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貨幣(かへい)とは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保存」の機能を持ったモノである。本来貨幣とは本位貨幣(本位金、銀貨)を指す言葉であったが、現在では狭義には、補助貨幣としての硬貨を指し、広義には紙幣及び銀行券を含む通貨(=お金)の意味がある。

貨幣の法的な意義


通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和六十二年六月一日法律第四十二号)によれば、「通貨とは、貨幣及び日本銀行法 (平成九年法律第八十九号)第四十六条第一項 の規定により日本銀行が発行する銀行券をいう。」(同法2条3項) とされ、また「貨幣の種類は、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とする。」(同法5条1項)と規定される。また、同法附則により貨幣とみなす臨時補助貨幣としてのいわゆる記念硬貨が規定されている。 この法律の施行により、明治時代から発行されていた本位貨幣の一円、二円、五円、十円、二十円の旧金貨(それぞれ額面の2倍に通用)と五円、十円、二十円の新金貨は5月31日限りで廃止になり、名実ともに管理通貨制度に移行した。

したがって、現在の日本の法律上の貨幣とは、昭和23年以降に発行された五円硬貨、昭和26年以降の十円硬貨、昭和30年以降の一円硬貨と五十円硬貨、昭和32年以降の百円硬貨、昭和57年以降の五百円硬貨と、昭和39年以降記念のために発行された千円硬貨、五千円硬貨、一万円硬貨、五万円硬貨、十万円硬貨を指す。

なお、貨幣をみだりに損傷・鋳潰しすると、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処せられる(貨幣損傷等取締法)。

貨幣の機能


貨幣の重要な機能として、次の3つが挙げられる。 これらの機能は資本主義経済の成立において極めて本質的な役割を果たしている。

  • 価値の尺度
    貨幣はモノの価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を比較することができる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が客観的に可能になる。
  • 交換の媒介
    貨幣を介さない物々交換の経済においては、取引が成立する条件として、相手が自分の欲しいモノを持っていることと同時に、自分が相手の欲しいモノを持っていることが必要である。これに対し、貨幣を介する社会では、共通価値である貨幣を介すことにより取引をスムーズに行うことができる。
  • 価値の保存・蓄積
    モノの価値を貨幣に変換することで長期的に保存することができる。例えば、「大根1本の価値」は大根が腐敗すれば消滅するが、貨幣に換えておけば保存・蓄積できる。ただし、物価変動により、モノの価値は増減する。

貨幣の価値は何に由来するか


「貨幣の価値」は「貨幣のモノとしての価値」とは異なる。例えば、モノとしての千円札は単なる印刷物でしかない。物々交換の社会において「千円札」の商品価値は「千円で売られているランチ」の商品価値に及ぶはずもない。つまり、貨幣の価値は、貨幣として用いられるモノの価値から本質的に分離されているのである。

貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣に信用があることが必要かつ十分である。自分の他にも「この貨幣には額面通りの価値がある」と信じる者がいなければ、その貨幣が取引の媒介として流通することはない。また、あるモノの価値を信じる人が複数いれば、そのモノは彼らの間で貨幣として流通することができる。

あるモノが交換の媒体として通貨になるには、交換可能性が重要になる。

物々交換の社会において、自分の作ったトマトを他者のモノと交換することは可能であろう。しかし、トマトをレモンと交換するのは至難である。なぜなら、取引相手としてレモンをトマトと交換したい人を見つけなければならないからである。このように二重の一致を見つけるのは難しい。そのため、皆はなるだけ皆が欲しがるモノに一度交換しようとするようになる。それは、あるときは米であり、貝・石であり、金であった。それらのモノ(貨幣)に交換すれば、同じくそのモノ(貨幣)に交換しようとする「誰か」が持っている自分の欲しいモノに交換することが出来る。このような共通の交換媒体は次第に経済の中で収斂され貨幣として機能するようになった。これらのモノ(貨幣)が価値をもつのは、それが多くのモノに交換可能なモノであるからである。こういった価値を交換価値といい、使用価値とは区別する。

当初、貨幣は①誰もが欲しがり、②集めたり分けたりして任意の値打ちを表すことができ、③容易に持ち運び、保存できる品物、として稲、矢じり、砂金、麻布等が多く用いられた。その後、が頻繁に使用されるようになる。金銀などの貴金属は、広く世界的に使用される貨幣となった。

中世末期に入って、欧米では大航海時代価格革命から商業的に大量の金銀が使用されるようになる。この金銀をそれまでのように取引に使用していては、盗難や磨耗の危険がある。そのため、人々は金銀を貴金属細工商の金庫に預け、代わりに証書を受け取った。証書はいつでも金銀に交換可能なため、紙切れでありながら価値を持った。人々は、やがて証書を使用して取引をするようになる。これが、現代の紙幣の先祖にあたる。証書を発行していた商人は、金銀が頻繁に引き出されなくなったため、証書を金銀の裏づけの無いまま発行して融資する業務を開始した。これが、現代の銀行の先祖に当たる。時代が下って、様々な商人が証書を発行するようになったため、これらの「銀行」が統一され紙幣発行権限をもつ中央銀行となった。諸銀行は、証書(紙幣)を預かる商業銀行となって現在に続いている。これらの、金の裏づけを持った証書(紙幣)の通貨制度を金本位制と呼ぶ。金本位制は度重なる変遷を得た後、第一次世界大戦から世界恐慌頃に相次いで停止され、第二次世界大戦後はブレトン・ウッズ体制下において、ドルのみが金と兌換でき、その他の通貨はドルと固定相場制をとることで価値を保証した。ニクソンショック後は、ドルと金の兌換が停止され、主要国は変動相場制へ移行。主要な通貨は、戦後に急成長した実体経済の経済力を背景に価値をもつこととなった。なお、現在でも信用力が低い国などが、ドルと固定相場制をとって(あるいは、ドルそのものを自国通貨とすることで)価値を保証している場合がある。

現代経済においては、国家は流通の安定のために法律によって強制的に通貨に通用力をもたせている。これを特に法貨・信用貨幣という。このため、交換の媒介として所定の通貨を用いることを拒否することは通常出来ない。

貨幣と宗教的意味合い


なお、古代においては全く価値体系の違うモノとも交換を可能にする貨幣に対して、異界(あの世)との仲立ちなども可能であるとする宗教的な意味を持たせる事があった。日本最古の貨幣とされる富本銭が流通目的に鋳造されたのではなく厭勝銭(まじない銭)目的であったとする学説や、三途の川の渡し賃として6銭をに入れたと言う古い慣習、古い寺院跡の発掘の際に古銭が併せて出土される事実など、貨幣と宗教の繋がりを想起させる話が多く残されている。

貨幣の歴史


起源

物々交換が盛んに行われるようになると物資の交換に伴う不便が生じるため不便を取り除くため交換の媒介物として物品貨幣(自然貨幣)が用いられるようになった。これが原始貨幣と呼ばれるもので、日常的に良く使うものが利用された。代表的なものに貝類(古代中国、オセアニア)、石類(オセアニア)、穀物や布(日本)等がある。貝・羽毛・べっ甲・鯨歯など装飾品や儀礼的呪術的なものも見られるが、その背景に宗教的意義を持つ場合が少なくない。

時代が下ると、など貴金属が貨幣として使われるようになった。世界初の鋳造貨幣は紀元前7世紀にリディア王国で作られた。また、中国では原始貨幣をかたどった鋳造貨幣が作られた(貝貨・刀貨・布貨)。金属は保存性・等質性・分割性・運搬性など貨幣としての必要な条件をよく満たしていることが普及につながった。なお、世界初の紙幣代に鉄銭の預り証として発行され利用されるようになった「交子」である。

古代

日本での最初の官銭は708年(和銅元)から鋳造された和同開珎である。(和同開珎には、銀貨銅貨がある。)和同開珎は唐から輸入して使われていた開元通宝をモデルにして作られたといわれる。なお、1999年1月19日奈良県明日香村富本銭が数十点発見され、奈良国立文化財研究所(通称、奈文研)は日本最古の貨幣の可能性があると発表している。以前は富本銭は貨幣としては使われておらず厭勝銭(まじない用の銭)だと考えられていたが、その考えに一石を投じる事となり、今日まで論争が続けられている(更に富本銭よりもさらに前の貨幣として無文銀銭の存在が知られている)。

飛鳥時代の和銅元年(708)から平安時代中期の天徳2年(958)まで250年間に、和同開珎から乾元大宝までの12種類の銅貨が発行された。朝廷が発行したことから皇朝十二銭と呼ばれている。原材料の銅の不足と、改鋳益を得るため、改鋳の度に目方と質が落ちた新貨を旧貨の10倍の価値で通用させようとしたことが貨幣の価値や信用を大きく低下させ、民衆の銭離れを引き起こしてしまった(765年神功開宝の発行の際は、旧貨である萬年通宝と同価での並行通用であった。)。和同開珎発行3年後の和銅4年(707)10月に「蓄銭叙位法(ちくせんじょいほう)」を出して、銭貨は物の売買の交換手段であることを強調している。

中世

皇朝十二銭以降、朝廷は貨幣の発行をしなくなり、11世紀前期からは専ら代用貨幣として用いられる時期が暫く続いた。だが、同時にこの時期になると商業が活発化して貨幣の必要性自体は高まってくるようになり、平安時代中期から戦国時代までは、中国との貿易を通じて流入した北宋南宋の貨幣や永楽通宝などがそのまま自国の貨幣として通用することになった。輸入銭だけでは足りなかったため、豪族や大商人が発行した私鋳銭も流通したが、粗悪な出来だったため「鐚銭(びたせん)」と呼ばれて区別された。「ビタ一文受け取らない」のビタとは鐚銭のことである。戦国時代に入ると、金山銀山の開発もあり金銀貨が戦国大名により鋳造されるようになった。また、鐚銭を巡るトラブルが絶えなかったために室町幕府や諸大名によって「撰銭(えりぜに)禁止令」が度々出され、織田信長豊臣秀吉によって一層強化されたが、新しい統一政権にはまだ新規の銅銭を発行できるだけの政治的・経済的基盤が乏しく、庶民は厳罰を恐れて物々交換で取引を始めるようになったために再び銭離れが発生するようになった。重商主義的要素の強いとされる豊臣政権において、一見矛盾するように見られる石高制が取り入れられたのはそうした事情が背景にあるとする学者もある。

近世

皇朝十二銭が発行されなくなってから、長い間日本では公鋳貨幣は作られていなかった。皇朝十二銭のあと、貨幣制度に基づいて初めて作られた貨幣は、戦国時代1567年永禄10年)ころ武田信玄の命によって作られた甲州金である。しかし、これは武田信玄の勢力下のみで通用した言わば地方貨である。続いて豊臣秀吉が製造させた金貨や銀貨も通貨としての性格は薄かった

江戸時代になると貨幣制度が統一され、江戸幕府が貨幣発行益を独占して金貨(小判分金)・銀貨・銅貨(銭貨)の三貨を鋳造し、全国通用の正貨とした。まず慶長の幣制による金貨・銀貨の鋳造が行われ、続いて1606年慶長通宝に鋳造されて皇朝十二銭以来600年ぶりの銅銭の公鋳が始められた。2年後には永楽通宝の流通を禁ずる法令が出されたものの、本格的な通貨鋳造及び全国的な流通に至るのは1636年寛永13年)に発行された寛永通宝以後の事である(貨幣を発行した場所をそれぞれ金座、銀座、銭座と呼んだ)。金貨・銭貨は計数貨幣(額面価値と枚数で価値を決める貨幣)であったが、18世紀半ばまで銀貨は丁銀豆板銀といった秤量貨幣(重さで価値を決める貨幣)であった。1765年以降、計数貨幣としての銀貨と併用されることとなる。

江戸では金貨が流通する「金遣い(きんづかい)」であったのに対して、上方(大坂)では主として銀貨が流通する「銀遣い(ぎんづかい)」であった。江戸と上方を中心とする交易上の理由と、金貨・銭貨(計数貨幣)と銀貨(秤量貨幣)の特徴の違いから、日常的に三貨の間で両替商による両替が必要であった。公定相場として金1両=銀50匁=銭4貫文(4,000文)(1609年制定、1700年には金1両=銀60匁に改定)があったが、実際には相場は変動相場制で高度な経済活動が行われていた。後に幕府は南鐐二朱銀を発行して金銀の換算率の統一を図って一定の成果を収めた。幕府貨幣の三貨の他にも貨幣として流通し、大名領国では藩札と呼ばれる紙幣も発行されていた(一部には銅銭・鉄銭などの銭貨形式で発行されたものもある)。

明治以降

明治政府により藩札処分令が1871年(明治4年)に発せられ、藩札は廃止された。同年2月に現在の造幣局である造幣寮を開設し5月に新貨条例を制定した。このときはじめて円という単位が正式に採用された。1円銀貨のモデルとなったのは、19世紀に貿易決済用としても国際的に流通していた大型洋銀貨(貿易銀貨)で、特に幕末期日本にも流入していたメキシコ8リアル銀貨である。7月に紙幣司(現在の国立印刷局)が設けられ、政府紙幣を製造した後、国立銀行紙幣・日本銀行券などの製造にあたった。1882年日本銀行が創設され1885年に最初の日本銀行券が発行された。

1897年に日清戦争の軍事賠償金を準備金に設定して、紙幣の価値を金と交換できることで保障した金本位制(公的には新貨条例の際に金本位制が定められていたが、経済力の弱かった当時の日本から大量の金が流失したため、実際上は銀本位制が実施)が実施された。第一次世界大戦の影響を受けて一時金本位制から離脱したが、1930年(昭和5年)1月に世界の体制に習って復帰した。その金解禁も束の間、世界恐慌のために1931年12月に金輸出再禁止が実施され、日本銀行券の金兌換券は停止された。その結果金本位制度から管理通貨制度へ移行し1942年2月制定の日本銀行法により著しく弾力的な管理通貨制度が採用されることになった。

1950年代にアメリカでクレジットカードによる決済が始まり、日本では1960年代から同様のサービスが始まった。貨幣を介せず取引を行う時代が到来し、現在のアメリカでは高額紙幣の信用がクレジットカードに劣るほどである。 ただし、クレジットカードはカード番号の不正利用など問題点がないわけではなく、このような欠点を克服するものとして電子マネーが出現するに至っている。

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