越
隣国の呉とたびたび抗争し、紀元前515年、楚に遠征した呉王闔閭の留守を狙って、允常は呉を攻めたために、闔閭の立場が揺らいだので、その実弟の公子夫概が兄に対して謀反を起こしたのである。やがて紀元前496年に允常が逝去して、太子の勾践が即位した。その速報を聞いた闔閭が越を攻める敗死した。後を継いだ次男の夫差が復讐と称して、越を滅亡寸前にまでなるものの、勾践が謝罪したために滅亡は免れる。謝罪後、勾践は呉で使用人として労働を命じられたりしたが、范蠡の助けを借り、越は呉への復讐心から着実に力を蓄えてゆき、呉が伍子胥を殺害し夫差が中原に諸侯を集め会盟を行ないに行っている隙を突き呉を攻め、呉に大打撃を与えた。その後、紀元前473年に呉を滅ぼした。その後、勾践は讒言によって腹心の文種を粛清した。これを聞いた范蠡は勾践の猜疑心を知り尽くしていたために、既に斉に逃亡しており、陶朱公と称して富豪となっていた。紀元前465年、勾践は逝去した。
紀元前334年、勾践の6世の孫である無彊の代に楚の威王の遠征によって、王の無彊は逃亡するも、楚の追撃を受けて捕虜にされ直ちに処刑された。こうして越は楚に滅ぼされた。一説ではベトナムは南下した越部族の末裔と称している。
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