東北地方(とうほくちほう)
一般に、ある国の領土の北東部分にある地方。現地の言葉で「北東地方」「東北地方」にあたる名詞が固有名詞化してその地域を指していたとしても、日本の「東北地方」との混同を防ぐため、中国の東北地方以外は「北東部」「東北部」などが使われる。
この記事では、1の日本の東北地方について述べる。
| 東北地方のデータ | ||
| 六県の合計 | ||
| 面積 | 66,889.40km² | |
| 総人口 | 9,634,466人 (2005年10月1日) | |
| 人口密度 | 144.04人/km² (2005年10月1日) | |
| 位置 | ||
| Tohoku-region_Small.png | ||
北海道の南、関東地方の北、北陸地方の東に位置する。青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県から成る。交通面などで関東と一緒にする場合は東日本(本州の東の部分)、気候・気象面などで北海道と一緒にする場合は北日本に属する(日本の北の部分)。新潟県は北陸地方(中部地方)に属するが、便宜的に含める場合もある。
| 県名 | 総面積(S) |
|---|---|
| 岩手県 | 15,279km² |
| 福島県 | 13,783km² |
| 秋田県 | 11,612km² |
| 青森県 | 9,607km² |
| 山形県 | 9,323km² |
| 宮城県 | 7,285km² |
| 合計 | 66,889km² |
| 県名 | 可住面積(P) | P/S |
|---|---|---|
| 福島県 | 4,218km² | 30.6% |
| 岩手県 | 3,710km² | 24.3% |
| 青森県 | 3,204km² | 33.4% |
| 秋田県 | 3,155km² | 27.2% |
| 宮城県 | 3,130km² | 43.0% |
| 山形県 | 2,850km² | 30.6% |
| 合計 | 20,267km² | 30.3% |
| 県名 | DID面積 | DID/P | DID/S |
|---|---|---|---|
| 宮城県 | 231km² | 7.4% | 3.2% |
| 福島県 | 176km² | 4.2% | 1.3% |
| 青森県 | 156km² | 4.9% | 1.6% |
| 山形県 | 113km² | 4.0% | 1.2% |
| 秋田県 | 87km² | 2.8% | 0.7% |
| 岩手県 | 86km² | 2.3% | 0.6% |
| 合計 | 849km² | 4.2% | 1.3% |
| 県名 | 人口密度(人/S) | 可住地人口密度(人/P) |
|---|---|---|
| 宮城県 | 325.6人/km² | 757.7人/km² |
| 福島県 | 153.3人/km² | 500.8人/km² |
| 青森県 | 152.0人/km² | 455.6人/km² |
| 山形県 | 131.9人/km² | 431.5人/km² |
| 秋田県 | 100.5人/km² | 370.0人/km² |
| 岩手県 | 91.7人/km² | 377.8人/km² |
| 東北6県 | 145.7人/km² | 480.7人/km² |
日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することが出来る。
太平洋側には北上山地と阿武隈山地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場がなく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈山地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。
これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。
日本海沿岸と奥羽山脈西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で日本最高気温40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。
太平洋側の奥羽山脈東側(盆地)は、太平洋沿岸と「日本海側グループ」の中間のような気候になっている。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。
太平洋沿岸は、夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。
主な都市の冬 (平年値)
| 都市 | 降雪量累計 | 最深積雪 | 1月の日照時間 | 日隔差 | 1月気温 | |
| 札幌 | 630 cm | 101 cm | 97.2 時間 | 8.6℃ | -4.1℃ | |
| 深浦 | 385 cm | 44 cm | 31.3 時間 | 4.7℃ | -0.4℃ | |
| 秋田 | 409 cm | 41 cm | 44.6 時間 | 5.4℃ | -0.1℃ | |
| 酒田 | 375 cm | 37 cm | 39.9 時間 | 5.4℃ | 1.5℃ | |
| 青森 | 774 cm | 114 cm | 56.7 時間 | 5.8℃ | -1.4℃ | |
| 新庄 | 878 cm | 126 cm | 43.1 時間 | 5.8℃ | -1.3℃ | |
| 山形 | 491 cm | 50 cm | 89.6 時間 | 6.6℃ | -0.5℃ | |
| 若松 | 537 cm | 58 cm | 80.9 時間 | 6.4℃ | -0.7℃ | |
| むつ | 564 cm | 70 cm | 77.0 時間 | 6.8℃ | -1.6℃ | |
| 盛岡 | 351 cm | 36 cm | 124.0 時間 | 7.6℃ | -2.1℃ | |
| 福島 | 235 cm | 26 cm | 136.6 時間 | 7.3℃ | 1.4℃ | |
| 白河 | 173 cm | 21 cm | 160.9 時間 | 8.6℃ | 0.2℃ | |
| 八戸 | 318 cm | 33 cm | 134.5 時間 | 7.0℃ | -1.2℃ | |
| 宮古 | 186 cm | 32 cm | 163.6 時間 | 8.8℃ | 0.2℃ | |
| 大船渡 | 77 cm | 13 cm | 148.6 時間 | 7.3℃ | 0.7℃ | |
| 石巻 | 56 cm | 17 cm | 167.6 時間 | 7.2℃ | 0.5℃ | |
| 仙台 | 90 cm | 17 cm | 151.3 時間 | 7.2℃ | 1.5℃ | |
| 小名浜 | 14 cm | 6 cm | 189.6 時間 | 9.1℃ | 3.6℃ | |
| 東京 | 13 cm | 7 cm | 180.5 時間 | 11.9℃ | 5.8℃ |
主な都市の夏 (8月 の平年値)
| 都市 | 平均気温 | 最高気温 | 最低気温 | 日隔差 | 日照時間 | 降水量 | |
| 札幌 | 22.0 ℃ | 26.1 ℃ | 18.5 ℃ | 7.6 ℃ | 173.5 時間 | 137.3 mm | |
| 深浦 | 23.1 ℃ | 26.8 ℃ | 19.9 ℃ | 6.9 ℃ | 185.9 時間 | 157.4 mm | |
| 秋田 | 24.5 ℃ | 28.6 ℃ | 20.9 ℃ | 7.7 ℃ | 200.4 時間 | 181.9 mm | |
| 酒田 | 24.9 ℃ | 29.1 ℃ | 21.0 ℃ | 8.1 ℃ | 211.6 時間 | 175.8 mm | |
| 青森 | 23.0 ℃ | 27.6 ℃ | 19.3 ℃ | 8.3 ℃ | 190.8 時間 | 129.3 mm | |
| 新庄 | 23.9 ℃ | 28.9 ℃ | 19.8 ℃ | 9.1 ℃ | 177.5 時間 | 174.5 mm | |
| 山形 | 24.6 ℃ | 30.2 ℃ | 20.3 ℃ | 9.9 ℃ | 184.7 時間 | 148.8 mm | |
| 若松 | 24.8 ℃ | 30.4 ℃ | 20.3 ℃ | 10.1 ℃ | 199.5 時間 | 131.0 mm | |
| むつ | 21.7 ℃ | 25.7 ℃ | 18.2 ℃ | 7.5 ℃ | 152.8 時間 | 140.4 mm | |
| 盛岡 | 23.2 ℃ | 28.1 ℃ | 19.2 ℃ | 8.9 ℃ | 158.8 時間 | 177.8 mm | |
| 福島 | 25.2 ℃ | 30.2 ℃ | 21.5 ℃ | 8.5 ℃ | 159.7 時間 | 144.3 mm | |
| 白河 | 23.3 ℃ | 28.1 ℃ | 19.7 ℃ | 8.4 ℃ | 154.0 時間 | 228.2 mm | |
| 八戸 | 22.3 ℃ | 26.5 ℃ | 19.1 ℃ | 7.4 ℃ | 173.3 時間 | 139.8 mm | |
| 宮古 | 22.2 ℃ | 26.4 ℃ | 19.1 ℃ | 7.3 ℃ | 165.2 時間 | 180.8 mm | |
| 大船渡 | 23.0 ℃ | 26.9 ℃ | 19.8 ℃ | 7.1 ℃ | 161.5 時間 | 198.6 mm | |
| 石巻 | 23.5 ℃ | 26.9 ℃ | 20.8 ℃ | 6.1 ℃ | 178.1 時間 | 127.0 mm | |
| 仙台 | 24.1 ℃ | 27.9 ℃ | 21.2 ℃ | 6.7 ℃ | 155.4 時間 | 174.2 mm | |
| 小名浜 | 23.9 ℃ | 27.3 ℃ | 18.5 ℃ | 8.8 ℃ | 193.9 時間 | 141.7 mm | |
| 東京 | 27.1 ℃ | 30.8 ℃ | 24.2 ℃ | 5.8 ℃ | 177.5 時間 | 155.1 mm |
また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側はリマン海流と対馬海流の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。黒潮は速度が速いため、江戸時代まで太平洋側の海運は発達しなかったが、日本海側は海流の速度が遅いために東北地方の物流の中心として古代から発達した。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。
太平洋側(陸奥)は、沿岸平野が、いわき市周辺、仙台平野、八戸周辺と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」としての歴史が綴られている(→みちのく)。一方、日本海側(出羽)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」としての歴史が綴られている(→越後国の先にある地域)。
藩政時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。
令制国 の区分では、太平洋側の「陸奥国」に、奥羽山脈の西側にある会津地方や津軽地方を含み、その他の日本海側の部分が「出羽国」となっている。しかし、陸奥と出羽の境界は時期により変更されることが度々あった。基本的に、奥羽山脈東側(太平洋側)が陸奥、日本海沿岸南部地域が出羽であり、その間の挟まれた奥羽山脈西側盆地群は、陸奥側の政治勢力の消長によって陸奥と出羽の間で所属が変化していたようである。そのため、会津・津軽の他、現在の山形県内陸部(村山地方および置賜地方)や秋田県内陸部が陸奥国に区分されたこともあった(参照: #歴史、陸奥国、出羽国)。
すなわち、測量された地図が無かった時代には、東北地方の「内陸勢力」版図が陸奥国、日本海側「沿岸勢力」版図が出羽国とされていたと考えられる。鎌倉時代以降は、日本海沿岸地域は政治勢力化せずに商業勢力に留まることが多く、陸奥国側の内陸政治勢力が陸奥と出羽を一体的に「奥州」として管轄した。
この陸上交通の再編成により、青森県・岩手県・秋田県の3県を「北東北」、山形県・宮城県・福島県の3県を「南東北」と区分する例が増加している。北東北3県は、各県の活動により三県連合の枠組みがつくられたが、青森市と秋田市では、鉄道を利用した場合の所要時間が長いために完全には空路から新幹線に旅客がシフトせず、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。そのため、期待していたほど北東北3県都(青森・盛岡・秋田)の経済的結び付きは強くならなかった。一方、南東北3県は、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していた上、陸上交通の改善によりその経済的枠組みをさらに強くした。南東北においては、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成しており、南東北3県都(仙台・山形・福島)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている。
このように南北に長く、南北に山脈や山地が走る地形であるため、自然障壁のある東西交通よりも南北交通の方により力点の置かれた交通インフラが形成されてきた。そのため、とりわけ時間距離が短くなった太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなり、東京への連絡も新幹線が優位に立っている。また、津軽海峡を挟んだ青森県と北海道との間でも、青函トンネルの開通によって諸都市間の関係が深まっている。
一方、東西交通は20世紀末までに秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山と会津若松、仙台と山形、盛岡と秋田となどとの間で自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。
以上のような東西交通における自然障壁の解消により、現在の東北地方は、東京との関係で見ると、交通インフラの利便性の違いにより、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までが属する、いわば「新幹線派地域」と、それ以外の日本海沿岸地域が属する「飛行機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界は出羽山地と言える。「新幹線派地域」にある仙台空港は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の「東北地方拠点空港」として機能している。日本海沿岸地域(津軽・秋田・庄内)は、東北新幹線に接続するまで時間がかかるため、東京とは空路需要が強く、「飛行機派地域」となっている。
日本海沿岸地域は、古代からの海運の歴史の他、羽越本線や国道7号の陸上交通路の発達により新潟県との関係が深く、いわき市周辺は、陸前浜街道の時代から始まり、常磐線・常磐道・国道6号などの陸上交通路の発達が早くからあったために、水戸などの茨城県北部との関係が深い。
須賀川市に位置する福島空港は、北関東の日光東照宮や那須温泉郷などへの韓国人観光客の玄関口としても機能しており、ペ・ヨンジュンも利用した。また、空港空白地域の北関東の住民にも利用されている。
『東北地方の雅称は「奥羽地方」(おううちほう)であり、「東北地方」は俗称である』とされるが、明治以降100年以上に渡って、東北地方の主要企業・国の出先機関・大学などの名称に「東北」が多く用いられてきたため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が一般的となっている。
また、「奥羽」の称は、太平洋側の「陸奥国」と、日本海側の「出羽国」を合わせた称であるが、明治元年に陸奥国と出羽国が分割され、福島県域では「陸」が付かない国名の国が設置されたため、教科書でもその国名が用いられ、日本史に詳しくない人は「奥羽地方」に福島県が含まれることを知らないこともある。
1931年の上越線全通までは、1893年全通の信越本線(上信越の枠組み)、1914年全通の磐越西線(東北7県の枠組み)が新潟県と東京の間の交通路であった。新潟県は親不知以東に位置するため、五畿七道の北陸道の東半分に当たる広大な範囲となっている。このため、新潟県の所属する地方は曖昧にされた。しかし、新潟県は明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、東北6県の置かれた事情と新潟県とは違いがあり過ぎ、仙台が新潟県を管轄して「東北7県」とするには無理があった。
なお、現在でも新潟県が東北地方に区分される場合がある。これは東北電力の存在によるところが大きい。明治時代に電力が水力発電を中心に始まったことで、東北地方の電源開発は、新潟県と福島県の県境を流れる只見川を中心になされた。そのため、東北電力は東北地方と新潟県を供給範囲としており、CMやテレビ番組でも、東北地方と新潟県を提供エリアとして「東北7県」という語を用いている。また、東北電力がリーダーシップを執る東北経済連合会でも、この「東北7県」の枠組みが用いられており、政治的には北海道東北地方知事会議おいて「北海道+東北7県」として新潟県が含まれている。しかし、新潟県は狭義の北陸地方、あるいは関東地方とのつながりが深く、新潟県が東北地方に組み入れられる事例は限定的である。
新潟県を東北地方と一緒に扱う場合は、「東北7県」「東北地方と新潟県」「奥羽越」などという。
畿内政権の律令制・中央集権体制下では、出羽国は越国(北陸道)の先にある沿岸国(船で到達でき畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くため「道奥=みちのおく(みちのく)」、すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の消長に従って変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷(俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。
奥州(東北地方)は、近畿の諸政権(天皇・公家政権、室町幕府、織田・豊臣政権)からは遠いため半独立的な政治勢力が生まれ、南関東の諸政権(鎌倉幕府・江戸幕府・明治政府)には近いため、従属的傾向が強くなる。当地は、覇権をとった政権の所在地との関係で地政学が大きく変化する地方である。明治以降は、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟が敗れたため、激烈な減封を受けて知識階級(武士階級)を大量に失い、野蒜築港が台風のために2年で閉港となったため開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、日本人の9割以上が農民だった明治期までは、寒冷地であるため農産物による人口の涵養が出来ずに人口の少ない地方となっており(→都道府県の人口一覧)、国内市場としての重要度も低かった。現在は人口も増え、新幹線が全ての県に通っている唯一の地方となり、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。
7世紀中期~後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。
この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分割される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。
日本海側では、既に新潟県上越地方(頸城郡)まで征服した朝廷軍が、「柵(き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。まず、647年に渟足柵(現在の新潟市中心部)、さらに648年に磐舟柵(現在の村上市辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国(こしのくに)に組み入れていった。658年なると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いて更に日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿部水軍は658年~660年の間に三度来航し、交易をして帰っている。その後、畿内政権と同盟関係にあった百済が新羅の侵攻を受けたため、阿部水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。
律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田市の最上川河口部辺りに出羽柵を設置。越国(こしのくに)が越前・越中・越後の三ヶ国に分割されると、708年(和銅元年)9月28日、庄内地方に出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、712年(和銅5年)9月23日に越後国から分立して出羽国になり、しばらく後に陸奥国から置賜郡と最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。更に北進した畿内側の軍は、733年に出羽柵を秋田高清水岡 (現在の秋田城跡) に移した。但し、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はややゆるい支配だった。
724年には、東北太平洋側に多賀城などが築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。北東北では、北上山地で太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(= 奥六郡、日高見国)、および、秋田県の横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り、その後の朝廷(多賀城)との抗争に続いていく。
780年の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を奪った。平安時代の桓武天皇は、三回に渡る蝦夷平定を行い、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって、蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し、奥六郡に胆沢城を築いた。敗けた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。
朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の「日本化」が進んだ。俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして奥六郡を支配したが、源頼義と対立し滅ぼされた(前九年の役)。
津軽地方では安東氏が栄え、鎌倉幕府から蝦夷管領に任命され、北東北から北海道を支配した。安東氏の本拠地十三湊は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、室町時代には安東氏は南部氏との抗争により、十三湊の繁栄は失われた。
鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇の建武の新政では、奥州平定のために北畠顕家を派遣して陸奥国府を設置した。後に室町幕府は奥州探題や羽州探題を設置したが、これらは後に関東を統治した鎌倉府に統合された。
戦国時代には山形の最上氏、伊達の伊達氏、三戸の南部氏、会津若松の蘆名氏などが勢力を揮った。蘆名氏は後に滅ぼされ、関が原の戦いの後、常陸国水戸の佐竹氏が秋田に転封された。
なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は、甲斐国の武田信玄と同様に、盆地の領域支配を早々と確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵(軍人)である足軽が農民から分離されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。
江戸時代後期の天明年間の地球的な気象変動などにより起こった天明の大飢饉では、十万人以上の餓死者、疫病者を出し、多くが無宿舎となり江戸へ流入した。米沢藩主上杉鷹山などは藩財政の改革を行って飢饉に抗した。天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した。
江戸幕府が倒れて後、幕末の1868年には北陸東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍に対向したが、結局敗れた。この報復として幕府を支持した雄藩は所領を減らし、北海道(蝦夷地)に家臣団(武士階級、知識階級)を中心に数々の移住者を出し、後の開発の遅れをうむこととなった。
知識階級の流出は、現在にも尾をひいており、東北地方と北陸東部(新潟県)の「大学進学率」や「高学歴住民の割合」は、他の地方に比べて低い。
(都道府県別 市区町村別 短大・大学卒業者の割合)。
この時期、戊辰戦争の敗北によって収入(秩禄)を失った家臣団や、秩禄処分によって経済的に困窮した武士階級の北海道移住(経済難民)が進んだ。知識階級でもあった武士階級を大量に失った東北地方では、知識階級の層が薄くなり、後の経済発展の遅れを生んだ。
明治以降の富国強兵・殖産興業の時代には、郡山盆地における安積疎水、宮城県の野蒜築港、東北本線等の鉄道開発、東北帝国大学など、それなりに投資や開発が実施された、折角開発した東北地方の拠点港の野蒜築港も、台風によって破壊されて2年で廃止され、産業化が進まず経済発展が滞った。又、商品経済が進んだ他の地方との間に経済格差が生じてきた。
大蔵卿・松方正義による松方デフレの影響は、農産物の価格を下落させ、全国的に小作農の比率が上昇(小作農率の全国平均38%→47%)して大地主所有が進む一方、産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となり、東北地方からも女工として働きに出る者も多く出た。
昭和になってからは、過剰労働力である農家の次男・三男などが旧満州国へ集団移民をした。戦後の高度経済成長時代は、東京に出稼ぎに出たり、「金の卵」 ともてはやされて集団就職したりした(そのため、現在の東京特別区の4割の人は、東北地方出身者といわれている)。
このように東北地方は、古代から現在に至るまで政治難民や経済難民のような人々を多く出す一方で、北東北の縄文文化、蝦夷の文化、奥州藤原氏の平泉文化、南東北の伊達氏の文化、酒田の本間氏の文化など、多様な文化を創出して来た。
なお、「一般的に東北地方の方言として言われている特徴」としては、
その方言については、話者にとって否定的なものと捉える時代が長かった。 たとえば東京などに移住したとき方言を恥じて無口になる、その厳しい気候風土や貧しさの象徴・発露などである。 ただし伝統的に温かい人情・素朴さの象徴とする肯定的見方もあった。
近年では東北地方の方言の話者・話者以外を問わず、これらのイメージに捉えられない人が増えた。
また、しばしば聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表とされるが、必ずしもそうばかりとはいえない。
東北地方以外でその方言を聞ける場所の代表として上野駅(厳密にはJR=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよく言われた。石川啄木の短歌や高度成長期の望郷ものの流行歌にも多い。しかし東北新幹線の東京駅への乗り入れ(1991年)などで、近年ではあまり聞かれない。
東北地方の主な都市圏 (2000年。経済産業省)
| 雇用圏 | 人口 |
|---|---|
| 仙台都市圏 | 1,556,293 人 |
| 郡山都市圏 | 537,727 人 |
| 山形都市圏 | 475,692 人 |
| 盛岡都市圏 | 475,621 人 |
| 秋田都市圏 | 452,397 人 |
| 福島都市圏 | 412,360 人 |
| 雇用圏 | 人口 |
|---|---|
| いわき都市圏 | 365,951 人 |
| 青森都市圏 | 340,750 人 |
| 八戸都市圏 | 332,426 人 |
| 弘前都市圏 | 326,193 人 |
| 北上都市圏 | 220,486 人 |
| 石巻都市圏 | 207,562 人 |
東北地方の人口 (2005年1月1日)(順位は全国順位)
| 順位 | 県名 | 人口 |
|---|---|---|
| 15位 | 宮城県 | 2,371,683 人 |
| 18位 | 福島県 | 2,112,489 人 |
| 28位 | 青森県 | 1,459,855 人 |
| 30位 | 岩手県 | 1,401,763 人 |
| 33位 | 山形県 | 1,229,854 人 |
| 36位 | 秋田県 | 1,167,282 人 |
| 東北地方 | 9,742,926 人 | |
| 日本 | 127,096,977 人 | |
| 順位 | 都市名 | 人口 | 順位 | 都市名 | 人口 |
|---|---|---|---|---|---|
| 12位 | 仙台市 | 1,025,647人 | 73位 | 福島市 | 290,425人 |
| 51位 | いわき市 | 356,134人 | 74位 | 盛岡市 | 288,104人 |
| 55位 | 郡山市 | 339,526人 | 82位 | 山形市 | 255,418人 |
| 63位 | 秋田市 | 318,226人 | 88位 | 八戸市 | 240,911人 |
| 71位 | 青森市 | 294,401人 | - | 弘前市 | 172,956人 |
(参考)明治時代(19世紀末)の東北地方の人口 (順位は全国順位)
| 順位 | 県名 | 人口 |
|---|---|---|
| 17位 | 福島県 | 913,800 人 |
| 27位 | 山形県 | 742,600 人 |
| 28位 | 宮城県 | 735,100 人 |
| 31位 | 秋田県 | 684,300 人 |
| 36位 | 岩手県 | 655,400 人 |
| 41位 | 青森県 | 527,600 人 |
| 東北地方 | 4,258,800 人 | |
| 日本 | 39,626,600 人 | |
| 順位 | 都市名 | 人口 | 順位 | 都市名 | 人口 |
|---|---|---|---|---|---|
| 8位 | 仙台市 | 90,231人 | 54位 | 若松町 | 21,584人 |
| 26位 | 盛岡市 | 31,153人 | 56位 | 酒田町 | 20,918人 |
| 29位 | 弘前市 | 30,487人 | 60位 | 鶴岡町 | 19,562人 |
| 32位 | 米沢市 | 29,591人 | 62位 | 青森町 | 19,484人 |
| 33位 | 秋田市 | 29,568人 | 78位 | 石巻町 | 16,974人 |
| 35位 | 山形市 | 29,019人 | 81位 | 福島町 | 16,629人 |
19世紀末は、産業の中心が農業であったため、稲作に適した南東北の方の人口が多く、県別人口順位も南から北へきれいに並んでいる。この時期はまだ都市化が進展していなかったため、江戸時代の経済の名残りで、城下町と港町が都市としての地位にあった。
現在は、都市化が進んでおり(東北地方全体の都市部の人口75%)、県別の人口順位もDID面積順位(→東北地方#地理)とほぼ一致する。都市人口の順位は、その都市圏における市町村合併の成否の反映であり、都市圏の経済力を反映していない。都市の実勢は、雇用圏の方がよく反映している。ただし、雇用圏は市域全体で計算しているため、市内に極が多数存在しているいわき市の場合、中心部である平の都市圏を設定すると20万人規模となってしまい、雇用圏=都市圏とまではいえない。