金泳三(キム・ヨンサム、1927年12月20日- )は、大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年 - 1998年)。慶尚南道巨済島出身。日本名は金村康右。日本語読みでは「きんえいさん」。
議員となって以後、ながらくは野党の立場で活動し、軍事政権時代にはニューヨーク・タイムズとのインタビュー記事等をめぐり国会議員除名となったり(1979年)、自宅軟禁を受けたりといった弾圧を受けたりもしたが、1970年代から1987年代にかけて金大中とともに代表的な野党政治家の一人であった。1987年に全斗煥の退任に伴って行われた韓国第13代大統領選挙にて金泳三と金大中が共に盧泰愚に敗北した後、1990年に、盧泰愚、金鍾泌と手を握り、三党合同に参加することとなる(盧泰愚の民主正義党、金鍾泌の新民主共和党、金泳三の統一民主党が合同し、巨大与党である民主自由党が誕生した)。この後、民主自由党の大統領候補となり、1993年に韓国第14代大統領選挙にて大統領に当選した。
文民政府と呼ばれる在任期間の間に色々な民主化改革や財閥改革、金融実名制などを試みたが、任期終盤の1997年に東アジアや東南アジア各国を襲った経済危機(アジア通貨危機)にて、韓国も起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化。IMFの援助を要請する事態となったことは韓国国民からは恥辱的とも受け取られ、そのまま任期で大統領を退任する。
日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には「日本のポルジャンモリを糾してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がったが、氏の直情的な人柄や、大統領としての、あるいは大韓民国としての面子がかかった(と韓国内では当然に考えられている)対日外交で、常に強気の姿勢を示さなければ、という感情が働いていたと見られる。
直情径行の面があり、退任後の行動などでも韓国国民の不評を買う場面もあり、現在の韓国内の評価は高くないとも言われる。
2002年より早稲田大学の特命教授に就任。公共経営研究科への特別講義や大学全体への公開講演会の開催など、年に約2回の訪日時に流暢な日本語での講義を持つほか、テレビ出演もしている。
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