枢密院(すうみついん)とは、国王・天皇・皇帝などの諮問機関の名称である。
明治21年(1888年)、大日本帝国憲法草案審議のために創設された。大日本帝国憲法56条では、「枢密院官制ノ定ムル所ニ依(よ)リ天皇ノ諮詢(しじゅん)ニ応(こた)ヘ重要ノ国務ヲ審議ス」と規定された。初代議長は、伊藤博文。
枢密院は議長1名、副議長1名、顧問官24~28名で組織した。任用資格は40歳以上、元勲練達の者を選ぶとされていた。このほか、国務各大臣は顧問官として議席を有し、表決に加わった。東京にいる成年の親王も会議に参加した。
枢密院は施政に関与することができず(枢密院官制8条)、大臣以外と公務上の交渉を行うことを禁じられていた(枢密院事務規程第3条)。しかし、1927年の第1次若槻礼次郎内閣の総辞職や1928年の不戦条約批准問題等、1930年のロンドン軍縮条約における統帥権干犯問題において策動した。国政に隠然たる権勢を誇っていたが、昭和6年(1931年)の満州事変以後、政党勢力が後退して軍部の台頭が顕著になるに連れてその影響力は低下し、日本国憲法制定により、昭和22年(1947年)に廃止された。
| 枢密院議長(枢密院) | ||
| 1 | 伊藤博文 | 1888年4月30日-1889年10月30日 |
| 2 | 大木喬任 | 1889年12月24日-1891年6月1日 |
| 3 | 伊藤博文 | 1891年6月1日-1892年8月8日 |
| 4 | 大木喬任 | 1892年8月8日-1893年3月11日 |
| 5 | 山縣有朋 | 1893年3月11日-1894年12月18日 |
| 6 | 黒田清隆 | 1894年3月17日-1900年8月25日 |
| 7 | 西園寺公望 | 1990年10月27日-1903年7月13日 |
| 8 | 伊藤博文 | 1903年7月13日-1905年12月21日 |
| 9 | 山縣有朋 | 1905年12月21日-1909年6月14日 |
| 10 | 伊藤博文 | 1909年6月14日-1909年10月26日 |
| 11 | 山縣有朋 | 1909年10月26日-1922年2月1日 |
| 12 | 清浦奎吾 | 1922年2月8日-1924年1月7日 |
| 13 | 濱尾新 | 1924年1月13日-1925年9月25日 |
| 14 | 穂積陳重 | 1925年10月1日-1926年4月8日 |
| 15 | 倉富勇三郎 | 1926年4月12日-1934年5月3日 |
| 16 | 一木喜徳郎 | 1934年5月3日-1936年3月13日 |
| 17 | 平沼騏一郎 | 1936年3月13日-1939年1月5日 |
| 18 | 近衛文麿 | 1939年1月5日-1940年6月24日 |
| 19 | 原嘉道 | 1940年6月24日-1944年8月7日 |
| 20 | 鈴木貫太郎 | 1944年8月10日-1945年4月7日 |
| 21 | 平沼騏一郎 | 1945年4月9日-1945年12月3日 |
| 22 | 鈴木貫太郎 | 1945年12月15日-1946年6月13日 |
| 23 | 清水澄 | 1946年6月13日-1946年9月26日 |
枢密院議長は内閣の閣僚として通常、下院院内総務の任務を果たす。
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