解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい)は精神疾患の一つ。(特に幼児期に)性的虐待などの強い心的外傷から逃れようとした結果、自我の同一性が損なわれる疾患のことを指す。1人の人間に複数の人格状態(以下「人格」)が生じるため、以前は多重人格(障害)と呼ばれていた。
この項でこの疾患と書いた場合、便宜的に解離性同一性障害のことを指すこととする。
多重人格の旧称が表す通り、明確に独立した性格、記憶、属性を持つ複数の人格が1人の人間に現れるという症状を持つ。ほとんどが人格の移り変わりによって高度の記憶喪失を伴い、そのために診断が遅れたり、誤診されることが非常に多い疾患である。また、多くの多重人格をテーマとした小説や映画などを見ても分かる通り、その症状ばかりが好奇の対象となりやすく、この疾患のほとんどが幼児に対する性的暴行などの残忍な虐待を背景に持つことについては軽視されがちである。
一方、人間は想像を絶する苦痛に見舞われた場合に防衛本能として解離を起こすことがある。痛覚などの知覚や、記憶、意識などを自分から切り離すことによって苦痛から逃れるのである。現実逃避と混同されがちだが、現実逃避が単なる精神的遁走であるのに対し、解離は実際に痛みを全く感じなくなったり、苦痛の記憶が丸ごと消失したりする点で大きく異なる(解離性遁走と呼ぶこともある)。解離の詳細は、解離性障害を参照のこと。
人間は、(特に幼児期に)繰り返し強い心的外傷を受けた場合、自我を守るために、その心的外傷が自分とは違う「別の誰か」に起こったことだとして記憶や意識、知覚などを高度に解離してしまうことがある。心的外傷を受けるたびに「別の誰か」になりかわり、それが終わると「元の自分」に戻って日常生活を続ける訳である。
解離が進み、「別の誰か」になっている間の記憶や意識の喪失が顕著になり、あたかも「別の誰か」が一つの独立した人格を持っているかのようになって自己の同一性が高度に損なわれた状態が解離性同一性障害である。事実、解離性同一性障害の患者は「別の誰か(以降、交代人格と呼ぶ)」になっている間のことを一切覚えていない事が多く、交代人格は交代人格で「普段の自分(主人格と呼ばれる)」とは独立した記憶を持っている事がほとんどである。
このような理由から、解離性同一性障害の患者のほとんどが幼児期に何らかの児童虐待を受けている。そしてその多くは性的虐待である。
解離性同一性障害は精神医学で認知されてからの歴史が非常に浅く、その特徴的な症状から比較的誤解されやすい疾患であると言える。
その理由の一つとしてよく挙げられるのが、近年における急激な症例の増加である。そもそもこの症例はアメリカで主に報告され、その他の地域では滅多に見られないとされていた。文化依存症候群とみなす人もいたほどである。
ところがアメリカのDSM-III(関連用語の項参照)で多重人格が取り上げられて以来、世界中で症例の報告が相次ぎ、12年後にはICD-10(関連用語参照)にも多重人格のカテゴリが作られることになる。この現象の説明として、この疾患の存在を知った者が相次いでこの症状を偽ったのだという主張である。
しかしこの疾患は、統合失調症の診断基準の一つであるクルト・シュナイダーの一級症状の全て、あるいはその大半を満たすケースが多く、同時にうつ病や境界性人格障害に似た症状を示す(あるいは併発する)ことが多いため、DSM-III以前は他の疾患と誤診されてきたのだろうと考える方が妥当である。事実、多くのこの疾患の患者は、その診断が下される前に何らかの誤診を受けている。
また、この疾患があまりに特徴的であるため、今までキツネ憑きなどシャーマニズムの一種として心霊現象として片付けられていた可能性も高い。広義のシャーマニズムは世界中に存在し、交霊が起こる様子がこの疾患の人格交代時の挙動に類似しているケースも在るが、シャーマニズムとこの疾患との関連はまだ研究が進んでいないので断定は危険である。
さらに、その特徴的で他人の興味を引きやすい症状から、虚偽性障害や詐病の対象となることが多い事実も挙げられる。このことが、この疾患の誤った認識を生み、また、この疾患の診断をより難しいものにしているとも言える。
もう一つの誤解が、別の疾患との混同である。専門家にもこの疾患を統合失調症の症状の一つだと断定しているものさえあるが、統合失調症とこの疾患は、類似する症状が多いものの、全く別の疾患であるというのが現在の考え方である。
また、以前は解離性障害(これは解離性同一性障害を含む)がヒステリー(転換性障害と解離性障害の総称。現在はこの用語は用いられない)の一種としてカテゴライズされていたため、現在でもこの疾患が俗語的な意味でのヒステリー(一時的な感情の爆発)の一種と誤解されることがある。しかし感情の爆発で人が変わったようになることは、この疾患とは何の関係もない。
さらに、解離性障害と境界性(人格)障害、多重人格障害と人格障害など疾患名の相似から、この疾患と境界性人格障害とを混同している例も非常に多く見られる。解離性人格障害という両者を完全に混同したおかしな病名を目にすることも多い。この疾患が境界性人格障害に似た症状を示す例が多いこと、逆に境界性人格障害の患者が同一性の障害や解離を示す例が多い事実が、この混同をより深刻なものにしている。現在ではこの疾患は解離性障害の一種とされ、人格障害には分類されることはない。
解離性同一性障害の治療に関しては、まだ研究が進んでいないというのが実際のところである。治るか治らないかについてさえも意見が分かれることが多いが、治った、あるいは症状が改善したという報告も多く、不治の病と考えるべきではないだろう。
この疾患では強い不安やうつ状態、不眠などを伴うことが多く、他方カウンセリングによる治療は必須であると考えられているので、医師とセラピスト(心理カウンセラー)の両者を適宜利用することが求められる。医師にはカウンセリングを行う余裕がない場合が多く、セラピストは睡眠導入剤などの必要な投薬をすることができないからである。
次に治療の方針であるが、以前は人格統合と言って、人格を1人ずつ消していく(医師・セラピストの中には人格に自殺をさせたり、悪魔払いのような手法をとるものもある)、あるいは似通った人格同士をカウンセリングにより統合することで最終的に1人の人格に戻してやるという治療法が最善であると考えられていた。しかし最近ではこの治療法については否定的な意見も多く、複数の人格はその必要があるから存在しているのであって、無理に消去することはかえって患者の状況を悪化させると考えられている。
現在では、まず患者の状態を正確に把握すること、次に人格同士の誤解や対立をなくすと同時に主人格を含む各人格の精神の安定を目指すことが第一だとされる。つまりシステムの把握と安定であるが、これには長い年月を要する場合が多い。ほとんどの場合、主人格の知らないトラウマ体験の記憶を交代人格が別個に持っており、その場合交代人格に対しても別個にトラウマ処理が必要とされる。
喪失した記憶を無理に引き出すことは良くないとされる。交代人格から聞いたトラウマ体験を、その体験の記憶のない人格に知らせることも同様である。この疾患を持つものは心理的に非常に不安定な状態にあることが多く、また、抱えているトラウマも長期にわたる凄まじいものの場合が多いので、いたずらにトラウマを想起させることはパニックや自殺などの大きな危険を伴うからである。
このような様々な理由から、患者とセラピストの信頼関係の樹立も重要な要素となる。システムの安定に伴い、トラウマ体験の想起と再記憶といったPTSDの治療に似たプロセスが慎重に行われる。
投薬は、対症的に抗不安薬や睡眠導入剤などが多く使われる。症状が重い場合は抗精神病薬が用いられる場合もある。しかし、この疾患の治療には非常に長い時間がかかるため、身体への負担を考慮してなされるべきであろう。また一般にこの疾患の患者が薬物依存を生じやすい傾向にあるとされる点にも留意する必要がある。
治療には何年も要するのが普通であり、医師、セラピストの適切な指導のもと、根気強い治療が必要である。
現在はDSM-IV / DSM-IV-TRに従い解離性同一性障害と呼ぶのが一般的である。
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