| 李舜臣 | |
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| Yi-Sun-sin.jpg | |
| 英語表記 | Yi Sun-sin |
| ハングル表記 | 이순신 |
| 漢字表記 | 李舜臣 |
| 片仮名転写 | イ・スンシン |
京畿道開豊郡の徳水李氏の出身で、現北朝鮮領の開城に生まれた。1576年、武科(武官の登用試験)に及第し、1591年に全羅道左水軍節度使に抜擢される。
豊臣秀吉が朝鮮出兵を開始すると、水軍指揮官の一人として主に停泊中の艦を焼き払うゲリラ攻撃で功績を立て、後に水軍の全権を掌握した。主として日本水軍の補給路を断つ戦術を展開し、戦術的な成功を収める。
しかし、日本軍への全面的な攻撃命令を無視して動かなかったため解任され、1597年に彼の後任の水軍統制使元均が巨済島海戦で大敗を喫し、戦死すると水軍統制使に返り咲いた。
三道水軍統制使に復帰すると、陸地での戦況の不利にもかかわらず、重要な局面で大きな戦勝を数多くあげる。更には秀吉の死で撤退する日本軍に周囲の制止を振り切って懸命な追撃戦を行い、露梁海戦で戦死する。なお、この戦いでは朝鮮水軍の主たる将が戦死している。李舜臣はその死後に忠武と謚(おくりな)された。
韓国ソウルの官庁街である世宗路には、李舜臣の銅像が建てられている。これは軍事政権下の力の象徴として設置されたと言われる。しかし、世宗路の拡張工事のために撤去される予定である。 釜山龍頭山公園にも外寇から国を守るために銅像が建っている。
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