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稲作
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(た)は、穀物を栽培するために区画された農地をいう。説文解字には「穀を樹うるを田という」とあり、漢字圏ではこの用法が一般的である。しかし、日本では特に田(rice field)を指すことが多く、田んぼ田圃)とも呼ばれる。当初は、他の漢字圏と同様、穀物農地を意味する語だったが、次第に稲田に限定して使用されるようになった。そのため、穀物などの農地一般を表す「畑」という漢字が作られた。

日本の土質は火山灰の影響で酸性が強いため土壌鉱物成分から有害な金属イオンが溶出し易く、またさらに、火山灰起原の粘土鉱物アロフェンが土中のリン酸を不可逆的に吸着して不溶化するので、本来、農耕には不向きである。しかし、水に溶かした養分を蓄える水田という形態は、日本の状況に適合しており、このため、中国大陸に見られる麦などの穀物栽培が普及しない代わりに稲作水田がよく定着することとなり、それに伴い「田」も稲作水田を意味するようになったのであろう。

稲田は、日本中国タイ王国など稲作栽培が広まっているアジアを中心に見られる。

農業形態としての「田」


水を張っている田を水田という。 山地で階段状になっている田を、棚田(千枚田)という。また農耕をやめている田は、休耕田である。 また特殊な用途のために耕作されている田もあり、例えば、神社の豊穣祭などに供えるための稲を育てている田などもある。神田といい、江戸時代より前は年貢などの諸税が免除されたため、税から逃れる目的で、農民は神社へ田を寄進し、各地に神田が設定された。東京の古い地名の「神田」はこれから由来しているという。

苗植え前の水を張った田を代田(しろた)、苗植えを終えた田を代満(しろみて)と言う。

稲以外の穀物を作るを水の無い田と言うことで陸田と呼ぶこともある。

水田は、畝(うね)で囲まれた面ということになり、境の畝を畦畔(けいはん)と呼び、隣の田との境と、高低差を確保することになる。水の出入りの為、取水口と排水口があり、それぞれが離れた位置にあるのが普通である。流量を規制するための板なり弁が設けられ、水位を調整することが出来るようになっている。温度管理の為にかけ流しを行ったり、貯めておくなりの用途に用いられる。

農業機械が出入りするための乗り入れ路が付けられている場合もあり、コンバイントラクターが出入りできるようになっている。重機械が入る場合は、深いところまで耕すと機械が沈むので、一定の深さまでしか耕さないことがある。

平地で大きな面積を確保できる場合も、一定の面積で区切ることが管理上有効であり、面積の単位としての「(たん)」が田んぼの一枚であることが多い。1反で300坪。

稲を植えることを、田植えという。かつては田に長い糸を張り、糸に沿って手で稲の苗を一本ずつ植えていた。非常に重労働であるため、江戸時代には近隣の者を雇って田植えを行うことが盛んだった。戦後は田植え機が普及し、田植え作業はほぼ機械化された。ただし、田の隅部や小さい田などの機械で田植えできない箇所は、いまだに人力で田植えが行われている。

不動産としての土地の地目としては「田」であることが多く、日本では取引に際しては農業委員会の許可が必要な場合があり、買い受けるには一定の資格が必要である。宅地など他用途への転用については農地法での転用の手続きが必要であり、休耕田を勝手に埋め立てて、他用途転用してはいけない。

日本では、減反政策や宅地化により、水田の面積は減少傾向にある。

文字文化としての「田」


現存する日本最古の文字は、三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に墨書されていた「田」であるとされている。

日本では、田がある地域、田があった地域には、地名に「田」が付いていることが多く、またその呼び名からはその場所の地形や開墾の歴史などが容易に推察されるものが少なくない。

  • 田の場所にちなんだもの- 東田、西田
  • 開墾の歴史などから- 新田
  • 神社の祭式用などの目的から - 神田
  • その田の収穫実績などの評価から - 千代田
  • 実際には、農業用の田ではないものの、池、湖沼をそれにたとえるもの- 八甲田

同様に、日本人の苗字に「田」が付いているものが多い。

また、「男」という字は、説文解字によると、田と力から成り立っており、「男は力を田に用いる」からだとされている(ただし、甲骨文の男は、田と耒(すき)から成っており、力は耒が変形したものである。甲骨文の時代、「男」は農地の管理者を意味していた)。

田にまつわる信仰


田が発祥した中国では、田の神の祭事が行われていたが、早い時期に失われ、今に伝わっていない。

日本では、弥生時代に農耕が伝わったとき、農耕収穫あるいは田に対する信仰が生まれたとされている。各地の神社で執り行われる秋の例祭(いわゆる秋祭り)は、田からの収穫を祭る名残であろうと考えられる。平安時代中期には、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から田楽という芸能がおこり、その後、猿楽能楽などの諸芸能へと発展していった。

田からもたらされる豊作を祈願する神社としては、愛知県小牧市の田県神社(たがたじんじゃ)が、その豊年祭という奇祭で知られている。

豊穣豊作を祈願する田の神は、国内では地方ごとにさまざまな呼び名と祭り方がある。農神と呼んだり、山の神、土地の神、あるいは水神様と同一視する場合もある。

環境としての「田」


水田耕作は、日本各地の主要な農地の形態であり、多くの地域で大きな面積を占めていた。春から夏にかけての雨の多い時期に、これだけの広さの水溜を持っていたことになる。雨は直接に川に流れ込む前に、水田を通過することで大量集中することを免れ、治水効果は大きいものと言われる。

また、水田は多様な生物の生息環境であった。浅くて富栄養な、生産力の高い水域が広がっていたことで、カエルドジョウタニシなどの生息個体数は莫大なものであた。それがコウノトリトキタンチョウなどの鳥類やタガメのような大型肉食昆虫の生息を維持する基盤となっていた。それ以外にも、水田は小型動物が多数生息し、その中には水田にのみ見られるような種も多かった。たとえば、ホウネンエビカブトエビがそれで、これらは冬季には水がなくなるという特殊な水域である水田で、その期間を耐久卵で過ごすことでそれに適応したものである。また、同地域の他の水域、たとえば川や湿地や池では見られない水草が、水田には多数生息しており、水田雑草と呼ばれる。

水田にはそれらを合わせた独特の生物群集があった。水田土壌中の微生物も、土壌の有機物の流れに深く関わり、これらが水田という生産システムそのものの一側面ですらある。しかし、第二次大戦後の様々な変化の中で、水田の環境は劇的に変わった。コウノトリ・トキはほぼ絶滅、タガメゲンゴロウガムシタニシは見ることができなくなり、特有の水田雑草の中からも何種もが絶滅危惧種に指定される有様である。

関連項目


農業

Paddy field

 

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