根拠に基づいた医療あるいはエビデンスに基づく医療(EBM: Evidence-based Medicine)とは、医療に科学的手法を取り入れようとする運動のひとつである。医療行為における治療法の選択などにあたっては、理論や経験や権威者の判断ではなく、確固とした疫学的証拠に基づき、科学的に最良の判断をすべきであるという考え方を最大の特徴とする。中国語では、循証医学、実証医学、証拠医学などと訳されている。
いわば、医療を経験や勘による職人の世界から、検証可能な科学の世界へ移行させようという試みともいえよう。
すべての医療行為は医学的判断に基づいて行われる。従来、この判断は多くの部分を医療者の経験や権威者の提言、あるいは生理学的原則・知識に基づいた判断に従って下されており、治療者や国によって治療法が違うのも当然である、といった状況が長く続いてきた。
権威がものをいう例としては「この治療法はこの病院で100例以上の実績があって良好な成績を収めた」、「有名人の誰それがこのダイエット法で10kg痩せた」といった判断がある。また、生理学的判断の例としては、「緑茶は実験室にて抗菌作用や抗酸化作用が示されたため健康に良い」「カルシウムを多く含む食品を多く食べることで骨が丈夫になり骨折のリスクが減らせる」といったものがある。この程度の「理由付け」による価値判断は、マスコミや一般向けウェブサイトに溢れている。また従来、医療従事者にとっての価値判断もこのようなものでしかなかった。
しかし1990年代より、治療法の選択などについては、正当性は厳格にコントロールされた実験結果で示すべきであるという議論が高まってきた。米国で始まり世界に広がったこの動きはEBM(Evidence-based Medicine)と呼ばれ、日本では根拠に基づいた医療と訳される。
このEBMは、通常行われている診療行為自体を、批判的な立場に立って見直すものである。最も大きな特徴としては、権威や個人の経験によらないのみならず、生化学的、あるいは生理学的な研究によって得られた知識や説明すらも重視せず、無作為的な大規模実験の結果を、「根拠」として最重視することにある。
すなわち、EBMに言う最も有効な「根拠」とは、実際の臨床試験による最終成績の改善、という証拠のことである。何らかの結果を説明するための単なる「理由づけ」や、実験室での結果・単なる症例報告、といった程度のものは、EBMにおける「根拠」としては、はるかに低い位置にランクされる。臨床実験は、適切に症例を集め、適切にデザインをし、適切に運用したものであることが求められ、通常は無作為二重盲検法が、信頼性、客観性のある手法として求められる。医療従事者の間では、敢えて誤解を招きやすい「根拠」の語は使わず、エビデンスと外来語の表記のままに言うことが多い。
信頼性のある「エビデンス」として有効性が広く認められる臨床試験を行うためには、通常は無作為割り付け比較試験(むさくいわりつけひかくしけん、randomized controlled trial)が取られる。これは試験対象の薬と対照となる介入の間で比較対照実験を行うときに使われる手法である。
「無作為」とは対象群を、治療群と非治療群等のグループに全くランダムに割り振ることである。これは「ダブルブラインド試験」とは意味が異なっており,「ダブルブラインド(二重盲検化)」とは、患者自身も処方する側(医師)も、対照薬を使っているのか本物の薬を使っているのか知らない状態で試験を行うことである。これによって、医師側の「この人は対照薬だから症状が改善しないはずだ」といった思いこみや、患者側の「この薬は本物のはずだから症状が良くなるはずだ」といった思いこみ(プラセボ効果)によるバイアス(偏り)を排除し、客観的な研究結果を出すことが出来る。
もちろん、あらゆる治療法について二重盲検法が可能なわけではない。手術の2つの術式でどちらが有効かを決める際には、無作為化は可能であっても二重盲検法をとることは事実上不可能である。
「根拠に基づいた医療」の成果を端的に示すエピソードのひとつに、心筋梗塞後の抗不整脈薬の使用についてのCAST studyがある。心筋梗塞は急性期が過ぎてから合併する不整脈が時として致死的となるため、抗不整脈薬が有効であるという理論、予測が従来からあり、抗不整脈薬が予防的に投与されていた。どのグループの薬剤がもっとも効果的かを調べるため、無作為二重盲検法による臨床実験が行われた。しかし中間報告で最も死亡率の低いのは薬剤非投与群だったことが判明。これ以上投与を続けることは危険として、試験の一部が打ちきりとなったものである。
「根拠に基づいた医療」に則った考え方は徐々に浸透し、有効なエビデンスを集積した論文集や教科書が出版されるようになった。当初はエビデンスのある治療法はごく少数しかなかったが、現在では3割を超えたという報告もあり、医療機関における治療方法の差も縮まってきている。
しかし、あらゆる治療法、あるいはあらゆる治療法の組み合わせについて臨床試験を行うことは不可能であるため、現在の最良のエビデンスを用いつつも、目の前の患者に対しどのように妥当な判断を下していくかについては、医療従事者の手腕や経験・知識が問われる状況であることに違いはない。医療は実業であり、医学は実学である。根拠に基づこうと基づくまいと、患者を治す医療が良い医療である。
EBMとは単に大規模臨床試験において結果の良かったほうの選択枝を選ぶことではなく、エビデンスに対して批判的吟味を加えた上で、目の前に患者にどう適応するか熟考する所まで含めて、初めてEBMとなる。
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