競馬(けいば)とは、馬が一定のコースをどれだけ速く駆け抜けられるかを競うスポーツ、かつ興行である。
Horse-racing-1.jpg・ミュンヘンの競馬]]
概説
競馬は
競馬場で開催される。一つ一つの競い合いを
競走と呼び、一日の競馬開催でいくつかの競走が行われる。競走では、一般には
騎手が馬に騎乗して一定の距離を走り、正規に最も早く決勝線に到達した馬を勝者とする。コース途中に設置された障害を飛越したり、騎手が乗った車やそりを引っ張ったりすることもある。決勝線の到達は概ね馬の鼻の先が決勝線を通過したときをもって判定されるが、
ばんえい競馬に限っては、馬が引っ張るソリの最後部が決勝線を通過したときをもって判定される。
用いられる競走馬は、平地や障害、速歩競走ではサラブレッド、サラブレッド系種、アラブ、アングロアラブ、アングロアラブ系種の軽種馬もしくはクォーターホース、アメリカントロッター等の中間種が用いられ、ばんえい競走では重種馬が用いられる。
競馬の世界は優勝劣敗が大原則であり、強い馬は強い馬同士、弱い馬は弱い馬同士での競走が基本である。だが、競走の出走メンバーのみを変更するには限界がある。そこで考え出された方法として強い馬には重い斤量を、弱い馬には軽い斤量となるように、負担重量を変更することで、ある程度幅のある競走を組むことができる。負担重量の決定方法としては馬齢戦、別定戦、定量戦、ハンデキャップ競走などがある。
競馬は興行という一面もあり、そのため観客をより多くひきつけるために、目玉となる競走として重賞が行われる。重賞の中でも、「強い馬が集まる重賞」、「そこそこのメンバーが集まる重賞」などのように格付けが行われており、それがグレード制である。権威があり、最も強い馬が集まるのがグレードワン競走(略称「GⅠ」「G1レース」)である。G1についでG2・G3と数値が増え、それにつれてレースの権威や出走馬の能力が落ちていく。2006年現在、日本の競馬競走ではG1からG3までの重賞が行われている。G1競走の中でも、3歳馬に対して行われる伝統のあるレースをクラシックと呼ぶ。2006年現在、世界各地でクラシックと呼ばれる競走が行われているが、日本を含む多くの国が最初に始められたイギリスのクラシックレースを模範としている。イギリスのクラシックは全5競走であるが、うち2競走は牝馬限定戦であり、牝馬限定戦を除く3競走を全て制覇する三冠を達成するのは非常に困難なことである。日本のクラシック競争も全5競走である。
歴史
ウマの速さを競わせること自体は有史以前、ウマが家畜化された頃から行われていたと考えられている。
古代ローマ帝国およびそれを引き継いだ
東ローマ帝国などでは、
映画『
ベン・ハー』に見られるような
戦車を引いたウマによる競争(現在でも、この伝統を引き継いだスタイルの競争を行っている国がある)が行われていた。
ローマや
コンスタンティノポリスなどには大きな競馬場が建設され、東ローマ時代には国家的な行事として競走が開催されていた。また、ユーラシア内陸部の
遊牧民族の間では、現在でも
モンゴル族などで行われているようなウマの競走が行われていた。
現在のような、明確なルールにのっとった上でのウマの競走(近代競馬)は16世紀のイギリスに始まったとされ、17世紀にはフランスやアイルランド、19世紀にはドイツやイタリアでも行われるようになった。また、17世紀以降は、ヨーロッパ諸国の植民地であった国々を中心に、アメリカ・アジア・アフリカ・オセアニアなどの地域においても近代競馬が行われるようになった。
競馬の歴史に関する詳細については競馬の歴史を参照。
英国では18世紀後半頃まではマッチレースが主体であったが、競馬が産業としての要素を持ち始めた頃から衰退している。19世紀には競馬場は英国上流階級の社交場となり、この伝統は現在まで続いている。
競馬に出走する競走馬、いわゆるサラブレッドは17-18世紀に生まれた「バイアリーターク」、「ダーレーアラビアン」、「ゴドルフィンアラビアン」という3大始祖のいづれかの血統に当てはまるといわれている。
競馬の文化
イギリスをはじめとして日本より古くから競馬に親しんできた西洋諸外国においては、競馬は単なるスポーツやギャンブルとしてでなく、
音楽、
文学、
絵画、
彫刻などの創作活動の主題として取り上げられたり、社会制度にも入り込んで一連の馬事文化を形成している。一方日本では
寺山修司など僅かな例を除いて、このような馬事文化が浸透していないと自嘲気味に指摘されてきた。しかし平成に入り、
オグリキャップや
武豊の人気により競馬が新たなファン層を獲得すると、他国には見られないまったく新しい独自の馬事文化が花開いた。
日本の競馬文化
競馬の放送
日本での競馬テレビ中継は
1953年に、
日本テレビが
船橋競馬場の競走をテレビ中継したのが始まりである(これを記念して船橋競馬には
日本テレビ盃というレースがある。なお、2006年時点では日本テレビでは競馬中継は行っていない)。
中央競馬は、
1953年に
NHKが春の
中山大障害を中継したのが最初である。
関東の民間放送では、
1956年に
ラジオ東京テレビ(現在の
東京放送)が東京開催の中継を行ったのが最初で、その後
1959年に
日本教育テレビ(現在の
テレビ朝日)が、さらに
1960年より
フジテレビジョンが中継を開始し、一時は東京開催が日本教育テレビの、また中山開催がフジテレビジョンの中継となった。
1962年より、関東開催はフジテレビジョンの単独中継となった(関西で関西テレビ放送が中継を行っていた為の措置と言われる)。
また関西の民間放送では、
1957年に
大阪テレビ放送(
朝日放送の前身)により
桜花賞が放送されたのが最初であるが、
関西テレビ放送が開局と同時に競馬中継の放送を開始し、2006年現在でも引き続き行われている。また、東京十二チャンネル(現在の
テレビ東京)や、近畿放送(現在の
KBS京都)や
サンテレビジョンでも、開局時より競馬中継を開始している。
ラジオ中継は、1932年に、当時の札幌競馬倶楽部で行われた競馬を中継したのが最初である。その後もNHKにより、単発的に中継放送が行われていた。民間放送では、日経ラジオ社(ラジオ日経、旧日本短波→ラジオ短波)で1956年より中央競馬実況中継を行っており、場内の公式実況でもあるほか、アール・エフ・ラジオ日本(旧ラジオ関東)も、1959年より、東日本地区の中央競馬実況中継を行っている。
中央競馬における競馬中継については中央競馬テレビ・ラジオ中継一覧も参照。
近年はインターネットを用いた映像提供が、地方競馬を中心に盛んに行われている。2006年1月現在、荒尾競馬場以外のオンデマンド配信(録画配信)を行っており、ライブ配信は最後まで導入していなかった荒尾競馬場が「TV Bank」にてライブ配信を開始したことにより、全ての主催者で視聴できるようになった。D-Netによるダートグレード競走のライブ配信を除いては、いずれも無料で行われている。中央競馬においては、衛星放送とケーブルテレビ網を利用したグリーンチャンネルによる映像配信事業が中心であり、インターネットでのライブ配信は行っていない。オンデマンド配信についても、中央競馬ピーアールセンターによるJRA-RACING VIEWERが有料サービスとしてで行われているのみである。
競走馬のぬいぐるみ
オグリキャップのぬいぐるみで爆発的に成功した株式会社アバンティーが販売するぬいぐるみは、単なるウマのぬいぐるみではない。実在の特定のサラブレッドの毛色や鼻梁(ウマの顔に現れる白い模様)、四肢や蹄の先の色に至るまでの外見的特徴を精確に反映しており、メンコなどの馬具や馬主の服色、ゼッケンの番号まで特定のレースを基に再現されている。これにより、例えば
ディープインパクトのSサイズだけで既に5種類(
皐月賞、
日本ダービー、
菊花賞、
三冠、
年度代表馬)のバリエーションが存在する。手のひらサイズから1メートルを越すものまで、近年の活躍馬だけではなく
マルゼンスキーや
シンザン、香港でしか買えない
フェアリーキングプローンや、重賞を勝っていないマイネルヨースやシグナスヒーロー、
ハルウララといった馬まで既に300種類以上が商品化されている。
競馬ゲーム
競馬ブームが到来した
1991年、家庭用ゲーム機のFC用ソフトとして
アスキーから競走馬育成シミュレーションゲーム『
ダービースタリオン』が発売される。これが人気を博し、以降『
ウイニングポスト』(
コーエー)など競走馬を育成するシミュレーションゲームが様々なメーカーからも発売された。また『
ファミリージョッキー』(
ナムコ)にはじまり、『
ギャロップレーサー』(
テクモ)や『
ジーワンジョッキー』(コーエー)など、競馬の
レースゲームも数多く発売されている。
一方ゲームセンターにおいては、昔から競馬のゲームを作っていたメダルゲーム界で1999年、コナミから『GI LEADING SIRE』が、2000年にセガから『STARHORSE』が発売され、どちらも競走馬を育成する、という要素が初めて付け加えられ、ヒット作品となり現在でも絶大な人気を誇っている。
さらにメダルだけにとどまらずカード方式を用いた『ダービーオーナーズクラブ』(セガ)も1999年から稼動した。自分専用の馬をデータカード化できてゲームセンターを梯子できることや、賞金ランキング表示システムや実況のテンポの良さは大受けし、その改良版『ダービーオーナーズクラブ2000』は「ファミ通」のアーケード用のランキングでは1年半以上にわたり圧倒的な差でトップをキープし続けるほどの大人気となった。ネットオークションや専用のサイトなどでは強力な種馬、牝馬、子馬、賞金額の膨大な現役馬などの入ったカードや、カードコピーといった裏技情報が多数高価で取引されたり、セガ系列のゲームセンターでは地区レベルで各地で大会も開催されたことがある。人気が下り坂になりはじめると、新たに調教やステータスのシステムを一新し、プレイ料金も引き下げ、実況で馬名を発音させることができ、カードもコレクション性のあるものにした『ダービーオーナーズクラブ2』が2001年末稼動したが従来の人気は取り戻せなかった。2006年現在、PC向けオンラインゲームとして『ダービーオーナーズクラブオンライン』が存在しているが、話題性の割に人気は下火のままである。
競馬マンガ
一般誌の「
ビッグコミック」(
小学館)にはすでに『とねっ娘』、『
ポコあポコ』が連載されていたが、
1992年に競馬専門誌の「週刊競馬報知」に擬人化された馬が主役の『
馬なり1ハロン劇場』が登場すると人気となり、
1994年には日本を代表する少年誌で『
みどりのマキバオー』や『
じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の連載が始まった。『馬なり1ハロン劇場』を除いて、いずれも競馬ファンのみを対象としているわけではないという点が注目に値する。多くの場合、架空の競馬が描かれているが、競走体系や血統背景などは現実の競馬がモチーフにされている。
競馬音楽
昭和40年代には当時の人気馬
ハイセイコーの引退に際して主戦騎手の
増沢末夫が歌ったレコード「さらばハイセイコー」が45万枚のセールスを記録した。また、
JRAの重賞競走の出走前に流れる
ファンファーレの
着メロは既に100万回を超えるダウンロードが行われている。また、競馬を題材としたヒット曲では、
ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」などがある。
競馬文学
1982年から小説新潮スペシャルで連載されていた
宮本輝の「
優駿」は
1986年に単行本化されるとヒット作品となり、映画化されるに至った。
日本の競馬
現在の日本において競馬は、
競輪・
競艇・
オートレースと並ぶ
公営競技の1つである。このため、刑法の特例として開催が認められている
公営ギャンブルという側面ももつため、
勝馬投票券(馬券)の発売を伴う競馬は
特殊法人である
日本中央競馬会 (JRA) 及び
地方自治体にのみ開催が認められている。日本中央競馬会が主催する競馬を
中央競馬といい、地方自治体が主催する競馬を
地方競馬という。なお、地方競馬では
地方競馬全国協会 (NAR) が免許の管理などの統括的な役割を果たす。
日本の競馬は競馬法ならびにそれに関連する法令によって、競馬に関する一切が定められている。
競馬の開催権は日本中央競馬会ならびに地方自治体にのみ与えられているが、競馬の実施に関する事務を他者へ委託することが、競馬法第3条の2および第21条によりできる。
- 中央競馬を主催する日本中央競馬会は、事務を都道府県、市町村又は私人に委託することができる。
- 地方競馬を主催する地方自治体は、事務を他の都道府県若しくは市町村、日本中央競馬会又は私人に委託することができる。
競馬法施行令第5条ならびに第17条の4において、競馬の競走形態が次の4種類に定められている。
- 速歩競走(トロット) - キャンターまではいかない(ダクの状態で行う)競走の形態。四肢が全て地面から離れると失格となる。通常の平地競走同様に馬に騎乗する騎乗速歩と、騎手が乗った繋駕車(けいがしゃ)と呼ばれる人力車に似た車を引かせる繋駕速歩の2種類がある。欧州では、平地競走よりも盛んに開催されている。日本でも1971年まで存在したが、現在では行われていない。
- 障害競走 - コース上に生垣や土塁、竹柵などが設けられ、それらを飛越しつつゴールを目指す競走の形態。中央競馬では、札幌競馬場と函館競馬場以外の競馬場で行なわれている。地方競馬では、1974年に廃止された春木競馬場を最後に、行なわれなくなった。
- ばんえい競走 - 北海道特有の、200メートルの直線山越えコースで重種馬がそりを引く競馬。
監督官庁は農林水産省で、監督部局は生産局畜産部競馬監督課であるが、地方競馬においては地方自治体が運営する関係上総務省(旧自治省)も関係する。地方競馬全国協会の監督官庁は総務省である。
現在の日本競馬が抱える制度上の課題
中央競馬と地方競馬の交流
日本の競馬は中央競馬と地方競馬の二つの競馬のシステムが並立しているわけだが、同じ種類の競走を行い、かつ競走馬としても同じ種類のサラブレッドやアングロアラブを使っていることから二つの競馬の間の交流の歴史もある。この事柄ではそのような交流の歴史について説明する。
1972年以前は、中央競馬と地方競馬は同じ種類の競走を行いながら、主催者の違いにより、長年人馬の交流は限られたものであった。基本的には中央競馬所属馬(騎手)は中央競馬の競走のみ、地方競馬は自分が所属している主催者の地方競馬の競走のみに出走していた。他の競馬に出走するためには、現在の所属を離脱して他の競馬へ移籍しなければならなかった。たとえば、1954年の東京優駿優勝馬のゴールデンウエーブは、最初南関東に所属していたが、東京優駿への出走を目指して南関東から中央競馬に移籍をしている。ただし、この時期から既に南関東地区や東海地区など地域的な位置関係から、地方競馬の一部では地区同士の交流が行われていた。
そんな中で、1973年に東京競馬場で地方競馬招待競走が行われ、初めて中央競馬に地方競馬所属馬が出走した。翌年は大井競馬場で中央競馬招待競走が行われ、この2競走は隔年毎に交互に行われていった。
1981年に創設された日本の代表馬と世界の名馬が激突するジャパンカップ。その舞台にも地方競馬の代表馬も出走することができるようになった。その第一号は1983年のダーリンググラス。その後、1985年にはロッキータイガーが2着になった。
1986年に地方競馬招待競走と中央競馬招待競走は変更され、地方競馬招待競走はオールカマーに、中央競馬招待競走は帝王賞にその役割を移すこととなった。また、中央競馬も地方競馬もない生産者の立場の人間が中心となって団体を作り、1989年、ホッカイドウ競馬にブリーダーズゴールドカップを新設し、この競走には中央競馬所属も全国の地方競馬所属も隔てなく出走できるようにした。
その後、大きな転機となったのは1995年である。「開放元年」と称し、多くの改正が行われた。
- (指定競走…中央競馬なら地方競馬所属馬に、地方競馬なら中央競馬所属馬に出走を認める競走、交流競走…地方競馬が、他地区所属馬に出走を認める競走)
- 中央競馬のグレードワンレースのトライアルに地区の代表馬の出走枠を設けて、所定の着順までに入ることでグレードワンレースの出走できる道筋を造った。
- その年に笠松のライデンリーダーが4歳牝馬特別を制し、牝馬三冠競走に全てに出走し、話題を作った。
- また、初年度という事もあり地方競馬側の準備は整いきっていなかったが、それでもライデンリーダーの他、足利のハシノタイユウ(皐月賞)、笠松のベッスルキング(菊花賞)がトライアルで上位入着しGIに出走している。
- 東京大賞典などの地方競馬の大レースと呼ばれる競走に中央馬の出走枠を設けた。
- 1995年にライブリマウントが各地の地方競馬場で強さを見せつけた。またこの年のエンプレス杯でホクトベガが18馬身の圧勝劇を演じたのは川崎競馬場であった。このように多くの競走で中央競馬所属馬と地方競馬所属馬の対戦が行われるようになった。
- 地方競馬の2歳馬戦に認定競走制度を導入し、この認定競走に勝利した競走馬に対しては中央競馬の特別指定競走へ地方競馬に所属したまま出走できる資格を与え、また中央競馬への移籍に対しては、従来の馬房数とは別に、認定馬房による移籍を認めた。
- 地方競馬の条件級の中央指定競走も1994年より行われる。
1997年4月からは中央地方に関係のない統一グレード制を導入することとなり、ダートグレード競走が始まった。
1999年、地方競馬場の水沢競馬の生え抜きの地元最強馬であったメイセイオペラが、東京競馬場でのフェブラリーステークスで地方所属馬初の中央競馬GI勝利を果たした
2001年からダート競馬の祭典としてJBC(ジャパン・ブリーディング・ファームズカップ)が新設された。第1回は大井で開催された。
2004年、コスモバルクがホッカイドウ競馬所属のままでクラシック三冠・ジャパンカップ・有馬記念に出走。惜しくも勝ち星は挙げられなかったが、地方の星として脚光を浴びる存在となった。
日本における競馬の国際化
もう一つのつながりとして、外国との交流についてこの項目では触れていく。外国との交流はいくつか存在する。
- 競走馬の遠征
- 国際競走
- 競走馬の輸入
- 種牡馬の輸入
= 競走馬の海外遠征
=
外国の競馬は日本の競馬よりも出走制限はゆるく、外国の厩舎に所属していても多くの競走で出走できる。また、いくつかの競走では招待競走として、遠征費の負担も行ってくれた。
日本国内で調教された競走馬による海外遠征のうち、はっきりとした記録のある最古のものは、1909年(明治42年)のウラジオストック遠征である。前年に馬券が禁止されて意気消沈していた日本の競馬界に、ポーツマス条約による講和が成立した直後のロシアの競馬倶楽部から誘いがあり、帝室御賞典勝馬のスイテンを筆頭に50頭近くが大挙して遠征をした。日本国内の競走と同様、ほとんどの競走は日本産馬のみで行われたが、シベリア産やロシア産の馬との混合競走も行われ、スイテンは優勝戦でトップハンデでシベリア産馬に勝つなど、5戦5勝の遠征成績を収めた。ウラジオストックへの遠征はこれが最初で最後である。
太平洋戦争までは、朝鮮半島や台湾、満州でも競馬倶楽部が創設されて日本産の馬が出走したほか、大陸産(名目上は「日本国産」である)のサラブレッドやアラブ系種、さらには速歩用の馬が日本国内で出走していた。但し、海外遠征として特筆すべきものはない。
戦後最初の遠征は、1958年から1959年に掛けてハクチカラのアメリカ遠征である。1959年、ワシントンバースデーハンデキャップで初勝利。この際には保田騎手も一時期帯同して、保田騎手はこの際にモンキースタイルを習得してリーディングジョッキーの座を獲得。当時の日本の騎手は天神乗りが多かったが、保田騎手のモンキースタイルを真似て、日本でもモンキースタイルによる騎乗が主流となった。
その後、ワシントン国際招待ステークスに多くの馬が招待された、1962年のタカマガハラをはじめに多くの馬が挑戦したが、敗退の山を築いていった。
1966年から1967年にかけて、フジノオーがグランドナショナルを含む障害競走に出走し、2勝を収めた。
1986年に当時日本最強馬であったシンボリルドルフがアメリカに遠征したが、1戦で故障、そのまま引退を余儀なくされ、当時遠征中であったシリウスシンボリが1987年に帰国するとそれ以降はしばらく遠征が途絶えることとなる。
1993年から香港国際競走で日本馬が招待されることとなり、久々に遠征馬が現れるようになり、1995年に香港国際カップでフジヤマケンザンが勝利を収めると、その後、香港遠征は毎年恒例のこととなった。
1997年にはホクトベガがドバイワールドカップに出走するも競走中の事故により故障を発症し安楽死処分となった。翌年現地ではホクトベガの名を冠した競走が施行されている。現在海外のレースで死亡した馬はホクトベガだけである。
1998年にシーキングザパールがモーリス・ド・ギース賞で日本調教馬による海外GI初勝利を収めた。その翌週にはタイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を制覇。年末にはミッドナイトベットが香港国際カップを制覇した。
1999年にはエルコンドルパサーが欧州遠征を行い、サンクルー大賞を制覇した。しかし、欧州最高峰競走の凱旋門賞は近年屈指の好メンバーと呼ばれた出走馬の中で、2着に惜敗。凱旋門賞同日のアベイユ・ド・ロンシャン賞でアグネスワールドが勝利を収める。
2000年もアグネスワールドは遠征を行った。ロイヤルアスコットのキングススタンドステークスでは、惜しくも2着であったが、続く欧州のスプリント最高峰の競走ジュライカップで2勝目を飾った。
2001年にステイゴールドが香港ヴァーズで日本産馬による日本調教馬の海外GI初勝利を収めた。2001年の香港国際競走は日本調教馬の勝利ラッシュで、エイシンプレストンが香港マイル、アグネスデジタルが香港カップと4つのうち3つの競走が日本調教馬の勝利であった。
専ら外国への遠征は中央競馬所属馬が行っていたが、2005年に地方競馬の船橋所属のアジュディミツオーがドバイワールドカップに出走した。
この2005年にはシーザリオがアメリカンオークス招待ステークスを、ハットトリックが香港マイルを制覇したが、この2頭はともに角居勝彦調教師の管理馬であり、日本の調教師が同一年で外国での勝利馬を2頭出したのは初めての事である。
2006年には、コスモバルクがシンガポール航空インターナショナルステークスを制し、地方競馬所属馬として初めて国際GI競走の勝利をもたらした。
競馬にまつわる議論
外国の馬名の表記
日本の競走馬の名称は、カタカナ9文字までに制限されているが(
競走馬#競走馬名参照)国際レースの増加などで、現地語で付けられている外国の競走馬の名称を、日本国内で何らかの形で表記する必要が増大している。通常は、日本の競走馬名と同様にカタカナで表記されることが多い。
ただ、一般的に外国語をカタカナ表記しようとすると、「v」や「th」、「l」と「r」、無声音、促音や拗音などの表現の問題がある。これは普遍的な問題なので、ここでは詳述しない。
競馬に関して特別に発生する問題は、いくつかの原因によって生じている。
1. そもそも元になる外国語の名前が、外国でどのように発音されているかが確定しない。
たとえば、フランスの首都はパリであるが、外国語表記では「Paris」である。フランス語では最後の「s」は発音しないから「パリ」だが、英語では「パリス」と「s」を発音する。
もしも「Paris」という名前の馬を、フランス人がフランス国内で所有しフランス国内で調教して競走に参加していた場合、カタカナ表記は「パリ」で異論ないところである。(それでも、できるだけ現地の発音に近づけようとすると「パヒ」のようになるのかもしれない。)しかし命名者がアメリカ人の場合は、彼は「パリス」のつもりで命名したと考えるのが自然である。また、フランス人所有であっても、フランスからアメリカに遠征に出れば、現地のアメリカ人には「パリス」と呼ばれるし、フランス人が所有しアメリカ国内で調教される場合や、途中で所有者が変わる場合、フランスで競走した後引退してアメリカに売却される場合など、どの時点での発音を採用するかでカタカナ表記は変動する可能性がある。
このように、命名の由来、命名者の発音、関係者の発音などが異なる場合、どれをカタカナ表記として採用するかの公式な規則はないため、扱う人によって表記が変わる。
2. 社会的に通例として普及している名称。
たとえば、「Mozart」という名前の馬がいた場合、これは音楽家の名前に由来するのであれば、日本での一般的な表記は「モーツァルト」である。仮にこの馬の関係者がすべてアメリカ人だった場合、彼らは「モザート」のように発音するので、そのとおりに表記するのであれば「モザート」が正確である。しかし、日本では「Mozart」を「モザート」と表記すると音楽家の名前とは通じなくなるため、「モーツァルト」が用いられる。
これは、現地の発音が確定しているにもかかわらず、日本での通例によって表記が変わる場合である。
さて、外国の馬名がカタカナで表現されて問題となるのは、以下の場合である。
- 現役の競走馬として来日する。
- 種牡馬か繁殖牝馬として輸入されて来日する。
- 上記以外。(来日しない)
1の場合、ジャパンカップなどの国際競走に外国馬が出走すると、主催者であるJRAはその馬のカタカナ名を決める。
2の場合、その種牡馬ないし繁殖牝馬の所有者は、カタカナ表記を決める。
上記のいずれの場合も、最終的にはJRHR(財団法人日本軽種馬登録協会)が、当事者の申請を基に日本国内における公式な名称として登録する。そのカタカナ表記が妥当かどうか、センスがいいかどうかについて議論が起こることがある。
いずれにしろ公式に使用する表記になるため、是否を問わず定着することになる。
3の場合は、いわゆる公式なカタカナ表記が制定されないため、議論が起こると決着がつかない。
以下は馬名表記が問題となった代表的な例である。
- 1997年のジャパンカップに出走した同馬の名前は、原語表記では「Pilsudski」である。同馬のジャパンカップ出走時、JRAが馬主に対し馬名の発音を確認し、「ピルサドスキー」と表記することになっているが、1920年代のポーランドの国家主席、ユゼフ・ピウスツキ () 、あるいは、兄で民族学者のブロニスワフ・ピウスツキ () の名に由来する。(競走馬の「Pilsudski」の父の名は「Polish Precedent」で「ポーランドの先人」のような意味になる。)一般に彼の名前は、「ピルスツキ」とか「ピウスツキ」と表記され、たとえば国立スラブ研究センターの出版物や在ポーランド日本大使館のHPでも「ピウスツキ」と表記されている。
- JRA賞馬事文化賞受賞者でダート競走格付け委員の山野浩一は著書『全日本フリーハンデ』のなかで次のように述べている。
特にピルサドスキーのような例は下手をすると外交問題にすら発展しかねないもので、外国で明治天皇の名を変なスペルで綴られたりしたら、やはり外務省は訂正を求めるのではないだろうか。(中略)抗議がなければどのような失礼なことも許されるというものではない。
- 1918年にイギリスで三冠を達成した同馬の名前は、原語表記では「Gainsborough」である。18世紀の画家であるトマス・ゲインズバラに由来するとされている。「Gainsborough」の「borough」は、「エジンバラ」のように「バラ」と発音されるのが日本でも通例であるが、競走馬であるゲインズボローの名前が日本に紹介されたのは、1927年にイギリスから種牡馬トウルヌソルが輸入されて、大変良好な成績を収めた時である。まだゲインズボローが現役種牡馬であった1938年に日本で出版された『競馬と馬券の実際知識』」では「ゲーンスボロー」で、上述の山野浩一が1970年代に執筆した『名馬の血統』でも「ゲーンズボロー」の表記である。「borough」を「ボロー」と読むのはアメリカ風で、日本ではこの馬の名前の後半の表記は長いこと「ボロー」で定着していたが、2000年代ごろから「バラ」の表記が見られるようになった。
- 1980年代後半から1990年代前半にかけて、輸入種牡馬のシーホークの仔が活躍し、1990年にはアイネスフウジンが19万人の観衆の前で東京優駿を逃切り競馬ブームの象徴となった。当時話題になったのは、シーホークの父「Herbager」の日本語表記で、同馬はフランスで生産され、フランス人が所有し、フランス人が調教し、フランスで競走をした。そのため日本でもフランス名の「エルバジェ」と表記されるのが通例である。しかし同馬は引退後アメリカで種牡馬となっており、アメリカでは「ハーバージャー」と呼ばれている。シーホークはアメリカ種牡馬の仔であり、「ハーバージャー」に改めるべきだとの議論が一部でなされたが、現在でも日本国内ではほぼ「エルバジェ」に統一されている。これと似たようなケースで、フランス産馬「Lyphard」は「リファール」と表記され、「リファード」と表記されるのは稀である。しかし、「Lyphard」のアメリカでの仔に「Lyphard's ~」とつくものがいて、この場合は英語風に「リファーズ」と表記されている。
- 19世紀末から20世紀にかけてイギリスで大成功を収めた歴史的名馬にして名種牡馬で、現在でも大きな影響力を持っている。馬名の由来はフランスの社会主義思想家のアンリ・ド・サン=シモンである。馬名は「St.Simon」で、由来に従えば「St.」の部分は「サン」、「Simon」は「シモン」と表記するのが原語に忠実である。しかし同馬はイギリス馬で、英語読みで「St.」は「セイント」と読まれるようになり、「Simon」も英語風に「サイモン」と表記されることが多かった。歴史的には、「サンシモン」「セントシモン」「セントサイモン」などの表記が用いられてきた。近年、もともとの命名にしたがって「サンシモン」と表記する場合がある。
- 1990年代後半から、カタカナ表記を論じる際にもっとも問題になる馬である。ダンチヒ自体は1991年~1993年のアメリカのリーディングサイアーになったほどの重要な種牡馬で、日本にも子供が競走馬や種牡馬として多数輸入されている。原語での馬名は「Danzig」である。ポーランド出身のアメリカ人の所有馬であった。馬名の由来は、現在は「グダニスク」と呼ばれるポーランドの都市のドイツ支配時代の旧名であるとの説が有力である。一方、ダンチヒの父であるノーザンダンサーには、著名な共産圏出身の舞踏家の名前が命名されることが多く、ニジンスキー、ヌレイエフ、リファールなどが有名で、これにならってオランダの舞踏家であるルディ・ファン・ダンツィヒの名に由来するとの説もある。
- いずれにせよ、馬名の由来となった原語は、日本では現地の発音に近い「ダンチヒ」とか「ダンツィヒ」のように表記されるのが通例である。しかし、同馬はアメリカで生産され、アメリカ人が調教し、アメリカで競走し、アメリカで種牡馬となった馬である。アメリカ人は「Danzig」を「ダンジグ」のように発音するため、日本語表記を「ダンジグ」とする説にも正当な根拠がある。幸か不幸か、現在までに名前に「Danzig」をもつ馬が外国馬として日本の競走に出走したことはない。外国産馬としてはダンジグカラーズという馬が存在したが、これは日本で「ダンジグカラーズ」とカタカナで馬名登録を受けているので表記ゆれに関する問題はない。(もちろん同馬を「ダンチヒカラーズ」「ダンツィヒカラーズ」と呼ぶのは完全に誤りである。)
競走の格付表示
日本では競走の格付のため
グレード制という体系が導入されているが、複数のグレード制度が混在している。主なものには、国際的な基準で設けられている
国際グレード、
中央競馬が独自で定める
グレード、ダート競走で用いられる中央競馬と
地方競馬で共通の
統一グレード、地方競馬が独自で定めるグレード、中央競馬の障害競走でのみ用いられる障害グレードなどで、原則としてこれらには互換性がない。これらのグレード制度が混同されて表示される事があるが、これは公正な商取引や競馬の国際化を妨げる一因となっている。(詳しくは
グレード制を参照。)
日本における競走馬生産
近代競馬においては、競馬と馬産とは表裏一体の関係にある。戦前の競馬は優秀な軍馬生産の目的もあり、政府主導の馬匹改良を奨励し、またその成果を確認する意味をもっていた。農耕馬の品種改良のために導入された
ペルシュロンの血を引く馬が
ばんえい競馬で、軍馬として生産を奨励された
アングロアラブが地方競馬で、現在でも競馬に用いられているのはその名残ともいえる。
現代においては軍事や使役目的の馬産はほとんど不要となったため、競走馬は競馬を行うためだけに生産されている。競馬はサラブレッドの質を常に一定以上に保つための淘汰の手段として行われる。生き物である以上、どれ程素晴らしいサラブレッドが誕生しても寿命が来ると死んでしまう。肉牛などと異なり、競馬の世界では精子の保存や人工授精といった手法は認められていない(自然交配主義)。そのため、先天的な能力にばらつきがある限り、ある水準を保つためには常に、維持したい数量よりも多くを生産してその中からよいものを選抜するという作業を継続する必要がある。また、サラブレッドの生産と流通という経済活動に携わる人や企業も、当然として競馬と馬産の継続を必要としている。
日本の馬産の現状
日本のサラブレッドの大半は
北海道の
日高地方で生産される。日高地方は日本でも有数の規模を持つ
日高山脈に発する水系が、競走馬の発育に重要な
ミネラル成分を豊富に含んでおり、河川敷の小規模な放牧地でも馬産に適した土壌が得られる為である。
2004年の統計によれば、国内の生産頭数7773頭のうち7381頭が北海道産で、更にそのうち6348頭は日高産である。北海道以外では
青森県(213頭)、
鹿児島県(34頭)、
宮城県(33頭)、
宮崎県(24頭)、
千葉県(23頭)などとなっており、東北と九州が北海道に続く馬産地であるがその規模の隔たりはあまりにも大きい。
このような極端な集中は、馬産地での馬伝染性貧血などの家畜法定伝染病の発生により日本の馬産が壊滅的な被害を受けるリスクをはらんでいる。また日高地方の経済は競走馬関連産業への依存度が極めて高く、競馬や馬畜産をとりまく環境の変化による経済への影響を受けやすい。
生産界は世界的な傾向として、生産馬の売却を目的とするマーケットブリーダーが増加し、自己所有を目的とするオーナーブリーダーは減少傾向にある。この傾向は競走馬市場における自由で活発な取引によって支えられるはずのものであるが、日本では庭先取引と呼ばれる非公開の取引が支配的である。これは、農地法により、競走馬の所有者が自ら生産活動を行うことが大きく制限されていることから考え出された日本の独特な生産方式である。所有者の中には、このような制限のない海外で競走馬生産を行うものも現れており、自己名義で海外で生産した競走馬を外国産馬として日本に持ち込む例が増加している。
一方、近年は公開の市場取引(セリ市)も増え、1億円を超す高額価格馬の登場が耳目を集めることもある。また、かつては行われなかった2歳馬のイヤリングセールが行われるなどの市場改革の試みもはじまっている。
2002年には生産者の定義も国際基準に合わせて変更された。国際基準では生産者とは母馬の所有者を指す。母馬の所有者は牧場に母馬を預託し、牧場は施設や人材を提供して預託料を受け取るというのが国際的な生産方式である。日本では、前述の農地法の制約により牧場が母馬を所有しているため、従来は生産牧場を生産者と称してきた。このような国際基準に合致しない表示を継続した場合、日本産馬のサラブレッド登録を一切認めないとの通知により、日本の表示方式も改められた。
種牡馬市場においては、1980年代から社台グループによる寡占化が進み、ノーザンテースト、リアルシャダイ、トニービン、サンデーサイレンスによって、1982年以来24年間に渡りリーディングサイアーの座を独占し続けている。
馬券と予想
競馬では、主に
勝馬投票券が発売されており、行っている者からしてみれば
スポーツであると同時に、観戦者からしてみれば、勝ち馬を予想するして金を賭ける
ギャンブルである。勝ち馬を予想する行為は、古くから行われており、日本でも洋式競馬が導入されて19世紀から既に馬券があったことは
歴史の項目でも触れたことである。勝ち馬を予想する方法については、古くからさまざまな模索がなされてきた。
競馬新聞や
馬券予想会社など、金銭と引き換えに他人に自分たちの予想を教える人たちもいる。また、自分が考え出した予想の方法を著作として出版する場合もある。(
予想 (競馬)を参照)。
馬券を購入するにはつぎの場所や方法がある。
- 開催中の競馬場(本場)や開催していない競馬場での場間場外で購入する
- WINSなどの場外勝馬投票券発売所で購入する
- PAT会員となり、電話やインターネットを利用する
最近では競馬への参加をより容易にし、ノミ屋などの私設馬券販売を防止するために、3.の方法の拡大をすすめている。なお、馬券は未成年者は購入できない。
ちなみに、競馬についての規制は国ごとに以下のように異なっている。
- 18歳未満は競馬場の入場・馬券購入禁止:香港、シンガポール
- 20歳未満は馬券購入禁止:日本
- 州によって異なる:アメリカ(馬券の発売が禁止されている州もある)
- 宗教的な理由により馬券の発売が行われていない:アラブ首長国連邦(ただし、その代わり、イベントとして勝ち馬を予想して、的中者に景品が当たるくじが配布されている)
高額配当
「勝馬投票」をする人たち、つまり馬券を買う人たちはレース終了後の
配当が大きくなることを期待する。配当が100倍を超える馬券、つまり100円あたりの払戻金が1万円を超える馬券のことを『
万馬券』と言う。また
2002年に誕生した
馬番号三連勝複式(3連複)や2004年に誕生した
三連勝単式(3連単)の登場で若しも10万円(1000倍)を超えると十万馬券、100万円(1万倍)を超えると百万馬券、そして1000万円(10万倍)を超えると一千万馬券と言われる。
2005年4月9日には福島競馬場でついに史上初の1000万馬券が誕生、同時開催の阪神と中山の観客はもちろんの事、場外販売の他の競馬場や場外馬券場(ウインズ)に居たファンを驚かせた。その1ヶ月後の5月13日には大井競馬場で史上2度目の1000万馬券が飛び出し、記録したばかりの最高配当記録が更新されるまでに至る。しかも的中したのは発売176157票中たったの1票(=100円)だけだった。さらに10月22日には東京競馬場で1846万馬券が誕生、2000万馬券も間近という大万馬券となった。まさしく「3連単」は化け物配当金を出すのである。
様々な理由により(理由が明確にならないことも多い)、何年も続けて高額配当となる競走がある。そのような競走のことを「荒れる競走」と呼ぶことがある。
最高額配当記録
- 中央競馬では2005年10月22日に開催された東京競馬第12競走(16頭立て)において、3番ゼンノエキスプレス(16番人気)→11番カネスベネフィット(12番人気)→4番ケイアイカールトン(3番人気)の順に入り、3連単の配当が1846万9120円(3360通り中3344番人気、総票数450万4663票中的中票数18票)となったのが最高記録である。この記録は中央・地方を両方を含めた国内競馬全体のみならず、国内の公営競技全体においても史上最高額である。
- 重賞競走では2005年8月21日に開催された札幌競馬第9競走「第41回札幌記念(GII)」の3連単の配当275万9500円が、またGI競走では2005年5月1日に開催された京都競馬第11競走「第131回天皇賞(春)」の3連単の配当193万9420円が史上最高額となっている。
- 地方競馬では2005年5月13日に開催された大井競馬第2競走(14頭立て)において、12番ベルモントジャイブ(10番人気)→11番レールッコ(11番人気)→4番チャームブリッジ(13番人気)の順に入り、3連単の配当が1300万390円(2184通り中1906番人気、総票数17万6157票中的中票数1票)となったのが最高額である。
- なお、海外では、2005年5月7日に開催された「第131回ケンタッキーダービー」で4連単が86万4253.5倍、日本円に換算して(当時の為替レート、1ドル=105円で計算)、およそ9074万6617円という超高額配当が出ている。
参考リンク:「サンスポ.com」高配当データ
競馬場での観戦マナー
近年、競馬場(特に
中央競馬のGIレース)の観戦で、マナーに反する行為が多く発生していることから主催者は、以下のことに注意するよう呼びかけている。
- 周辺路上へのマイカーの駐車は周辺住民への迷惑となるので禁止。競馬場・ウインズの駐車場にも台数制限があるのでできるだけ公共交通機関(鉄道、バス、タクシーなど)を利用すること
- 観客席の過度の場所取りは周辺の観客の迷惑になるので行わないこと
- パドックでのフラッシュ撮影は競走馬を驚かせ公正な競馬開催に支障をきたすおそれがあるので使用を控えること
- ゴミ類はもとより、紙吹雪や紙テープ、馬券、投票用マークシート用紙(またまれにクラッカーや新聞紙を丸めたものも投げ込まれたりする)の投げ込みも周辺の観客の迷惑になるのみならず、公正な競馬開催に重大な支障をきたす事態にもなり得るで行わないようにすること
外部リンク
関連項目
競馬 | 公営競技
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