(愛知)春・38回夏・48回春夏連覇
1979年箕島(和歌山)春・51回夏・61回春夏連覇
1982年池田(徳島)夏・64回夏春連覇
1983年春・55回
1987年PL学園(大阪)春・59回夏・69回春夏連覇
1998年横浜(神奈川)春・70回夏・80回春夏連覇

孤塁を守る徳島県

近年は野球留学などで全国から有力選手を集める私立高校が多く、甲子園出場校における私立高校の割合は増え続けている。そんな中、徳島県だけは現在(2006年春)まで私立高校の甲子園出場がない。これは徳島県内に私立高校が4校しかない上に、野球部があるのが生光学園だけであるというのが最大の理由である。しかし近年は生光学園も力をつけており、悲願の甲子園初出場も時間の問題かもしれない。

その問題点


人気ゆえの問題点

単なる高校部活動の対抗戦にとどまらず、圧倒的な人気で社会を巻き込んでいる高校野球であるが、その人気と関心度ゆえに多くの矛盾を抱え込んでいることも事実である。
  1. 教育の一環としての課外活動が、全国レベルの社会的イベントになっているため、野球部が他の部活動と比べて特別扱いされたり(予算、施設など)、私立高校の広告塔として利用されたりしている矛盾。強制的に在学生を応援に動員している学校も見受けられる。また、大会は商業新聞社(毎日、朝日)の主催であり、事実上新聞社の宣伝にもなっている。
  2. 選手への肉体的、精神的な負担。
    • 本来、野球には不向きな真夏の7~8月にかけての日中・炎天下に、全国規模のトーナメント戦(夏の大会)を行うことによる選手への負担。
    • 学校や地域の過剰な期待によるプレッシャーと、それを意識した熾烈な練習による選手の負担。
    • 社会の注目度が高いゆえに、一介の課外活動に対して多くの報道がなされるゆえのトラブル。
  3. 真夏の昼間に行なうことで、テレビや冷房に使う電力が増えるため、省エネ運動に悪影響であること。
  4. 「地域代表」的な立場やプロ野球への登竜門としての要素があるために、教育とは無関係な第三者の利権や介入が生じる。
  5. 暴力行為」や「過剰な指導」、「指導者・先輩への絶対服従」など体育会系クラブにありがちなトラブルと、それに対する「連帯責任」的な処分。
  6. 現状における高校生の実態とかけ離れた世間のイメージに基づいた、高校野球連盟の過剰な指導。
  7. 高校野球を対象とした非合法な野球賭博。(茨城県牛久市では市役所庁内LANを使用した公務員による賭博が発覚)
  8. 長期の遠征になることで選手や応援に借り出される生徒の費用が多額になり、大規模な寄付金集めや生徒の家庭の生活に影響が出ていること。
    • 県予選、「初戦」から全校生徒動員での野球応援をさせられるなど親、住民からの遠征費の徴収など(勝ち進めるほど負担が重くなる)
  9. 「国民的行事」化したことで、無関係な生徒や近所住民を強制的に動員すること。
  10. 不祥事が常に明らかになっているのに、改善を怠っていること。または出場校や出場の可能性が濃厚となった学校の野球部員、野球部員以外の生徒や職員の起こした不祥事の隠蔽。
  11. 女子に門戸を開かない。他の部活動と異なり女性の参加を認めず、女子マネージャーを本業と異なる雑用に使うなど男尊女卑の観点があること。
  12. 不合理・理不尽な習慣の押し付け・踏襲が昔ほどではないが存在しており、特に髪型に関して刑務所ですら坊主刈り・五分刈り・スポーツ刈りの3種類から選べるのに、坊主刈りを強要している学校がまだまだ多い。
上記の矛盾については批判の声もあり、大会運営を高校生の手に委ねることや、全国規模の大会を廃し地方ブロック大会止まりにすることなどを提案する声もある。しかし、すでに大会が「高等学校の課外活動」の域を超えた「国民的行事」(スポーツ紙一般紙を問わず、開催期間中は大きく報じられるレベル)になっており、野球部と高校野球を経営戦略に組み込んでいる私立高校も多数存在するため、教育的な立場からの改革は難しいのが現状である。

尚、暴力行為等の不祥事については、野球のみに限らず学生スポーツにおける運動部(体育会系)そのものに付きまとう課題になっているのが現状である。当事者内にも肯定あるいは必要悪とする意見があり、それが解決を一層困難なものにしている。

その一方で、高校生としての勉強や、部活動以外の学校活動もおろそかにしないよう指導し、生活指導面にも力を入れつつ好成績を残している指導者も多いことを付記しておきたい。

高校野球を対象とした非合法な野球賭博については、毎年のように摘発されており、ほとんどが暴力団の資金源となっているとされる。しかし、これは高校野球関係者とは全く無関係な場所でのトラブルであり、司直の手による取り締まりの強化と摘発が唯一の解決法であろう。

野球人気そのものに関連する問題点

1993年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足によるサッカー人気の高まりや、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに、又かつてのようなスター選手の不在等により、以前ほど観客がスタンドを埋め尽くす事が少なくなってしまったとも言われる。

スター選手の不在については、運動能力などの肉体的に優れた資質を有する生徒が、野球ではなくサッカー等別の部活動を志向するようになったことも大きいと考えられる。(これも時代の流れの為仕方ないが。)

ただし、高校野球を本来の教育活動の一環としてみた場合、「人気」が必ずしも不可欠ではないという見方もあり、スポーツを志す青少年の選択肢を増やすという意味では他競技との共存共栄は歓迎すべきという意見もある。突出した人気の国民的行事から多種多様なスポーツ大会の一つという立場への転換は、高校野球の本来あるべき姿を考える上で一つの契機と言える。

関連項目


外部リンク


高校野球

High school baseball in Japan

 

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