漢民族 (かんみんぞく) は、中国(中華人民共和国、中華民国)で大多数を占める民族。中国では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の全人口の92%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人と自称することが多い。
この言葉が用いられはじめたのは、19世紀以後で、満州人と区別するためであった。中国人、台湾人という呼称もみられる。中国の伝統思想によれば、漢族というのは人種というより、文化的な違いだった。異民族でも中国人の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做したのであるが、これは漢民族自体が、多くの人種・民族の混合体として成立していった歴史を物語っていると思われる。
実際、中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。中原に住む殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。
また中国は4世紀ころから北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざったとされる。唐王朝の皇帝らも、実は北魏朝の血筋を引いており、多分に遊牧民族の末裔なのである。
一方騎馬民族に押されて南下していった漢族らも、タイ族の原住民と混交していったと考えられ、結果として、DNA的にみれば、漢民族は日本人的な均一性ではなく、たぶんにヨーロッパ人的な遺伝的バラエティを保持している。(もっとも近年の研究によれば、日本人もかなり大きな遺伝差があることが明らかにされつつある)
いわゆる漢民族と現在カテゴライズできる人口は、長らく中国内地から大きく移動することはなく、国家の繁栄と戦乱に伴って同領域内で大きく増減を繰り返すにとどまった。これは清代中期までは江南・湖広の生産力にまだまだ人口を支える余力があったこと、明・清王朝は長らく海禁政策を採用したこととが大きな理由としてあげられる。加えて異民族王朝である清朝は満州(現在の中国東北部)・内モンゴル・新疆などへの漢族の移動まで禁じ、意識して漢民族の膨張を抑止しようとした。
タイの華人はタイ人に同化する傾向が強く、またタイ人の中にも中国由来の文化が取り入れられ、経済的にも政治的にも完全にタイ人と一体化している。政府の要職を占める華人も少なくない。
フィリピンでも、華人はフィリピン人に同化する傾向にある。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。現在でも中国語を話し、中国の習慣を残している者は60万人から100万人程度と推定される。
ミャンマー(ビルマ)の漢民族はおもに3つの出身地に分かれる。まず、移民として流入した華人には2グループあり、陸続きの雲南省からのグループと、他の東南アジア諸国と同じように華南から海をわたってきたグループに分けられる。雲南省からの流入は今でも続いている。次に、土着の漢民族のグループがある。かれらは、ミャンマー中央政府から先住少数民族と認められ、「コーカン族」と称されている。コーカン族の主な居住地はシャン州北部の雲南省との国境地帯であり、コーカン地区と称される。
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