自尊心(じそんしん)は自尊感情(じそんかんじょう)とも言い、自己の存在や在り様を尊重(大切に思う)する感情のこと。
ただし、悪い方向で自尊心が働いているような場合では自惚れ(うぬぼれ)となる。自惚れは自分を過信し、実際の能力以上の存在であると誤認することである。この場合に於いては、他人から信用されなくなる事にも繋がるため、社会においてその地位が低くなる傾向も見られる。当人にしてみれば、不当に扱われていると云う欲求不満にも繋がるため、余計に事態が悪化しやすい。
日本語に於いてプライドと云う場合には、傲慢に繋がる場合も在ると考えられている。自らの存在に宇宙の大いなる意志が関係していると考える人もいる。更には自身の存在こそが世界の存在意義であると考える向きすらある。妄想ないし唯我論等を参照されたし。
国家的な自尊心については、ナショナリズムという。ナショナリズム(=民族主義)では、国家と云う単位の集団における総体的な自尊心であるが、個々の人から見れば周囲は賛同者のみとなるため、しばしば暴走しやすい傾向も見られ、これを忌避する人もいる。
だが日本人が自尊心無き民族かというと、歴史的に必ずしもそうだとは言えず、江戸時代に於いても武士には武士の、町民には町民の矜持なり自尊心が存在した。現代でも様々なスタイルの自尊心が見られる。
自尊心は必ずしも和と相反せず、自分を信じるからこそ、他をも尊重できると云う部分もある。これは自尊心が自分に無い長所を相手が持つ事を、許せるかどうかという点にも絡む。自惚れている者には難しい所であるが、正しく自分を見据える事のできる人は、自尊心と和は競合しない。自尊心がある者は、自身の欠点ですら尊重できるという考え方もできる。
この辺りに関しては、自らに自信の無い存在は、自身の欠点や短所にすら怖れを抱いて直面しようとしないが、自尊心のある者であれば、その欠点を克服できる自信も持てるという理屈である。一般に弱点を晒す人間は、自尊心が無いといわれる事も在るが、必ずしもそうとばかりは言えない人も見られる。弱点を理由に身を引くか、弱点を晒してなお留まるかは、大きな違いといえよう。
なお日本ではかつて、根性論のような苦境を敢えて選択する精神論が持てはやされた時代があったが、根性論自体は兎も角として、これを他人に苦労を強いる際に振り回す者もいる。根性論を自身を鍛えるために用いるのは当人の自由では在るが、他人に苦労を強いるために用いるのは些か難がある。前者は自尊心があるからこそそのような選択をするのに対して、後者は苦労を強いる相手に自尊心を棄てるように求める部分が見られるためである。
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