この記事では日本の地方公共団体及びその区域としての「東京」について記述しています。
東京都(とうきょうと)
人口は1257万7819人(2005年12月1日現在)。日本の首都であり、司法・立法・行政の中心地であり、経済の中心地でもある。
第二次大戦中の1943年7月1日に、東京都制(昭和18年法律第89号)が施行され 、東京府と東京市を統合した形で設置された。戦後の1947年に、地方自治法が施行された為に東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称と行政区域は変更されず、現在に至っている。都制施行以来、東京都庁は、市役所(23区を包括する市)としての機能と、県庁として広域行政体としての機能を併せ持つ。
日本の都道府県の中では、人口が最も多い。又、東京都区部を中心とした都市圏(首都圏)は、世界で最も人口が多い都市圏である。
特別区(旧東京市)を都内、それ以外(多摩地方と島嶼部)の市町村を都下と表現する事がある。これは県内と県下が同じ意味である事を考えるとおかしな表現であるが、かつて東京市内、東京府下とされた呼称が、都制施行時にそのまま東京都内、東京都下に呼び変えられた事で起こった慣習的な表現と言われている。なお、多摩地方や島嶼部の住民は、特別区のみを「都内」とする表現を嫌う傾向もあるが、「多摩は東京ではない」として(東京都からの)分離や区別を求める人もいる。
都庁の所在地は長年千代田区にあったが、1991年に新宿区に移転した。この新宿副都心に完成した新都庁は展望台も設置された観光名所としても知られ、文化放送(千代田区)もサテライトスタジオが開設された程である。
都庁所在地は新宿区であるが、特別区の総称としての都市名で、「東京」とされる場合もある(都の見解では新宿区とされる)。天気予報では、特別区を「東京」として表示する。
現代の東京都の領域は、令制国の武蔵国の一角である。郡においては、東京特別区は豊島郡(中心部)、荏原郡、足立郡の一部、下総国葛飾郡の一部に相当する。多摩地方は多麻郡となっていた。近世初期に、葛飾郡のうち、隅田川から利根川(現代の江戸川下流)の間が、下総国から分離されて武蔵国に編入された。武蔵国は、現在の東京都全域だけでなく、埼玉県全域と神奈川県東北部を含む広い版図であるが、国府と国分寺はそれぞれ現在の府中市と国分寺市にあった。当初の武蔵国は、五畿七道では東山道に属していたが、771年に東海道所属に変更された。
延喜式神名帳には足立郡に氷川神社(名神大社)、多磨郡に小野神社(一宮)、阿伎留神社、青渭神社等が見えるが、後世武蔵国総社とされた大国御魂神社や、東京の神社として著名な神田明神や日枝神社の名は見えない。
かなり古い時代から渡来人が住んでいたようで、亀塚古墳のある狛江郷(狛江市周辺)は高句麗に由来するとされ、他にも渡来人に纏わる伝承は多い。武蔵野の開発は渡来人の潅漑技術による所が大きいとされる。
戦国時代には扇ヶ谷上杉氏の家宰であった太田氏が台頭し、江戸城を築いた太田道灌が武蔵国の掌握に力を注いだが暗殺され、小田原城を拠点とする後北条氏が武蔵国に進出する。北条氏政の弟・北条氏照は八王子城を築き、西方の甲斐国の武田氏に備えた。その後北条氏も、豊臣秀吉の小田原攻めによって滅んだ。
全国から新政府に仕える人々が集まり、多くは皇居周辺(後世の山手線内側)に住んだ。これが山の手族の起源である。又、築地には外国人居留地が設けられ、銀座には西洋風の煉瓦街が作られて、文明開化が進んだ。1871年8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県によって東京府が発足し、東京は府庁所在地となった。そして、1889年には市制施行で東京市が発足した。
大正期に入ると、東京市への人口流入は更に進み、1920年の人口は370万人になったが、1923年9月1日には関東大震災に襲われ、特に下町が大打撃を受け、一時、面積が半分程度の大阪市の人口が東京市を抜くことにもなった。近衛文麿政権に入る前までは、大阪が日本の経済・産業・文化・芸術の中心的な地位にあったが、近衛文麿以後の政権が戦時体制を敷いて、経済・産業・文化・芸術・教育、その他あらゆる分野の中枢を東京に集めた。
第二次世界大戦中の1943年7月1日には、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。初代東京都長官は、内務省出身の大達茂雄であった。そして、第二次世界大戦末期の1945年3月10日には、東京大空襲によって市街地の大半が焼け野原と化した。
1979年に鈴木俊一が都知事に就任すると、鈴木知事の意向も有ってか、東京都はバブル経済の涛に飲まれ、異常な地価高騰に見舞われた。1991年には、新宿に都庁新庁舎が完成し、東京の新たな象徴となった。その後はバブル崩壊が進み、1996年に予定された世界都市博覧会は、1995年に就任した青島幸男知事によって中止された。
1999年に石原慎太郎が都知事に就任して以降は、品川、丸の内、汐留及び臨海副都心などの再開発が目覚しく、石原知事の東京至上構想や、I LOVE NEW TOKYO計画の立ち上げなど、超過密都市でありながら、尚も活発な経済活動を示唆している。
財政状況は、景気の回復による都税収入の増加と、石原都政下での緊縮財政で、2000年前後の最悪の水準から大幅に回復し、一般会計が他の会計から借り入れる「隠れ借金」も2006年度で完済する目処が立った。起債依存度は全国の自治体で最低の5.8%と財政の健全化が進んでいる。一方では特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債(*の23ページ目)は、2004年度末に16兆9508億円、都民一人あたりの負債額は約135万円と共に全国最多であり、特別会計や監理団体の財政は依然厳しい。
又、生活保護を受けている世帯は、2005年4月現在には140,848世帯で、生活保護を受けている人数は187,773人にも上るなど、大きな問題も抱えている(最多地区は足立区で、小学生のうち生活保護を受けている児童の割合が、2006年頭で42%にも上る)。
東京都議会選挙は統一地方選挙では実施されない。これは1965年(昭和40年)に都議会が解散されたことによる。
| 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 | 選挙区名 | 定数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 千代田区 | 1 | 中央区 | 1 | 港区 | 2 | 新宿区 | 4 |
| 文京区 | 2 | 台東区 | 2 | 墨田区 | 3 | 江東区 | 4 |
| 品川区 | 4 | 目黒区 | 3 | 大田区 | 8 | 世田谷区 | 8 |
| 渋谷区 | 2 | 中野区 | 4 | 杉並区 | 6 | 豊島区 | 3 |
| 北区 | 4 | 荒川区 | 2 | 板橋区 | 5 | 練馬区 | 6 |
| 足立区 | 6 | 葛飾区 | 4 | 江戸川区 | 5 | 八王子市 | 5 |
| 立川市 | 2 | 武蔵野市 | 1 | 三鷹市 | 2 | 青梅市 | 1 |
| 府中市 | 2 | 昭島市 | 1 | 町田市 | 3 | 小金井市 | 1 |
| 小平市 | 2 | 日野市 | 2 | 西東京市 | 2 | 西多摩 | 2 |
| 南多摩 | 2 | 北多摩第一 | 3 | 北多摩第二 | 2 | 北多摩第三 | 2 |
| 北多摩第四 | 2 | 島部 | 1 |
西多摩選挙区は福生市、羽村市、あきる野市と西多摩郡、南多摩選挙区は多摩市と稲城市、北多摩第一選挙区は東村山市、東大和市と武蔵村山市、北多摩第二選挙区は国分寺市と国立市、北多摩第三選挙区は調布市と狛江市、北多摩第四選挙区は清瀬市と東久留米市、島部選挙区は大島支庁、三宅支庁、八丈支庁、小笠原支庁で構成される。
明治政府は、国力を欧米列強に伍べる為、行政の中央集権と、東京への一極集中を進め、その流れは第二次大戦後も継承された。経済面の東京一極集中は、高度経済成長期が第一の頂点、バブル経済期が第二の頂点、そして現在の平成デフレ不況が第三の頂点となっており、より一層、東京都区部への一極集中が加速している。一極集中が加速するに連れて、製造業の本社が数多く興った地方都市や、本社が多く集まっていた他の大都市から、中央たる東京に本社(本社機能)を移転する傾向が現れている。
その結果、国内総生産における東京都(多摩地方と伊豆小笠原諸島を含める)が占める割合は1/6に上り、全国の証券取引所における証券取引の約8割を東京証券取引所が占めるなど、日本経済において東京都(なかんずく特別区)は圧倒的な地位を占めるようになった。
他の地域から東京都区部へ通勤する者は、「○○都民」(例:千葉都民、茨城都民)と諷刺される事もある。又、多摩地方から東京都区部へ通勤する者は、「多摩都民」と諷刺される事もある。バブル経済期に地価高騰が起こって以降は、東京都区部への通勤圏は、「北は宇都宮から、西は沼津から」と言われるまでに拡大している。
近年では、過度の一極集中に対する反省から、行政面では国会で首都機能移転が論議されている。経済面では、本社機能を東京から移転する企業も少数であるが現れるなど、経済における東京一極集中を是正しようとする動きが見られた。
しかし、首都機能移転の論議も実質的に中断しており、最近では千代田区や港区など都心部の再開発が行われるなど、再び都心回帰の傾向が見られる。この現状に対し、東京で地震などの自然災害が発生した場合、日本経済が大打撃を被る可能性があり、75年周期で襲来する関東地震(東海地震)が近い将来起きる事が予想されているため、東京への一極集中に対して懸念の声が高まっている。
東京は世界第二の経済大国の中心として、今でも世界経済でも大きな地位を占め、東京証券取引所は、ニューヨーク証券取引所、ロンドン証券取引所と並ぶ重要性を持っている。
東京都の総生産の産業別構成比は、第一次産業が0.1%、第二次産業が18.6%、第三次産業が91.5%である(2001年度。この他に控除すべき数値がある為、合計は100%を超える)。このように、第一次産業が占める割合は極めて低く、第三次産業が占める割合が極めて高く、特にサービス業、卸売業、小売業の比率が高い。
首都でもあるために、マスコミが多い。又、大手企業の本社や、外国企業の日本法人の本社が数多く立ち列ぶ。
傾向として、特別区には本社が多く、多摩地方には支社や営業所が多い。このため、東京都区部は「本店経済」とも呼ばれており、本社の存在によって経済が成り立っているといっても言い過ぎではない状態である。従って、東京都の産業連関表では、「財(農林水産業、鉱業、製造業、建設及び電気・ガス・水道)・サービス・本社」という三部門に分かれている。
(※ 東京都に本社を置く企業は、「Category:東京都の企業」を参照せよ。)
製造分野としては、印刷、情報通信機械、皮革、精密機械の占める割合が多く、これらの分野での製品出荷額は全国一位である(2002年、東京都)。この他には、電気機械、輸送用機械、一般機械の出荷額が多い。
又、山手線の外側に位置する東京郊外、特に大田区には、町工場が多い。
※この他、通信会社、IT関連、広告代理店、人材派遣など各種サービスを提供する会社の本社が置かれている。
日本の商業において、東京都の占める割合は首都が有る為大きく、事業所数は10.5%、従業員数は14.3%、販売額は32.2%(2002年、東京都)を占めており、何れも全国一位である。特に卸売業の占める割合が大きく、事業所数は15.2%、従業者数は22.6%、販売額は38.7%(同)を占めている。事業所、従業員数に比べて販売額が大きいのが特徴で、取扱額が大きい事業所が多い事を示している。小売業は事業所数が9.2%、従業者数が10.2%、販売額が12.4%(同)で、卸売業ほど占める割合が大きくないが、何れも全国一位である。
東京都の卸売業と小売業を比較すると、事業所数では小売業が卸売業を大幅に上回るが、販売額では卸売業が小売業に比べて圧倒的な割合を占め、矢張り卸売業では取扱額が大きい事業所が多い事が示されている。
産業小分類別に見ると、機械器具卸売業が販売額41兆3759億8400万円(同)で多数を占め、以下各種商品卸売業、建築材料、鉱物・金属材料等卸売業、飲食料品卸売業と続く。機械器具卸売業は、電気機械器具卸売業の占める割合が半数以上を占める。各種商品卸売業は、事業所数が149と非常に少ないにも拘らず、販売額が40兆4902億7300万円であり、非常に規模が大きい事業所がある事が示されている。
特にテレビに関しては、キー局と呼ばれる民間放送五局(日本テレビ放送網、東京放送、フジテレビジョン、テレビ朝日、テレビ東京)が、地方局を事実上支配下に置いており、その結果として送られる情報が中央たる東京からの物に偏ってしまい、「中央からの視点」でしか事象を語れない論調の硬直化、「中央に憧れる地方人」の再生産など、中央一極集中を促す根本原因になっているのではないか、という意見があり、批判の的となっている。ラジオにおいても同じような状況が存在する。(→以下詳細は「キー局」のページで述べる)
同様の批判は新聞においても見られるが、新聞の場合は各地方でブロック紙や地方紙が一定以上の独立性や影響力を持っており、中央一極集中がテレビ程に凄まじいわけではない。
都心部との交通手段として東京モノレールと京浜急行線がターミナル直下に乗り入れるほか、リムジンバスが都内、都下の主要駅や主なホテル、近隣県の主な駅との間を結んでいる。また、路線バスやタクシーも利用される。
開港当時からの東関東自動車道経由のリムジンバスの他に、1991年3月に空港ターミナル直下に鉄道が乗り入れるようになり、東京都への連絡は一応整ったとされる(着工したものの完成する事がなかった「成田新幹線」の施設(駅等)を一部活用し、JR線・京成線と接続した。開港時より京成スカイライナーは運行していたが、当時の成田空港駅(現・東成田駅)はターミナルから少し距離があった)。しかし都心部からは1時間程度の所要時間がかかることもあり、現在成田高速鉄道アクセスの整備が行われている。