江戸川(えどがわ)は、茨城県五霞町、千葉県野田市で利根川と分かれ、東京湾へとそそぐ一級河川。全長59.5km(旧江戸川河口より)、流域面積は約200km²。流域は、茨城県、千葉県、埼玉県、東京都の1都3県にまたがる。
江戸川放水路は行徳可動堰(江戸川河口堰)を通り市川市・船橋市方面の河口から、旧江戸川は新中川と合流し浦安市・東京都江戸川区方面の河口から、東京湾へと流れている。なお、江戸川の河口付近には、三番瀬など東京湾でも数少ない干潟が広がる地域でもあり、トビハゼの北限生息地となっているほか、汽水性の希少なトンボであるヒヌマイトトンボの生息地のひとつでもある。
なお、旧江戸川河口にある堀江量水標の零位は、Yedogawa Peilの略である「Y.P.」(ワイ・ピー)と呼ばれ、利根川や江戸川、霞ヶ浦、那珂川等の水位を測量する際の基準面となっている。Y.P.0m=T.P.-0.840mである(「T.P」はTokyo Peilの略で、東京湾の平均潮位を零位として、山の標高や河川などの水位を測量するときの基準面となっている)。
明治時代に入って陸上輸送が鉄道に取って代わられるまでは、利根川を経由して東北地方や北関東からの物資を運ぶ流通幹線としての役割を果たしていた。
その結果、江戸川は、東北地方や北関東からの物資を涸沼と霞ヶ浦、および銚子から利根川経由で江戸へと運ぶ流通幹線(房総半島を周回する海路よりも距離が短く安全性も高かった)となり、流域には河岸が作られて大いににぎわう事となった。江戸川周辺では、野田の醤油、流山のみりんなどが産物として江戸に運ばれた。1890年には、利根運河を開いて水路短縮が図られたが、その後すぐに鉄道網が整備され、水運は急速に衰退していく事となった。
また、1919年に河口部に江戸川放水路が開削され、こちらが本流となった。もとの流れは旧江戸川と呼ばれている。