楚(そ ? - 紀元前223年)は中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は郢(ただし、名前が同じだけで場所は何度か変わっている)。
紀元前334年、威王は攻め込んできた越王無彊の軍勢を破り、逆に越に攻め込んでこれを滅ぼした。
その後も秦の攻勢は強くなる一方で、紀元前278年に白起により首都を陥とされ、陳に遷都した。
その後は春申君の主導の下に項燕将軍(項羽の祖父)の活躍で秦に対して抵抗したが、春申君が死ぬとまともに国政を執れる者がいなくなり、秦の王翦将軍に項燕が破れ、最後の王負芻は捕虜となり、処刑され紀元前223年に滅びた。
その後始皇帝が死去し秦の政治が腐敗し反乱が起きると、項梁が懐王の孫を擁立し西楚を建国した。西楚について詳しくは項羽を参照のこと。
このことによって、いわゆる「白起抜郢」の年代あるいは文字統一の年代に修正が加えられる可能性が指摘されている。
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