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(む)とは、否定を一般化した表現。対義語は。「定義されていない(未定義)」こととは意味合いが異なる場合がある。

指す対象を取って形容詞または接頭辞として使われることが多く、その場合は単に対象(の存在)の否定であるが、固有名詞としての「無」は指す対象が文字通り無いため、高度に抽象的な概念と言える。

定義


  1. 物事が存在しないこと。
  2. 物事が、ある状態の下にないこと。

用例


  • ~が無い。~は無い。
  • ~では無い。
  • 絶対無。 完全な無。
  • 無から有は生じない。
  • 彼は無能力だ。
  • 無いものは無い。

類義語


虚:中身が無いこと。
未:過去から現在にかけて存在しない、行われていないこと。
不:~ではない。論理的な否定を強調する表現。
非:~とは違う。相違を強調する表現。

各分野における無


物理学

古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子陽電子のペアが、突然出現することが認められている。このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。

哲学

哲学存在論/存在)において「無」という場合は、有に対する無であって、相対的な概念である。絶対無とは、思考上の産物であって、単なる概念であり、一見すると現実には存在しないように見える。また、そもそも西洋哲学史では有の方向に重点が置かれ、しばしば有が無を包括する絶対有の性格を帯びる(後述するように、これがの本質である)。無が有より軽んぜられたことは、「無」がBeingに対して常にNon-beingとしかいわれない、という言語的な事実にその証拠を見出すことができる。 一方、東洋では無をむしろ強調し、非-有(Non-being)を超えた意味合いを含ませた。しかし、絶対無であれ絶対有であれ、両者は非常に近い事柄を指していると考えられる。純粋な絶対有は、そのあまりの純粋さのために、無内容性を持つ。マルティン・ハイデッガーの晩年の著作はその点を特に裏付けていた。現代でもレヴィナス思想などに見えるもので、「なにものもない不在の闇に確かにある」などとして語られる。ここから分かるように、決して両者は対立しあう概念ではなく、単にまやかしの概念ともいえない。このことは古今東西数知れない学者が確認している事実である

数学

数学で無を表すのは0(零)である。数学において0は他のいかなる数とも異なる、多種の特異な性質を持つ。0の発見によって、数学は無を記述できるようになった。0と違い、負数は量を持つ点でやはり有の一形態である。

イスラム教

イスラムにおける存在一性論で「真空のゆらぎ」から「の慈愛」によって、様々なものに存在が自己顕現するという説明をする。井筒俊彦の研究によって、イスラムにおける神学と哲学の発達が、東洋思想とも西洋思想とも有と無の問題に関して深く繋がっていることが明らかになった。ここでいわれている神の存在は、突き詰めれば東洋の絶対無と同じ事柄を指している、と井筒はいっている。

キリスト教

キリスト教では、有が大前提であり、無は有に対立する概念である。聖書には無の概念について、特別なことは書かれていない。しかし、有と無の対立を超えたところにが存在するとする。実際には、有の方向が強調され、無(非-有)との相対的な対立を超えた絶対有とでも呼べるものを考えている。これが神の本質である。否定神学などは神が無であるかのように記述したが、その意図はむしろ神の存在を高め、神の純粋性をより深めるものであった。従って、西洋思想史の全体に渡って、無が主要なテーマとして強く意識されたことはほとんどない。

東洋

東洋思想では、絶対無・0)・真如などと呼んできた。これらは必ずしも一括りで語りつくせるものではないが、切り離せない共通性を帯びている、あるいは思想史的に繋がっていることが確認されている。

インド
  • 古代インドにおける無の概念は、紀元前5世紀には整理されヴェーダに記述されている。
  • 日本においては「存在しないこと」を「無」というが、インドにおいては「存在しないこと」を「無が存在する」という。

仏教
釈迦の説く仏教の内容は、文献や学派によって異同があるものの、ほぼ次の五つに集約される。
未生無(みしょうむ)
原因が無いとき、結果は生じて無いということ。
已滅無(いめつむ)
過去にあったが滅したものは、すでに無いということ。
不会無(ふえむ)
今この場所に無いということ。
更互無(こうごむ)
AはBでは無い、BはAでは無いということ。
畢竟無(ひっきょうむ)
過去に無く、未来に無く、現在にも無いということ。存在し得無いこと。

中国・老子
中国における無は、有に対する無ではなく、有無の対立を超えた絶対無である(前述の哲学の項も参照されたし)。単に非-有(Non-being)の意味に解し、虚無主義と誤解してはならない。それは日常のなにものでもないから、否定の接頭辞ので語られる。通常「無い」というのは、価値の無いことと同義とされるが、中国では、老子の思想に代表されるように、無用の用(たとえばモノを入れるカゴは、中身が無いからモノを入れることができる)ということが強調されている。また、宇宙の始元を無極という。井筒俊彦によれば、これは純粋な存在が充実して窮まったところに現われる絶対無であり、絶対無と純粋な存在は実は同一である。無極は別名太極ともいうが、とが互いに相手を飲み込もうとする太極図で示される。なお、物理学による解釈では、この無極は、完全な無ではなく、ちょうど物理学でいう「真空のゆらぎ」に相当すると考えられている。

禅宗
禅宗においても、無は根本的なテーマとして掲げられてきた。「狗に仏性はあるか」という問いに対し、「無い」と喝破したことを伝える「無門関」の第一公案は、極めてその方向性を強調している。ここでいわれている無もまた、決して単なる非-有(Non-being)ではなく、有と無の対立を超えて、それらを包括するような絶対的な根源としての無である。この公案の登場人物である趙州は、この無を理解することこそ最初の要であり、そして最終的な到達点でもあると述べている。

関連項目


参考文献


  • 『日本の哲学 第5号 特集 無/空』日本哲学史フォーラム、昭和堂、2004、ISBN4-8122-0420-8

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