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火葬場(かそうば)とは、遺体火葬焼却するための施設

成立の意義と背景


火葬場が必要とされたおもな背景は、都市における土葬での墓地確保が困難であることと、疫病の拡大を防止する、という点がある。したがって、都市においては、古代の段階から、恒常的な火葬場が存在したのに対し、地方では防疫のために設けられる臨時の意味合いが濃かった。 もともと火葬は人里離れた野原で行われていた(「野焼き」という)。近現代になってからは墓地などに恒久的な炉が併設されるようになり、更に現在では、墓地とは無関係に、独立した専門の施設が設置されるようになった。

歴史


古代・中世

  • 中世から近世の京都では五三昧とよばれる施設があった。鳥辺野(鳥部野)が有名。
  • 中世前期までは、おもに貴族や僧侶が火葬された。荼毘所、龕屋という。
  • 施設が未熟であった時代、生焼けになることも多かったため、ある程度専門的な知識と技術を要した。固定化した従事者は「三昧聖」「オンボウ(隠亡)」などとよばれた。死穢のタブーから、卑賤視されることもあった。ただし、戦後でも、ケガレ観念の薄い地方(特に東北地方)では、特定の家の職能ではなく住民が交代で担当していた。
  • 浄土真宗は火葬を推進したため、その信仰圏では火葬場が村ごと集落ごとに建てられた。

近世・近現代

  • 火葬場は「焼き場」「火屋」「三昧」とよばれた。都市の形成にともなって数を増やしていったが、京都では秀吉廟の建造にともない鳥辺野の火葬場の臭気が疎まれて移転したり、江戸では4代将軍徳川家綱上野寛永寺参詣時に臭気がおよんだことから小塚原に統合されるなどした結果、徐々に郊外で大規模化していく。寺院が経営することが多かった。
  • 明治6年1873年7月18日火葬を禁ずる太政官布告が出るが、土葬用地を確保することが困難となり、明治8年1875年5月23日撤回される。
  • 木村荘平により葬祭事業をあつかう企業が設立され、現在も都内に私営火葬場を多数所有。全国的に公営火葬場が多い中、東京23区だけは特殊な状況にある。
    • 公立のものは、都営瑞江葬斎場のみであったが、臨海部広域斎場組合臨海斎場がオープンした。
  • 激しい差別に見舞われたハンセン病患者は、一般住民と同じ火葬場を使用することが許されず、療養所内の火葬場で、火葬係を命ぜられた入園者の手によって荼毘に付された。岡山県長島にある火葬場は、長島愛生園邑久光明園との共用として国の隔離政策が終わる2000年12月まで使用されていたという。

現状


現在の火葬場は、主に各市町村の清掃・衛生関連部署による運営や、複数の市町村が一箇所に集約して使われる行政組合による運営のものが多いが、一部民営や半官半民(PFI)といった形態で設置・運営しているものもある。米国ではサービスコーポレーションインターナショナルのような大規模な葬儀チェーンに組み込まれている場合もある。

構造

初期のものは「三昧」と呼ばれる木材や藁を燃料とした簡易な火葬炉があるだけ、あるいは集落の集会場と火葬炉といった素朴・単純なものだったが、近年建設された建物については、火葬炉と炉前ホールのほかに最後の別れをする告別室と骨上げを行う収骨室が備えられていることが多い。一部の大規模な火葬場は通夜葬儀が行えるように式場と親族控室を併設しており、売店や骨上げまでの待合室として喫茶室などが設けられている総合斎場もある。また、一時期は高い煙突が火葬場の象徴ともなっていたが、技術的には燃料の石油化、ガス化や火葬炉排気の再燃焼処理の普及、社会的には火葬場がそばにあるということへの近隣住民の拒否感などにより、近年設置される火葬場において煙突が見られることは殆どない。 燃料は長らく薪であったが、A重油、白灯油、特に近年はLPGガスが多い。過去には稀に電気という施設もあった。

「迷惑施設」としての火葬場

火葬場の改築・移転には当該地域の住民による反対運動がおこりやすい。そこでいくつかの自治体が集まって広域行政組合を設立し、広域斎場を設けることで、そのリスクを低減することを図る傾向がある。同様の事情から、住宅地から離れた場所に立地しようとするのが一般的だが、日本の住宅事情を考慮すると、必ずしもそのような場所に作れるとは限らない。そのため都市部のような場所においては、周辺を森で囲む・ぱっと見ただけでは火葬場とはわからない外観など、周辺地域に配慮した立地となっている。乗り入れる霊柩車も、派手な宮型・寺院型のものは自粛するようになっている。また、名称も「~斎場」「~聖苑」などが多く、「~火葬場」とする施設は激減している。寺院建築風の旧式火葬場は、2005年閉鎖・解体された千葉市営火葬場のように、改装・移転にともなって、急速に姿を消しつつある。

火葬から収骨まで

日本では、火葬後に骨上げを行い骨壷におさめるという流れになっているため、炉前で遺体を見送り、火葬後に拾骨するというところまでがセットになっている。また、骨上げをするため、骨をきれいに残すことが重視されるため、火葬技術者には独特の高度な技術が求められている。しかし欧米では、火葬場に遺体をあずけ、後日遺骨を受け取るという流れが多いようである。また、骨上げをせず火葬後の骨は顆粒状に粉砕してさまざまなかたちをした遺骨入れにおさめて引き渡すため、日本と比べると比較的高温で焼くことが多いという。

参考文献


外部リンク


死に関する慣習 | 施設

Krematorium | Crematorium | Krematorium | Forno crematório

 

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