短歌(たんか)は、和歌の一形式で、五・七・五・七・七の五句体の歌。記紀歌謡末期・万葉集初期の作品に成立し、古今を通じ広く行われ、長歌が作られることがなくなるにつれて、和歌といえば短歌をさすようになった。
短歌は、一人称の詩形、私性の詩、と呼ばれるほど、作者の主体性が強い表現形式である。また、短歌は最も早熟な才能が現れる文学だと言われている。
その後、統一国家が確立してゆく中で、大陸から漢詩が入ってきた影響もあり、個人の気持ちを個々に表現する歌が盛んに作られるようになった。これが和歌であり、それまでの和歌を大成したのが『万葉集』である。集団でうたわれる歌謡においては、例えば旋頭歌(五七七、五七七)は、片歌(五七七)が集団の掛け合いで問答の形になったものだが、「五七七?」「五七七。」の問と答の末尾はしばしば同じであった。しかし一人でうたうようになると、重複はさけられ「五七?」「五七七。」→「五七五七七」の短歌形式となった。このような歌体の変化から、『万葉集』では9割が短歌となっている。
延喜5年(905年)醍醐天皇の勅命で、紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の4人により、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が撰進された。理知的・観念的な歌風が特色である。それから半世紀のちの村上天皇のころに『後撰和歌集』が、さらに半世紀後の一条天皇のころに、『拾遺和歌集』が撰進された。前者は貴族の贈答歌が中心で、物語化の傾向があるのに対し、後者は典雅で格調正しい『古今和歌集』の伝統を受け継ぐものになっている。この『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』の三集を三代集と呼ぶ。
平安時代後期には『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』が撰進された。貴族社会が変化する中で、三代集の伝統を乗り越えるための苦悶の半世紀であった。源平の争乱の後、後白河院の命で藤原俊成が『千載和歌集』を撰進し、平安時代末期の和歌を一つの高みに導いた。『古今和歌集』から次代の『新古今和歌集』までの8つの勅撰集を八代集という。
明治から試みられていた口語・自由律や、石川啄木にまでさかのぼれるプロレタリア短歌の運動が起こったのも昭和に入ってからである。前者は前田夕暮の「詩歌」を中心に一大勢力となり、また後者はプロレタリア文学の一環としての存在を主張するようになる。
しかし、口語派は夕暮の一門あげての定型復帰により、香川進、前田透といった歌人が文語定型を排除しない方向に転じたことで、力を減じていった。
プロレタリア派は、当初、文学理論が先行し、短歌を短詩に解消するべきだという意見が有力になったり、あるいは三十一音を大幅にはみ出す作品が出たりして、国家による弾圧以前にも問題を抱えていた。
昭和3年、新興歌人連盟が発足。口語派、シュールレアリスム派、プロレタリア派、生活派が連合して歌壇の革新につとめる。前川佐美雄、坪野哲久、筏井嘉一らにより、このグループは後に新風十人でその美学を示した。 昭和10年、北原白秋が「多磨」を創刊。宮柊二(「コスモス」)、木俣修(「形成」)といった戦後結社につながる歌人がここから輩出する。
アララギでは、土屋文明の指導を受けた五味保義、近藤芳美(「未來」創刊)、高安国世(「塔」創刊)、相澤正、樋口賢治、落合京太郎、吉田正俊、柴生田稔らが育つ。
昭和30年代になると前衛短歌運動がおこった。現代短歌は前衛短歌から始まったとも言われる。前衛短歌運動は、塚本邦雄の衝撃的な表現から始まり、中井英夫の賛同を得、岡井隆・寺山修司といった同志を獲得し、歌壇全体に影響を及ぼした。 前衛短歌は、比喩の導入、句またがり、記号の利用といった技法上の特徴が数多くあるが、作品の主人公と作者が異なる、虚構を詠っている点が最大の特徴である。この表現方法は明治期の西洋化で失われたが、古典ではよく見られた形式であるため、短歌のルネッサンスと言われる。
昭和30年代半ばには、前衛短歌は社会的影響力を持ち始めたため敬遠する出版会の動きがあったことと、方法意識が出尽くしたことから停滞した。そこで登場したのが安保闘争に参加した若者、西の清原日出男、東の岸上大作であった。
安保闘争後、前衛短歌が行き詰まりを見せ、その後新たな表現方法への移行も出来なかったこともあり、短歌は目標や思想を喪失していった。歌壇は孤立化し、内部(歌人)と外部(新聞短歌・セミナー短歌)の棲み分けが始まった。 そんな中、三島由紀夫に定家の再来と言われてデビューした春日井建が、時代性や社会性の意識は見られない絶対なる美的表現を追求した。
昭和40年代始め、前衛短歌の停滞後はじめて本格的に近代短歌に向き合う動きが出てきた。自然派の前登志夫、古典派の馬場あき子・山中智恵子などである。他にも、自らの表現形式を持って短歌を作る歌人が活躍し始めた。「男歌」の佐々木幸綱、「ただごと歌」の奥村晃作、実験的な歌風の高瀬一誌などである。また、夭折歌人の小野茂樹が戦後の青年像を示した。 昭和50年代には、村木道彦・小池光・阿木津英など、風俗・実生活を繊細に描写する歌人が現れた。
昭和60年代には、都市文化を基調としたヴィジュアルな表現が登場する。坂井修一や、新古典派と呼ばれる紀野恵・水原紫苑などである。これが平成のニューウェーブの先駆けとなる。また、俵万智『サラダ記念日』がミリオンセラーを記録、短歌はそれまでの硬いイメージから開放され、コピー言語のように読まれるようになった。
現在はインターネットの普及も影響して、歌壇に全く属さない歌人も登場している。
また、昭和末期から現代学生百人一首という短歌を使用したコンテストが開催されている。現在では全国各地の学校がこのイベントへ参加しており、短歌を通じた教育ならびに現代の学生が短歌を詠むことで現代人の感性を知ろうというひとつの試みとなっている。
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