高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本における高等学校、中等教育学校の後期課程の生徒、高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球大会のことをいう。主催者は日本高等学校野球連盟(高野連)と、春の選抜高等学校野球大会には毎日新聞社が、夏の全国高等学校野球選手権大会には朝日新聞社がそれぞれ行っている。戦後の学制改革を経て継続しているため、旧学制による中等学校野球も一般的にはこれに含まれる。(同様に旧学制による高等学校野球とは異なる。)
一般に高校野球の全国大会を甲子園大会と呼び、次の二つの大会の一方もしくは両方をさす。
通常、新入学生(1年生)の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新年度の2年生、3年生の選手のみ)ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。
またこれとは別に毎年11月に明治神宮野球場で行われる明治神宮野球大会でも高校の部が開催されており、2002年度の大会以降の優勝チームの所属地区には翌年春の選抜大会の出場枠1チーム分が約束されることになった。
また、軟球を用いる軟式野球の全国高等学校軟式野球選手権大会(8月、兵庫県明石市、高砂市)や、国民体育大会(毎年10月か11月。但し硬式、軟式とも高校生の大会は公開種目扱い=正式な天皇杯得点に加算しないエキシビジョン)が行われる。
2004年11月、高野連は近年流行しているヘアカラーの使用や眉毛の剃りこみを禁止するように通達を行った。
また、大会期間中は甲子園球場のある西宮市とその周辺の自治体(尼崎市、大阪市、神戸市など)の公設球場、あるいは企業の野球部グラウンドなどを利用して練習が行われる。
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1926年 | 夏・第12回 | 大連商(関東州) | 準優勝 | 1-2 | 静岡中(静岡) |
| 1931年 | 夏・第17回 | 嘉義農林(台湾) | 準優勝 | 0-4 | 中京商(愛知) |
しかし、規約改正以降も年齢制限を超えながら出場特例が認められ、甲子園に出場した選手が何人かいる。1956年の夏大会で甲子園に出場した米子東(鳥取)の長島康夫は外地からの引き揚げのため大会出場時には19歳になっていたが、高野連は事情を考慮して、予選1ヶ月前に特例を設けて長島の出場を許可している。その後、中学卒業後に1年以上何らかの事情で高校に進学できなかった選手に関しては、満19歳以下でも出場資格が得られる規則になっている。1999年の春大会で甲子園に出場した明徳義塾(高知)の森岡エーデル次郎は帰国子女のため大会出場時には19歳になっていたが、特例が認められ出場した。
この夏の大会は従来の大会を主催していた朝日新聞社から「大会の回数継承」と「優勝旗の使用」を申し入れたが、文部省が却下したため、全国高等学校野球選手権大会には記録されていない。そのため幻の甲子園とも呼ばれる。
軍事色が強い大会であったため、スコアボードには軍事スローガンが掲げられ、ユニフォームのロゴはローマ字から漢字に変更された。また「打者は球をよけてはいけない。球に当たっても死球にならない」という特別ルールが存在した。
1958年の夏の大会で、春夏を通じて初めて沖縄(当時はアメリカ統治下)から首里(沖縄)が出場。1回戦で敦賀(福井)に敗戦したが、試合終了後に拾った甲子園の土が当時の琉球政府の検疫の関係で持ち帰ることができず、帰郷後処分された。しかし、それを知った日本航空のスチュワーデス有志らが球場周辺にあった海岸の石を拾い首里に寄贈。同校庭に今も甲子園初出場を記念した「友愛の碑」というモニュメントとして飾られている。
甲子園球場が完成した1924年から地方大会に使用されており、兵庫県の球児は本大会より一足先に完成されたばかりの甲子園球場の感触を味わっていた。その後も兵庫県内の球場事情や立地が重なり、たびたび甲子園球場が使用されていた。平成になってからは地方大会で使用されることは少なくなったが、現在でも使用されることがある。
| 開催年 | 大会 | 学校 | 辞退理由 |
|---|---|---|---|
| 1922年 | 夏・第8回 | 新潟商(新潟) | 主力選手の病気 |
| 1935年 | 春・第12回 | 浪華商(大阪) | 系列校にからむ刑事事件 |
| 1939年 | 夏・第25回 | 帝京商(東京) | 選手の出場資格問題 |
| 1939年 | 夏・第25回 | 日大三(東京) | 選手の出場資格問題 |
| 1952年 | 春・第24回 | 門司東(福岡) | 野球部員の試験免除 |
| 1958年 | 春・第30回 | 浪華商(大阪) | 同校生の恐喝事件 |
| 1965年 | 春・第37回 | 高知商(高知) | 野球部員の暴力事件 |
| 1967年 | 春・第39回 | 津山商(岡山) | 元部員の暴力事件 |
| 1971年 | 春・第43回 | 北海(北海道) | 同校生の暴力事件 |
| 1971年 | 春・第43回 | 三田学園(兵庫) | 同校生の暴力事件 |
| 1971年 | 春・第43回 | 市和歌山商(和歌山) | 同校生の暴力事件 |
| 1971年 | 春・第43回 | 南部(和歌山) | 同校生の暴力事件 |
| 1975年 | 春・第45回 | 門司工(福岡) | 同校生の暴力未遂 |
| 1984年 | 春・第56回 | 池田(徳島) | 野球部員の飲酒運転事故 |
| 1984年 | 春・第56回 | 函館大有斗(北海道) | マネージャーのひき逃げ事故 |
| 1985年 | 春・第57回 | 明徳義塾(高知) | 野球部長の刑事事件 |
| 1987年 | 春・第59回 | 東海大浦安(千葉) | 野球部員の暴力事件 |
| 1989年 | 春・第61回 | 岩倉(東京) | 野球部指導者の暴力事件 |
| 1992年 | 春・第64回 | 上宮(大阪) | 元監督の同校生への暴力事件 |
| 1992年 | 春・第64回 | 神戸弘陵(兵庫) | 野球部員の喫煙 |
| 2000年 | 春・第72回 | 敦賀気比(福井) | 野球部員の無免許・飲酒運転事故 |
| 2005年 | 夏・第87回 | 明徳義塾(高知) | 野球部員の暴力事件と喫煙 |
| 2006年 | 春・第78回 | 駒大苫小牧(北海道) | 元野球部員の飲酒・喫煙 |
なお、本来白河の関は古来、東北の豪族が関所をおいたところであり、朝廷の実質的権力が及ぶ限界を言い表したものでもある。そのため「白河の関」はそれより北方の蝦夷(東北の旧称でありかつ『蔑称』である)を差別する隠語でもあった。したがって日常的に使える言葉はではないと唱える人もいる(優勝決定後、朝日新聞にその旨を記した投書があった)。
参考:asahi.comの記事 (外部リンク)
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1915年 | 夏・第1回 | 秋田中(秋田) | 準優勝 | 1-2 | 京都二中(京都) |
| 1963年 | 春・第35回 | 北海(北海道) | 準優勝 | 0-10 | 下関商(山口) |
| 1969年 | 夏・第51回 | 三沢(青森) | 準優勝 | 2-4 | 松山商(愛媛) |
| 1971年 | 夏・第53回 | 磐城(福島) | 準優勝 | 0-1 | 桐蔭学園(神奈川) |
| 1989年 | 夏・第71回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 0-2 | 帝京(東東京) |
| 2001年 | 春・第73回 | 仙台育英(宮城) | 準優勝 | 6-7 | 常総学院(茨城) |
| 2003年 | 夏・第85回 | 東北(宮城) | 準優勝 | 2-4 | 常総学院(茨城) |
| 2004年 | 夏・第86回 | 駒大苫小牧(南北海道) | 優勝 | 13-10 | 済美(愛媛) |
1916年夏に慶應普通部が優勝したにも関わらず、1949年夏の湘南の優勝において箱根越えが注目された理由として以下の要因があげられる。箱根が東西を分ける関所として人々に有名であること、慶応普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の開きがあること、湘南の優勝までの当時の高校野球(または中学野球)では西高東低(西日本の学校が強く、東日本の学校が弱い)の印象が強かったこと、1916年はまだ2回目の大会であり当時の中学野球は世間から余り注目されていなかったことなどである。
春の箱根越えは1957年の早稲田実(東京)が達成。早稲田実の優勝以降は関東勢の優勝が珍しくなくなったためか、現在では殆ど意識されなくなっている。
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1916年 | 夏・第2回 | 慶應普通部(東京) | 優勝 | 6-2 | 市岡中(大阪) |
| 1920年 | 夏・第6回 | 慶應普通部(東京) | 準優勝 | 0-17 | 関西学院中(兵庫) |
| 1924年 | 春・第1回 | 早稲田実(東京) | 準優勝 | 0-2 | 高松商(香川) |
| 1925年 | 夏・第11回 | 早稲田実(東京) | 準優勝 | 3-5 | 高松商(香川) |
| 1936年 | 春・第13回 | 桐生中(群馬) | 準優勝 | 1-2 | 愛知商(愛知) |
| 1949年 | 夏・第31回 | 湘南(神奈川) | 優勝 | 5-3 | 岐阜(岐阜) |
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1934年 | 夏・第20回 | 熊本工(熊本) | 準優勝 | 0-2 | 呉港中(広島) |
| 1937年 | 夏・第23回 | 熊本工(熊本) | 準優勝 | 1-3 | 中京商(愛知) |
| 1947年 | 春・第19回 | 小倉中(福岡) | 準優勝 | 1-3 | 徳島商(徳島) |
| 1947年 | 夏・第29回 | 小倉中(福岡) | 優勝 | 6-3 | 岐阜商(岐阜) |
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1990年 | 夏・第72回 | 沖縄水産(沖縄) | 準優勝 | 0-1 | 天理(奈良) |
| 1991年 | 夏・第73回 | 沖縄水産(沖縄) | 準優勝 | 8-13 | 大阪桐蔭(大阪) |
| 1999年 | 春・第71回 | 沖縄尚学(沖縄) | 優勝 | 7-2 | 水戸商(茨城) |
北海道は甲子園での優勝経験を持つが、白河の関から一気に津軽海峡を越えたため東北地方では甲子園優勝校は存在しない。また、優勝旗を甲子園から駒大苫小牧に持ち帰る実際の経路は陸上交通において白河の関を通過しなかったため、主に東北の人々から、白河の関はまだ越えていないとする意見が存在する。その意見に従うと、陸上交通で白河の関越しが欠かせない東北太平洋側の県や山形県内陸地方、秋田県県南地区に所在の高校の優勝はまだ存在せず、「白河の関を越す」ことはこれらの地域の高等学校の悲願として、実現まで隠語として継続使用する価値はあるとしている。
よくこの原因について、雪国のハンディと言われている。このため、秋場に行われる国体や明治神宮大会では、ハンディのある季節からの期間が長いせいか優勝校は存在する。北陸勢としては若狭(福井)が1952年の国体と1973年の明治神宮大会で初優勝をしている。東北勢としては盛岡商(岩手)が1952年の国体で、東北(宮城)が1977年の明治神宮大会でそれぞれ初優勝している。その後も、北陸勢や東北勢は国体や明治神宮大会で何度か優勝をしている。そのため、該当地域の甲子園制覇は時間の問題とする声もある。
| 開催年 | 大会 | 学校 | 結果 | 相手校 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 1978年 | 春・第50回 | 福井商(福井) | 準優勝 | 0-2 | 浜松商(静岡) |
| 1995年 | 夏・第77回 | 星稜(石川) | 準優勝 | 1-3 | 帝京(東東京) |
| 開催年 | 学校 | 春大会 | 夏大会 | 連覇 |
|---|---|---|---|---|
| 1930年 | 広島商(広島) | 夏・10回 | 夏春連覇 | |
| 1931年 | 春・8回 | |||
| 1937年 | 中京商(愛知) | 夏・23回 | 夏春連覇 | |
| 1938年 | 春・15回 | |||
| 1960年 | 法政二(神奈川) | 夏・43回 | 夏春連覇 | |
| 1961年 | 春・33回 | |||
| 1962年 | 作新学院(栃木) | 春・34回 | 夏・44回 | 春夏連覇 |
| 1966年 | 中京商(愛知) | 春・38回 | 夏・48回 | 春夏連覇 |
| 1979年 | 箕島(和歌山) | 春・51回 | 夏・61回 | 春夏連覇 |
| 1982年 | 池田(徳島) | 夏・64回 | 夏春連覇 | |
| 1983年 | 春・55回 | |||
| 1987年 | PL学園(大阪) | 春・59回 | 夏・69回 | 春夏連覇 |
| 1998年 | 横浜(神奈川) | 春・70回 | 夏・80回 | 春夏連覇 |
尚、暴力行為等の不祥事については、野球のみに限らず学生スポーツにおける運動部(体育会系)そのものに付きまとう課題になっているのが現状である。当事者内にも肯定あるいは必要悪とする意見があり、それが解決を一層困難なものにしている。
その一方で、高校生としての勉強や、部活動以外の学校活動もおろそかにしないよう指導し、生活指導面にも力を入れつつ好成績を残している指導者も多いことを付記しておきたい。
高校野球を対象とした非合法な野球賭博については、毎年のように摘発されており、ほとんどが暴力団の資金源となっているとされる。しかし、これは高校野球関係者とは全く無関係な場所でのトラブルであり、司直の手による取り締まりの強化と摘発が唯一の解決法であろう。
スター選手の不在については、運動能力などの肉体的に優れた資質を有する生徒が、野球ではなくサッカー等別の部活動を志向するようになったことも大きいと考えられる。(これも時代の流れの為仕方ないが。)
ただし、高校野球を本来の教育活動の一環としてみた場合、「人気」が必ずしも不可欠ではないという見方もあり、スポーツを志す青少年の選択肢を増やすという意味では他競技との共存共栄は歓迎すべきという意見もある。突出した人気の国民的行事から多種多様なスポーツ大会の一つという立場への転換は、高校野球の本来あるべき姿を考える上で一つの契機と言える。