Colongtinh.gif8月30日の王朝旗。]] 阮朝(Nguyen, グエン朝)は、ベトナムの最後の王朝。1802年 - 1945年。阮福暎(グエン・フック・アイン)がフランスの宣教師および義勇兵の援助を受け、ベトナムを統一して建国した。都はフエ。
阮朝の始祖阮福映は、後期黎朝の時代に広南国を称してベトナム中南部を支配していた阮氏の出身である。阮氏政権は1777年に西山朝に滅ぼされたが、西山朝の支配の動揺とともに、タイに亡命していた阮氏の生き残り阮福映がタイとフランス人の支援を受けて台頭し、西山朝を打倒。ベトナムを統一し、1802年に都をフエに定め、新王朝を建国した。
1804年には中国の清から越南国王に封ぜられ、越南国(ベトナム国)を正式の国号とした。阮朝は清に朝貢を行って形式上従属したが、国内や周辺の諸民族・諸国に対しては皇帝を称し、ベトナムに小中華帝国を築き上げた。阮氏広南国がチャンパ王国を併合した時代からそれまで100年の間統一王朝は存在しなかったため、阮朝は現在のベトナムの領域を支配した最初の統一政権でもあった。
1815年、嘉隆律例が発布され、中国的な制度が導入される。第2代明命帝(ミンマン帝)の時代には清の制度に倣った中央集権化が推進され、科挙制度や省区分の地方制度が整備された。ヨーロッパ諸国との関係では、建国当初は親フランス的であったが、中国的な支配体制が整備されていくにつれて排外的な傾向があらわれるようになり、明命帝はキリスト教を禁止し、排外政策に転じる。
一方、19世紀に入ると、フランスがインドシナ半島への進出を強め、1806年にはカンボジア王に宗主権を認めさせ、1841年には併合するなど、従来の南進政策を推し進めた。
天津条約により、ベトナムはフランスの属国、阮朝はフランスの傀儡となり、ベトナムは実質上フランスの植民地となった。
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