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東北地方(とうほくちほう)

一般に、ある国の領土北東部分にある地方。現地の言葉で「北東地方」「東北地方」にあたる名詞が固有名詞化してその地域を指していたとしても、日本の「東北地方」との混同を防ぐため、中国の東北地方以外は「北東部」「東北部」などが使われる。

  1. 日本東北地方本州の北部6により構成される地方。雅称は奥羽地方(おううちほう)。
  2. 中華人民共和国東北地方:かつては満州とも呼ばれ、同地域に満州国が一時存在した。黒龍江省遼寧省吉林省内モンゴル自治区の東部がこれに当たる。→「中国東北部
  3. タイ王国東北地方:日本語では「タイ東北部」と言われることが多いが、「タイ北東部」と言われることもある。→「イーサーン
  4. アメリカ合衆国東北地方アメリカ合衆国統計局が、アメリカ本土の北東部分について用いる地方区分。リージョン1(Northeastern United States)にあたり、ディビジョン1(ニューイングランド)とディビジョン2(ミドルアトランティック)が含まれる。ニューヨークを中心としたメガロポリス(北東回廊)がある。日本語としては、「東北部」か、英語の直訳順の「北東部」と言われる。

この記事では、1の日本の東北地方について述べる。


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東北地方のデータ
六県の合計
面積 66,889.40km²
総人口 9,634,466
(2005年10月1日)
人口密度 144.04人/km²
(2005年10月1日)
位置
Tohoku-region_Small.png

北海道の南、関東地方の北、北陸地方の東に位置する。青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県から成る。交通面などで関東と一緒にする場合は東日本本州の東の部分)、気候・気象面などで北海道と一緒にする場合は北日本に属する(日本の北の部分)。新潟県北陸地方中部地方)に属するが、便宜的に含める場合もある。

地理


スウェーデンベルギーポルトガルギリシャなどとほぼ同規模)

中部地方とほぼ同じ面積。九州オランダスイスデンマークの約1.5倍。関東地方の約2倍。北海道の約0.8倍の広さ)

  • 人口密度は1km²あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査)
スイスと同程度)

  • 東北六県の県民総生産(2001年度)の合計は33兆3245億円
スイスベルギースウェーデンオーストリアなどのヨーロッパ中堅国のGDPを超える)

県名 総面積(S)
岩手県 15,279km²
福島県 13,783km²
秋田県 11,612km²
青森県 9,607km²
山形県 9,323km²
宮城県 7,285km²
合計 66,889km²
県名 可住面積(P) P/S
福島県 4,218km² 30.6%
岩手県 3,710km² 24.3%
青森県 3,204km² 33.4%
秋田県 3,155km² 27.2%
宮城県 3,130km² 43.0%
山形県 2,850km² 30.6%
合計 20,267km² 30.3%
県名 DID面積 DID/P DID/S
宮城県 231km² 7.4% 3.2%
福島県 176km² 4.2% 1.3%
青森県 156km² 4.9% 1.6%
山形県 113km² 4.0% 1.2%
秋田県 87km² 2.8% 0.7%
岩手県 86km² 2.3% 0.6%
合計 849km² 4.2% 1.3%

県名 人口密度(人/S) 可住地人口密度(人/P)
宮城県 325.6人/km² 757.7人/km²
福島県 153.3人/km² 500.8人/km²
青森県 152.0人/km² 455.6人/km²
山形県 131.9人/km² 431.5人/km²
秋田県 100.5人/km² 370.0人/km²
岩手県 91.7人/km² 377.8人/km²
東北6県 145.7人/km² 480.7人/km²

  • 国土交通省東北運輸局による統計。「P/S」は総面積(S)に対する可住面積(P)の割合。「DID」は人口集中地区のこと。「DID/P」は可住面積(P)に対するDIDの割合。「DID/S」は総面積(S)に対するDIDの割合。

地形

プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレート日本海溝で潜り込んでいる。そのため、東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山八甲田山八幡平岩手山栗駒山蔵王連峰吾妻連峰安達太良山那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)沿いには十和田湖田沢湖・蔵王の御釜などのカルデラ湖も多く、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。

日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)越後山脈が連なっており、岩木山鳥海山月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することが出来る。

太平洋側には北上山地阿武隈山地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場がなく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈山地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。

これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川阿武隈川雄物川最上川などの河川が流れ、多くの盆地平野を作り出している。

気候

気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸奥羽山脈西側(盆地)、奥羽山脈東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つグループに別れており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。

日本海沿岸奥羽山脈西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で日本最高気温40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。

太平洋側の奥羽山脈東側(盆地)は、太平洋沿岸と「日本海側グループ」の中間のような気候になっている。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。

太平洋沿岸は、夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。

主な都市の冬 (平年値)

都市 降雪量累計最深積雪1月の日照時間日隔差1月気温
札幌 630 cm 101 cm 97.2 時間 8.6℃-4.1℃
深浦 385 cm 44 cm 31.3 時間 4.7℃-0.4℃
秋田 409 cm 41 cm 44.6 時間 5.4℃-0.1℃
酒田 375 cm 37 cm 39.9 時間 5.4℃1.5℃
青森 774 cm114 cm 56.7 時間 5.8℃-1.4℃
新庄 878 cm 126 cm 43.1 時間 5.8℃-1.3℃
山形 491 cm 50 cm 89.6 時間 6.6℃-0.5℃
若松 537 cm 58 cm 80.9 時間 6.4℃-0.7℃
むつ 564 cm 70 cm 77.0 時間 6.8℃-1.6℃
盛岡 351 cm 36 cm 124.0 時間 7.6℃-2.1℃
福島 235 cm 26 cm 136.6 時間 7.3℃1.4℃
白河 173 cm 21 cm 160.9 時間 8.6℃0.2℃
八戸 318 cm 33 cm 134.5 時間 7.0℃-1.2℃
宮古 186 cm 32 cm 163.6 時間 8.8℃0.2℃
大船渡 77 cm 13 cm 148.6 時間 7.3℃0.7℃
石巻 56 cm 17 cm 167.6 時間 7.2℃0.5℃
仙台 90 cm 17 cm 151.3 時間 7.2℃1.5℃
小名浜 14 cm 6 cm 189.6 時間 9.1℃3.6℃
東京 13 cm 7 cm 180.5 時間 11.9℃5.8℃
日本海沿岸奥羽山脈西側奥羽山脈東側太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。
降雪量累計気象庁の統計データでいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値)
最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
日隔差:1月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の寒暖の差(平年値)
1月気温:1月の平均気温(平年値)

主な都市の夏 (8月 の平年値)

都市 平均気温最高気温最低気温日隔差日照時間降水量
札幌 22.0 ℃ 26.1 ℃ 18.5 ℃ 7.6 ℃ 173.5 時間137.3 mm
深浦 23.1 ℃ 26.8 ℃ 19.9 ℃ 6.9 ℃ 185.9 時間157.4 mm
秋田 24.5 ℃ 28.6 ℃ 20.9 ℃ 7.7 ℃ 200.4 時間181.9 mm
酒田 24.9 ℃ 29.1 ℃ 21.0 ℃ 8.1 ℃ 211.6 時間175.8 mm
青森 23.0 ℃ 27.6 ℃ 19.3 ℃ 8.3 ℃ 190.8 時間129.3 mm
新庄 23.9 ℃ 28.9 ℃ 19.8 ℃ 9.1 ℃ 177.5 時間174.5 mm
山形 24.6 ℃ 30.2 ℃ 20.3 ℃ 9.9 ℃ 184.7 時間148.8 mm
若松 24.8 ℃ 30.4 ℃ 20.3 ℃ 10.1 ℃ 199.5 時間131.0 mm
むつ 21.7 ℃ 25.7 ℃ 18.2 ℃ 7.5 ℃ 152.8 時間140.4 mm
盛岡 23.2 ℃ 28.1 ℃ 19.2 ℃ 8.9 ℃ 158.8 時間177.8 mm
福島 25.2 ℃ 30.2 ℃ 21.5 ℃ 8.5 ℃ 159.7 時間144.3 mm
白河 23.3 ℃ 28.1 ℃ 19.7 ℃ 8.4 ℃ 154.0 時間228.2 mm
八戸 22.3 ℃ 26.5 ℃ 19.1 ℃ 7.4 ℃ 173.3 時間139.8 mm
宮古 22.2 ℃ 26.4 ℃ 19.1 ℃ 7.3 ℃ 165.2 時間180.8 mm
大船渡 23.0 ℃ 26.9 ℃ 19.8 ℃ 7.1 ℃ 161.5 時間198.6 mm
石巻 23.5 ℃ 26.9 ℃ 20.8 ℃ 6.1 ℃ 178.1 時間127.0 mm
仙台 24.1 ℃ 27.9 ℃ 21.2 ℃ 6.7 ℃ 155.4 時間174.2 mm
小名浜 23.9 ℃ 27.3 ℃ 18.5 ℃ 8.8 ℃ 193.9 時間141.7 mm
東京 27.1 ℃ 30.8 ℃ 24.2 ℃ 5.8 ℃ 177.5 時間155.1 mm
日本海沿岸奥羽山脈西側奥羽山脈東側太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。
日隔差:8月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の暑涼の差(平年値)

地域


東北地方内の区分

古代の東北地方において、多賀城が設置されて早くから畿内に根拠を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と、陸奥の「内陸国」・「政治勢力性」、出羽国の「沿岸国」・「商業勢力性」の境界であった出羽山地による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と相似の状況になっている。ただし、文化的には江戸時代による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸海岸沿岸地域や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。

太平洋側・日本海側
東北地方の中央には、脊梁山脈である奥羽山脈が南北に連なっているため、「太平洋」と「日本海」に区分することがある。これは、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は冬季の降雪量が多く、太平洋側は少ない。夏季の気候では、日本海側はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋側はやませの影響で気温が低い年がある。

また、海流の面で、太平洋側は親潮黒潮、日本海側はリマン海流対馬海流の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。黒潮は速度が速いため、江戸時代まで太平洋側の海運は発達しなかったが、日本海側は海流の速度が遅いために東北地方の物流の中心として古代から発達した。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。

陸奥国・出羽国
  • 「内陸国」と「沿岸国」
陸奥国国府仙台平野多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野酒田に置かれたことでわかるように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。

太平洋側(陸奥)は、沿岸平野が、いわき市周辺、仙台平野八戸周辺と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」としての歴史が綴られている(→みちのく)。一方、日本海側(出羽)は、沿岸に庄内平野秋田平野能代平野津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」としての歴史が綴られている(→越後国の先にある地域)。

藩政時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。

  • 境界
陸奥と出羽の境界とされる奥羽山脈は、所々で山脈自体が低い部分があり、かなり低い峠が存在したりするため、日本海側の一部が太平洋側に組み込まれて区分されている。

令制国 の区分では、太平洋側の「陸奥国」に、奥羽山脈の西側にある会津地方や津軽地方を含み、その他の日本海側の部分が「出羽国」となっている。しかし、陸奥と出羽の境界は時期により変更されることが度々あった。基本的に、奥羽山脈東側(太平洋側)が陸奥、日本海沿岸南部地域が出羽であり、その間の挟まれた奥羽山脈西側盆地群は、陸奥側の政治勢力の消長によって陸奥と出羽の間で所属が変化していたようである。そのため、会津・津軽の他、現在の山形県内陸部(村山地方および置賜地方)や秋田県内陸部が陸奥国に区分されたこともあった(参照: #歴史陸奥国出羽国)。

すなわち、測量された地図が無かった時代には、東北地方の「内陸勢力」版図が陸奥国、日本海側「沿岸勢力」版図が出羽国とされていたと考えられる。鎌倉時代以降は、日本海沿岸地域は政治勢力化せずに商業勢力に留まることが多く、陸奥国側の内陸政治勢力が陸奥と出羽を一体的に「奥州」として管轄した。

  • 分割
1868年(明治元年)旧12月7日に、陸奥国は陸奥国陸中国陸前国岩代国磐城国に分割され、出羽国は羽前羽後に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。

北東北・南東北
東北地方は、主要都市の間に東北新幹線山形新幹線秋田新幹線が通ることで、全ての県に新幹線が通っている唯一の地方となった。そのため、新幹線が優位に立つ中距離移動(200km~800km)が便利である。また、東北地方を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、奥羽山脈を越えた地方内の近距離移動(200km程度以内)の利便性も上昇した。これに伴い、運行本数が少なく、往々にして運賃・料金が高い在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。

この陸上交通の再編成により、青森県岩手県秋田県の3県を「北東北」、山形県宮城県福島県の3県を「南東北」と区分する例が増加している。北東北3県は、各県の活動により三県連合の枠組みがつくられたが、青森市秋田市では、鉄道を利用した場合の所要時間が長いために完全には空路から新幹線に旅客がシフトせず、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。そのため、期待していたほど北東北3県都(青森・盛岡・秋田)の経済的結び付きは強くならなかった。一方、南東北3県は、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していた上、陸上交通の改善によりその経済的枠組みをさらに強くした。南東北においては、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成しており、南東北3県都(仙台・山形福島)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている。

「飛行機派」と「新幹線派」
東北地方は、白河の関から本州最北端の大間岬まで道なりに630km以上あり、東京~姫路間の道のりより距離がある(以下は主要駅間の路線距離の5km毎概数。東北地方の諸都市の間隔に近い太平洋ベルトの都市を示す)。

このように南北に長く、南北に山脈や山地が走る地形であるため、自然障壁のある東西交通よりも南北交通の方により力点の置かれた交通インフラが形成されてきた。そのため、とりわけ時間距離が短くなった太平洋側は、距離に関わらず南北間の都市間交流が盛んとなり、東京への連絡も新幹線が優位に立っている。また、津軽海峡を挟んだ青森県北海道との間でも、青函トンネルの開通によって諸都市間の関係が深まっている。

一方、東西交通は20世紀末までに秋田新幹線や連絡線の高速道路が整備された。この結果、郡山会津若松仙台山形盛岡秋田となどとの間で自然障壁を越えた地域圏や経済圏の形成が進んでいる。

以上のような東西交通における自然障壁の解消により、現在の東北地方は、東京との関係で見ると、交通インフラの利便性の違いにより、太平洋側から奥羽山脈西側に隣接する盆地群までが属する、いわば「新幹線派地域」と、それ以外の日本海沿岸地域が属する「飛行機派地域」に分けることができる。両者の東西の境界は出羽山地と言える。「新幹線派地域」にある仙台空港は、多数の国内線や国際線が就航していて、国際線に至っては利用者の半分以上が宮城県居住者以外となっており、「新幹線派地域」の「東北地方拠点空港」として機能している。日本海沿岸地域(津軽・秋田・庄内)は、東北新幹線に接続するまで時間がかかるため、東京とは空路需要が強く、「飛行機派地域」となっている。

周辺地方との関係

前述の通り、青森下北半島などの地方では、青函トンネル青函フェリーを通じて函館北海道)との関わりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想がある。又、津軽海峡沿いの大間(青森県)では、フェリーで函館まで1時間40分程度である事から、時に買物や通院を函館で済ませる傾向が見られる。ただし、大間町の例は青森県内の一般的なものとはいえない。青森~函館間が最短でも列車で2時間弱を要すること、カーフェリーはあるものの所要時間は長くかつ便数は少ないこと、道路橋や道路トンネルがないことから、関門トンネル瀬戸大橋を挟む地方のように、通勤・通学を含めたより日常的(定期的)な交流が生まれるには至っていない。

日本海沿岸地域は、古代からの海運の歴史の他、羽越本線国道7号の陸上交通路の発達により新潟県との関係が深く、いわき市周辺は、陸前浜街道の時代から始まり、常磐線常磐道国道6号などの陸上交通路の発達が早くからあったために、水戸などの茨城県北部との関係が深い。

須賀川市に位置する福島空港は、北関東日光東照宮那須温泉郷などへの韓国人観光客の玄関口としても機能しており、ペ・ヨンジュンも利用した。また、空港空白地域の北関東の住民にも利用されている。

定義域と名称

江戸時代までの分割統治の時代は、「奥羽」または「奥州」としてひとくくりにされて奥州探題などの地方支配組織が設置されることもあったが、全国的に中央集権的「地方支配」が進められた明治時代になって、「東北地方」という名称が基本的に現在の東北6県を示すものとして確立していった。明治政府中央集権体制の下、仙台が地方支配の中心地とされ、仙台に置かれた国の機関が管轄する範囲として東北地方が決められた。

『東北地方の雅称は「奥羽地方」(おううちほう)であり、「東北地方」は俗称である』とされるが、明治以降100年以上に渡って、東北地方の主要企業・国の出先機関・大学などの名称に「東北」が多く用いられてきたため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が一般的となっている。

また、「奥羽」の称は、太平洋側の「陸奥国」と、日本海側の「出羽国」を合わせた称であるが、明治元年に陸奥国と出羽国が分割され、福島県域では「陸」が付かない国名の国が設置されたため、教科書でもその国名が用いられ、日本史に詳しくない人は「奥羽地方」に福島県が含まれることを知らないこともある。

新潟県を東北地方に組み入れる場合
越後山脈関東地方と分けられ、東北地方と接している新潟県が、「東北地方」に組み込まれる場合がある。明治時代以降、仙台にある国の出先機関が新潟県を管轄する場合があったり、仙台の陸軍第二師団司令部の管轄が宮城県・福島県・新潟県の3県であったりしたため、新潟県も東北地方と考えられる場合があり、明治中後期には、新潟県で「東北日報」という新聞が発行されていた(仙台でも同名の新聞が発行されていた→後の河北新報)。

1931年の上越線全通までは、1893年全通の信越本線上信越の枠組み)、1914年全通の磐越西線(東北7県の枠組み)が新潟県と東京の間の交通路であった。新潟県は親不知以東に位置するため、五畿七道北陸道の東半分に当たる広大な範囲となっている。このため、新潟県の所属する地方は曖昧にされた。しかし、新潟県は明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、東北6県の置かれた事情と新潟県とは違いがあり過ぎ、仙台が新潟県を管轄して「東北7県」とするには無理があった。

なお、現在でも新潟県が東北地方に区分される場合がある。これは東北電力の存在によるところが大きい。明治時代に電力が水力発電を中心に始まったことで、東北地方の電源開発は、新潟県福島県の県境を流れる只見川を中心になされた。そのため、東北電力は東北地方と新潟県を供給範囲としており、CMやテレビ番組でも、東北地方と新潟県を提供エリアとして「東北7県」という語を用いている。また、東北電力がリーダーシップを執る東北経済連合会でも、この「東北7県」の枠組みが用いられており、政治的には北海道東北地方知事会議おいて「北海道+東北7県」として新潟県が含まれている。しかし、新潟県は狭義の北陸地方、あるいは関東地方とのつながりが深く、新潟県が東北地方に組み入れられる事例は限定的である。

新潟県を東北地方と一緒に扱う場合は、「東北7県」「東北地方と新潟県」「奥羽越」などという。

歴史


東北地方を経済の視点から見た歴史は「東北地方の経済史」を参照

畿内政権の律令制中央集権体制下では、出羽国は越国北陸道)の先にある沿岸国(船で到達でき畿内に近い)、陸奥国は東山道を徒歩で行くため「道奥=みちのおく(みちのく)」、すなわち内陸国と見なされていた。そのため、現在のような測量された地図がなかった時代には、出羽は日本海沿岸の政治勢力の版図、陸奥は本州奥地の政治勢力の版図とされ、その境界は在地の政治勢力の消長に従って変化し、必ずしも奥羽山脈できれいに東西に分かれていたわけではない。蝦夷俘囚)勢力が後退した鎌倉時代以降は、政権のある鎌倉からは陸奥国の方が近くなり、また、鎌倉と出羽国とは船での繋がりをもてなかったために出羽の沿岸国としての意味合いが薄れ、奥羽両国を一括して「奥州」とするようになった。

奥州(東北地方)は、近畿の諸政権(天皇・公家政権、室町幕府、織田・豊臣政権)からは遠いため半独立的な政治勢力が生まれ、南関東の諸政権(鎌倉幕府江戸幕府明治政府)には近いため、従属的傾向が強くなる。当地は、覇権をとった政権の所在地との関係で地政学が大きく変化する地方である。明治以降は、戊辰戦争奥羽越列藩同盟が敗れたため、激烈な減封を受けて知識階級(武士階級)を大量に失い、野蒜築港台風のために2年で閉港となったため開港場が近くにない唯一の地方となって資本主義経済に乗り遅れた。また、日本人の9割以上が農民だった明治期までは、寒冷地であるため農産物による人口の涵養が出来ずに人口の少ない地方となっており(→都道府県の人口一覧)、国内市場としての重要度も低かった。現在は人口も増え、新幹線が全てのに通っている唯一の地方となり、高速道路の整備も進んだため、東北地方内における陸上交通の再編と経済圏の形成が進んでいる。

旧石器時代

旧石器時代氷河期に当たり、現在よりも寒冷であった。そのため、当時の海岸線は現在よりも沖合いにあり、現在は海底に沈んでいるため、海岸線での生活についてはほとんどわかっていない。内陸の生活については、東北地方でも富沢遺跡金取遺跡などで分かるが、他のいくつかの遺跡が旧石器捏造事件によって研究が振り出しに還ってしまったため、現在検証作業中である。

縄文時代

縄文時代には気候が温暖化して、東北地方も現在より暖かかった。当時の採集・狩猟・漁労を中心とした生活では、西日本よりも東日本の方が生活に適しており、関東地方中部地方・東北地方の諸地方の人口が多かった。最も人口密度が低かった近畿地方中国地方四国地方と比べて、人口密度が最も高かった関東は三十倍以上、東北も五倍~十倍程度の人が住んでいたと見られている。そのため、1440年も続いた巨大集落である三内丸山遺跡などが造られ、関東や北陸などと共に縄文文化の中心を担った。

弥生時代

弥生時代になると、大陸の中国長江下流域から水稲耕作技術(ジャポニカ種)が九州北部などに伝わった。それまで人口の少なかった九州・山陰山陽・近畿などは、これで人口が急増し、以後、日本の中心地となっていく。東北地方に水稲耕作技術が伝わったのは弥生時代中期頃であり、紀元前後には、青森県の垂柳遺跡まで達した。

古墳時代

古墳時代には、東北地方でも多くの古墳が造られた。青森県でも古墳が見られるが、小規模な終末期古墳に限られる。古墳が集中している地域は仙台平野会津地方などの東北地方南部となっている。又、奈良盆地に起源があるとみられる前方後円墳も造られ、ヤマト王権との交流がすでに始まっていたと考えられている。東北地方最大の前方後円墳は、宮城県名取市にある雷神山古墳である。

古代

古代に入ると、ヤマト王権と東北地方との関係は、古墳時代までのゆるい連合体、文化交流のレベルから、より強い主従関係、乃至は支配する側と支配される側との関係を強制されて行く。畿内政権側から見た古代の東北地方と新潟県中越下越地方は「未征服地」であり、畿内政権に服従しない異民族「蝦夷(えみし)」が住んでいるとされた(蝦夷の住んでいた範囲には諸説ある)。以降、古代から中世にかけて、畿内政権側の征服戦争と、東北地方(特に奥六郡)の独立(半独立)の動きの中で征夷軍と蝦夷軍が衝突し、東北地方の歴史は作られていった。

7世紀中期~後期に、天皇を中心とした強力な官僚制が志向されるようになると、それまでの地方豪族が国造として独自に支配していた地方分権体制から、中央集権体制へと国家体制が大きく変化した。

この流れの中で、7世紀半ばに、太平洋側の現在の福島県から宮城県中部辺りまでと、山形県の南部(置賜郡)と中部(最上郡)が畿内政権側に服従し、常陸国から分割される形で道奥国(みちのく。後に陸奥国)が設置された。この地域は、古墳時代に前方後円墳が幾つも造られた地域である(7世紀の内に、宮城県内は平定された)。

日本海側では、既に新潟県上越地方頸城郡)まで征服した朝廷軍が、「(き)」と呼ばれる前線基地を築きながら北進する。まず、647年に渟足柵(現在の新潟市中心部)、さらに648年に磐舟柵(現在の村上市辺り)を設置し、日本海沿岸を次々と越国(こしのくに)に組み入れていった。658年なると、越国守であった阿倍比羅夫が、180艘の軍船を率いて更に日本海沿岸を北上し、「鰐田(あぎた)の浦」(現在の秋田市周辺?)から津軽地方へと到った(日本書紀)。これが蝦夷征討なのか武装交易船団なのかは定説がない。少なくともこの阿部水軍は658年~660年の間に三度来航し、交易をして帰っている。その後、畿内政権と同盟関係にあった百済新羅の侵攻を受けたため、阿部水軍もその戦列に加わり東北日本海側への遠征は中断された。

律令制整備が進み、中央集権国家として確立してくると、さらに地方の支配体制の整備も進んだ。朝廷軍は、北進して庄内地方に達し、現在の酒田市最上川河口部辺りに出羽柵を設置。越国(こしのくに)が越前越中越後の三ヶ国に分割されると、708年(和銅元年)9月28日、庄内地方出羽郡が設置され、越後国に組み入れられた。この出羽郡は、712年(和銅5年)9月23日に越後国から分立して出羽国になり、しばらく後に陸奥国から置賜郡最上郡を譲られて、沿岸国だった出羽国は内陸部を得る(国府は現在の酒田市の北東部にある城輪柵遺跡に設置されたと考えられている)。更に北進した畿内側の軍は、733年に出羽柵を秋田高清水岡 (現在の秋田城跡) に移した。但し、現在の秋田県の領域では、沿岸部のみが支配下に入っただけで、内陸部はややゆるい支配だった。

724年には、東北太平洋側に多賀城などが築かれ、南東北は朝廷側の支配体制に完全に組み込まれた。北東北では、北上山地太平洋と隔絶され、多賀城からも離れている現在の岩手県内の北上川流域(= 奥六郡日高見国)、および、秋田県横手盆地などが蝦夷の勢力域として残り、その後の朝廷(多賀城)との抗争に続いていく。

780年の光仁天皇の時に伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を奪った。平安時代桓武天皇は、三回に渡る蝦夷平定を行い、坂上田村麻呂征夷大将軍となって、蝦夷軍のアテルイと戦って勝利し、奥六郡に胆沢城を築いた。敗けた蝦夷軍は朝廷への服従を誓って俘囚となり、一部は日本各地に集団で強制移住させられた。

朝廷の支配が確立すると、関東地方や北陸地方から多数の入植者(柵戸)が入り、東北地方の「日本化」が進んだ。俘囚の中から安倍氏が勢力を伸ばして奥六郡を支配したが、源頼義と対立し滅ぼされた(前九年の役)。

中世

平安時代末期から中世初期には、北上川流域(奥六郡)で奥州藤原氏が栄え、平泉平安京に次ぐ日本第二の都市になるまで発展する。この時、奥州藤原氏は、平安京の畿内政権側から半独立が補償されていた。しかし、源義経を匿ったかどで、鎌倉政権側に討伐の口実を与えてしまい、源頼朝により滅ぼされた。

津軽地方では安東氏が栄え、鎌倉幕府から蝦夷管領に任命され、北東北から北海道を支配した。安東氏の本拠地十三湊は交易で栄え、日本有数の都市となった。しかし、室町時代には安東氏は南部氏との抗争により、十三湊の繁栄は失われた。

鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇建武の新政では、奥州平定のために北畠顕家を派遣して陸奥国府を設置した。後に室町幕府は奥州探題羽州探題を設置したが、これらは後に関東を統治した鎌倉府に統合された。

戦国時代には山形最上氏伊達伊達氏三戸南部氏会津若松蘆名氏などが勢力を揮った。蘆名氏は後に滅ぼされ、関が原の戦いの後、常陸国水戸の佐竹氏秋田に転封された。

なお、出羽国の内陸部(奥羽山脈の西側に連なるいくつもの盆地群)は、甲斐国武田信玄と同様に、盆地の領域支配を早々と確立し、東北地方の戦国時代の主役を担った。それは、職業歩兵(軍人)である足軽が農民から分離されていなかった戦国初期においては、組織できる兵力に限界があり、盆地程度の広さが領国支配に適していたためで、出羽国内陸部の盆地の諸勢力は、陸奥国領域にも積極的に攻勢に出た。

近世

近世江戸時代の有力な大名としては、上越市から会津若松、更に米沢に移った上杉氏、保科正之を家祖とする会津松平氏、米沢から仙台へ移った伊達氏、秋田の佐竹氏盛岡南部氏などがある。(山形の最上氏はお家騒動でのちに改易され、近江で五千石の旗本となる。)

江戸時代後期の天明年間の地球的な気象変動などにより起こった天明の大飢饉では、十万人以上の餓死者、疫病者を出し、多くが無宿舎となり江戸へ流入した。米沢藩上杉鷹山などは藩財政の改革を行って飢饉に抗した。天保の大飢饉でも東北地方は多くの死者を出した。

江戸幕府が倒れて後、幕末の1868年には北陸東部の北越戦争から続く会津戦争など戊辰戦争の舞台となり、東北や北陸東部の諸藩は奥羽越列藩同盟と呼ばれる軍事同盟を結んで新政府軍に対向したが、結局敗れた。この報復として幕府を支持した雄藩は所領を減らし、北海道蝦夷地)に家臣団(武士階級、知識階級)を中心に数々の移住者を出し、後の開発の遅れをうむこととなった。
知識階級の流出は、現在にも尾をひいており、東北地方と北陸東部(新潟県)の「大学進学率」や「高学歴住民の割合」は、他の地方に比べて低い。
都道府県別 市区町村別 短大・大学卒業者の割合)。

近代

1868年(明治元年)旧12月7日、陸奥国は、磐城岩代陸前陸中陸奥に、出羽国は、羽前羽後に分割された(この分割によりできた「陸前・陸中・陸奥」は「三陸」とも呼ばれ、リアス式海岸の「三陸海岸」や、世界三大漁場の一つ「三陸沖」などの語に用いられている)。1871年8月29日の廃藩置県などを経て、現在の東北六県が生まれた。

この時期、戊辰戦争の敗北によって収入(秩禄)を失った家臣団や、秩禄処分によって経済的に困窮した武士階級の北海道移住(経済難民)が進んだ。知識階級でもあった武士階級を大量に失った東北地方では、知識階級の層が薄くなり、後の経済発展の遅れを生んだ。

明治以降の富国強兵殖産興業の時代には、郡山盆地における安積疎水、宮城県の野蒜築港東北本線等の鉄道開発、東北帝国大学など、それなりに投資や開発が実施された、折角開発した東北地方の拠点港の野蒜築港も、台風によって破壊されて2年で廃止され、産業化が進まず経済発展が滞った。又、商品経済が進んだ他の地方との間に経済格差が生じてきた。

大蔵卿・松方正義による松方デフレの影響は、農産物の価格を下落させ、全国的に小作農の比率が上昇(小作農率の全国平均38%→47%)して大地主所有が進む一方、産業化(生糸産業・造船業など)が進んでいた関東の都市部などは経済が好調となり、東北地方からも女工として働きに出る者も多く出た。

昭和になってからは、過剰労働力である農家の次男・三男などが旧満州国へ集団移民をした。戦後の高度経済成長時代は、東京出稼ぎに出たり、「金の卵」 ともてはやされて集団就職したりした(そのため、現在の東京特別区の4割の人は、東北地方出身者といわれている)。

このように東北地方は、古代から現在に至るまで政治難民経済難民のような人々を多く出す一方で、北東北縄文文化、蝦夷の文化、奥州藤原氏平泉文化、南東北伊達氏の文化、酒田本間氏の文化など、多様な文化を創出して来た。

方言


東北地方出身者の特徴として方言が挙げられることが多い。実際、特徴的な方言を持つ地域は多いが:
  • この地域の中でも方言には差が激しく、同一県内でも傾向が違うことが少なくない。
  • 一般的に東北地方の方言として言われている特徴はむしろ当てはまらないことが多い。
という点に関しては留意する必要がある。 また、東北方言のアクセントは太平洋側南部(宮城県中部~福島県)の無アクセントと、日本海側の外輪式東京アクセント、そして太平洋側北部の無アクセントと外輪式東京アクセントの変移地帯に分かれる。

なお、「一般的に東北地方の方言として言われている特徴」としては、

  • シとス、ジとズの混用(いわゆるズーズー弁)
  • イとエの混用
  • 「んだ(「そうだ」の意)」「だべ(「だろう」)」などの語尾(後者は茨城県の方言の特徴でもある)
  • 「べこ(「牛」の意)」などの語彙
がある。

その方言については、話者にとって否定的なものと捉える時代が長かった。 たとえば東京などに移住したとき方言を恥じて無口になる、その厳しい気候風土や貧しさの象徴・発露などである。 ただし伝統的に温かい人情・素朴さの象徴とする肯定的見方もあった。

近年では東北地方の方言の話者・話者以外を問わず、これらのイメージに捉えられない人が増えた。

また、しばしば聞き取りにくい・理解しにくい方言の代表とされるが、必ずしもそうばかりとはいえない。

東北地方以外でその方言を聞ける場所の代表として上野駅(厳密にはJR=旧国鉄の上野駅。特に長距離列車が多く発着した地上ホーム)がよく言われた。石川啄木の短歌や高度成長期の望郷ものの流行歌にも多い。しかし東北新幹線の東京駅への乗り入れ(1991年)などで、近年ではあまり聞かれない。

人口


東北地方全体としての人口動向を見てみると、戦後は自然増(第一次ベビーブーム)を中心に人口増の時代となり、1960年には東北地方全体で約970万人に達した。60年代の高度経済成長時代には、「金の卵」の名の下に、主に東京方面に集団就職したり出稼ぎに出たりするようになり、民族移動にも似た人口減(社会減)の時代に入る。この流れは1970年初頭まで続き、第二次ベビーブームによる大幅な自然増があったにも関わらず、1970年には924万人にまで人口が減った。その後、ニクソンショックオイルショックによって低成長時代に入った東京への流出が減少し、東北地方は再び人口増の時代に入る。ベビーブーム終了後は、900万人を越える市場性と第三次産業への産業転換により地方中核都市の社会増が起き、日本全体の長寿化(死亡率低下)も手伝って堅調に人口は増え続け、20世紀末に約985万人に達した。21世紀に入り、東北地方全体の景気低迷と高度情報化による東京一極集中のために、人口は再び社会減による減少に転じている。今後は、長寿化の限界による死亡率の増加と少子化の影響で自然減になり、人口は引き続き減少していくと見られている。*

東北地方の主な都市圏 (2000年。経済産業省

雇用圏 人口
仙台都市圏  1,556,293 人
郡山都市圏 537,727 人
山形都市圏 475,692 人
盛岡都市圏 475,621 人
秋田都市圏 452,397 人
福島都市圏 412,360 人
雇用圏 人口
いわき都市圏 365,951 人
青森都市圏 340,750 人
八戸都市圏 332,426 人
弘前都市圏 326,193 人
北上都市圏 220,486 人
石巻都市圏 207,562 人

」:県庁所在地を中心とする都市圏

東北地方の人口 (2005年1月1日)(順位は全国順位)

順位 県名 人口
15位 宮城県 2,371,683 人
18位 福島県 2,112,489 人
28位 青森県 1,459,855 人
30位 岩手県 1,401,763 人
33位 山形県 1,229,854 人
36位 秋田県 1,167,282 人
東北地方 9,742,926 人
日本 127,096,977 人
順位 都市名 人口 順位 都市名 人口
12位 仙台市 1,025,647人 73位 福島市 290,425人
51位 いわき市 356,134人 74位 盛岡市 288,104人
55位 郡山市 339,526人 82位 山形市 255,418人
63位 秋田市 318,226人 88位 八戸市 240,911人
71位 青森市 294,401人 - 弘前市 172,956人
」:県庁所在地

(参考)明治時代(19世紀末)の東北地方の人口 (順位は全国順位)

順位 県名 人口
17位 福島県 913,800 人
27位 山形県 742,600 人
28位 宮城県 735,100 人
31位 秋田県 684,300 人
36位 岩手県 655,400 人
41位 青森県 527,600 人
東北地方 4,258,800 人
日本 39,626,600 人
※1888年(明治21年)*
順位 都市名 人口 順位 都市名 人口
8位 仙台市 90,231人 54位 若松町 21,584人
26位 盛岡市 31,153人 56位 酒田町 20,918人
29位 弘前市 30,487人 60位 鶴岡町 19,562人
32位 米沢市 29,591人 62位 青森町 19,484人
33位 秋田市 29,568人 78位 石巻町 16,974人
35位 山形市 29,019人 81位 福島町 16,629人
※1889年(明治22年)。「」:元城下町。色なし:港町

19世紀末は、産業の中心が農業であったため、稲作に適した南東北の方の人口が多く、県別人口順位も南から北へきれいに並んでいる。この時期はまだ都市化が進展していなかったため、江戸時代の経済の名残りで、城下町港町が都市としての地位にあった。

現在は、都市化が進んでおり(東北地方全体の都市部の人口75%)、県別の人口順位もDID面積順位(→東北地方#地理)とほぼ一致する。都市人口の順位は、その都市圏における市町村合併の成否の反映であり、都市圏の経済力を反映していない。都市の実勢は、雇用圏の方がよく反映している。ただし、雇用圏は市域全体で計算しているため、市内に極が多数存在しているいわき市の場合、中心部であるの都市圏を設定すると20万人規模となってしまい、雇用圏=都市圏とまではいえない。

年齢構成

交通


広域交通としては道路交通・鉄道・航空路・航路が利用されている。主に東北新幹線東北自動車道により関東地方と連結される。仙台空港・花巻空港には、東京(羽田)との間に航空路が設定されていたが、新幹線開通によって採算が取れなくなり廃止となった。三沢空港の場合は、全体の年間利用客数が2001年に58.3万人に達したが、2002年12月1日に東北新幹線が八戸駅まで延伸されたため、主に羽田線の旅客が減少し、2004年度には33.4万人まで旅客数を減らしている。秋田空港の場合は、秋田新幹線ミニ新幹線であるため、東京までの所要時間がそれほど短縮せず、空路から新幹線への旅客の移動は進んでいない。北海道との間にはフェリーなど航路が設定されている。青函トンネル開通以前は、青森・函館間に青函連絡船が運航されていた。

空港

(2004年度旅客数/貨物。羽田便がない空港には★)
  • 仙台空港★ (国内 291.6万人/14,610t、国際 30.7万人/3,227t)
  • 秋田空港  (国内 131.1万人/ 3,556t、国際  3.5万人/   86t)
  • 青森空港  (国内 123.0万人/ 5,603t、国際  6.0万人/   24t)
  • 福島空港★ (国内  50.2万人/ 1,152t、国際  6.3万人/   37t)
  • 花巻空港★ (国内  47.1万人/ 1,124t)
  • 庄内空港  (国内  42.2万人/ 1,041t)
  • 三沢空港  (国内  33.4万人/   862t)
  • 山形空港  (国内  20.6万人/   185t)
  • 大館能代空港 (国内16.4万人/   147t)

港湾

鉄道

東日本旅客鉄道 (平均 48.4万人/日。2004年度)
{| (※ 青森~中小国間は、津軽海峡線と両用する。)

北海道旅客鉄道

私鉄第三セクター鉄道(平均 5.1万人/日。2004年度)
{|

地下鉄 (平均 15.0万人/日。2004年度)

道路

東北地方は、医師の数が人口比で全国水準より低い上、無医地区も広いため、高速道路や国道体系と医療体制との関係が深い。高速道路・国道は、都市部にある高度医療を行う病院や救急救命センターへの搬送路として、また、都市部に偏る常勤医を地方部へ非常勤医として送る供給路としても利用されている。

主な道路
(※ ここでは主な幹線道路のみを掲載する。その他、東北地方の道路一覧 も参照する事。)

高速道路
{|

一般国道
{|

経済


  • 関東自動車工業TOYOTALexusブランドの自動車生産拠点として、1993年11月に岩手工場(胆沢郡金ケ崎町)を竣工した。それ以降順調に生産増強を重ね、生産体制を年間25万台規模まで拡大させると(2005年)、岩手県の増田寛也知事と宮城県の浅野史郎知事との間で、更なる生産拠点の拡大と効率化を岩手・宮城両県が連携し、行政主導で進めていく事に合意した(2005年7月)。更に2005年11月16日、山形県庁で山形県の斎藤弘知事と岩手県の増田知事が共同会見を行い、これに山形県も加わり「県境を越えた大学や研究機関、各企業と協力して産・学・官が一体となって三県連携の支援体制を構築していく。」と発表した。
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