article

本田技研工業株式会社ほんだぎけんこうぎょうHonda Motor Co., Ltd.)は、本田宗一郎1948年に創業した自動車メーカー。日本を代表する機械工業メーカーのひとつ。主にHondaのブランドでオートバイ自動車、汎用製品を製造している。新規分野へも意欲的で、ASIMOのようなロボット飛行機についても開発を行なっている。創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は本田宗一郎の姓から名づけられた。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区南青山東証一部上場。

  • 通称および東証での表示は「ホンダ」。最近では「Honda」とローマ字(大文字、小文字混合)で表記することが標準となっている(ロゴはローマ字大文字(HONDA))
  • 2004年7月に埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた。(海外本社機能は港区南青山

概要


沿革

戦前より自動車部品などを製造していた東海精機をトヨタグループに売却した資金を元に、1946年静岡県浜松市山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発し、ヒット商品となる。 1948年に株式会社(本田技研工業株式会社)として設立。 1963年には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。

その後もCVCCVTECVTEC-Ei-VTECi-DSIIMAに代表される高い技術開発力で「技術のHonda」に成長した。また1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。

自動車・二輪車・汎用だけでなく、ASIMO(アシモ)に代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らしたという快挙も成し遂げた。

また、2003年末には、宗一郎が夢見ていた航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功している。さらに、2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化で、GEとの提携も発表。本格的に航空機ビジネスが動き出した。

藤沢武夫の「(Hondaの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が今も守られており、歴代の社長は技術畑出身の人しかいないという珍しい企業でもある。また、「Honda」にもかかわらず、本田宗一郎の遺志により社長が本田一族に引き継がれていないのも特徴。本田宗一郎の息子本田博俊は自動車エンジン製造会社「無限」を設立し、ホンダ車用のアフターパーツ製造販売、及びレース用エンジンの開発製造を行ったが、2003年7月に法人税法違反容疑で本田博俊社長と広川則男元監査役が逮捕され、2004年1月に株式会社M-TEC に無限の全事業を譲渡している。

業務

主とした業務は、オートバイ、自動車、汎用製品の製造、販売である。オートバイに関しては世界第一位のメーカーであり、世界中のほとんどの地域で販売・運用されている。自動車に関しては、2003年には初めて国内の販売台数でトヨタ自動車に次いで第2位になったが、トヨタ自動車の反撃や日産自動車の躍進により、その後は再び国内販売3位に甘んじている。軽主体であった、スズキ自動車も、90年代以降、積極的に普通車市場に製品を投入してきており、上位3社プラスマツダを含む5社の激しい市場争奪戦となっているのが日本市場である。北米では大衆車ブランドのHondaと高級車ブランドのAcuraで展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米を含む海外では、国内では販売していないATV船外機水上オートバイなども取り扱っている。

中国展開

本田技研の中国展開は、進出競争の激しい各国メーカーの中でも特に成功した部類に入る。1973年に本田宗一郎自ら訪中し、中国展開を決意、二輪車の輸出を始める。1982年には重慶のメーカーと技術提携し、現地での二輪車部品生産皮切りに、1992年には、重慶、広州天津合弁企業による二輪車生産工場を設ける。二輪でのある程度の成功を持って本格的な四輪販売へ乗り出すべく、1993年には香港Honda Motor Chinaを設立。当時輸入車のみではあったが、四輪の中国でのアフターサービスを行った。本格的な四輪生産は1994年東風汽車武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司に始まる。1998年には広州汽車広州)と合弁し、それまでの相手だったプジョー撤退後の工場をそのまま受け入れ、アコードフィットなどの生産を始める。プジョー時代からの従業員を上手く本田流に指導し、モチベーションアップにより高品質の製品が作り出されるようになった。今では年間300万台を生産するまでに発展し、広州市のパトカーにもHonda車が使われている。ホンダが2003年から中国河北省のメーカー双環汽車と争っているスポーツ用多目的車(SUV)「CR-V」の外観意匠(デザイン)の訴訟では、2006年3月に中国国家知識産権局がホンダ側の外観意匠権を「全て無効」とする決定を下した。

主な役員

  • 相談役 : 吉野浩行
  • 代表取締役社長 : 福井威夫
  • 代表取締役副社長 : 青木哲

  • (株)本田技術研究所代表取締役社長 : 白石基厚
  • ホンダエンジニアリング(株)代表取締役社長 : 岩田 秀信
(2005年6月23日現在)

モータースポーツへの取り組み

設立翌年1949年には日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝するなど当初よりモータースポーツへの志の高い会社とも言える。

1961年5月14日に、Hondaのマシンを駆った高橋国光によりWGPにおいて日本人初の優勝を飾る。WGPでは最高峰のMotoGPクラス(旧GP500クラス)で1966年の初勝利以降、2005年終了時点で通算196勝を達成。

F1には、1964年から1968年に単独チームで、1983年から1992年2000年から2005年はエンジン供給し、2006年から再び単独チームとして参戦。通算71勝(単独チームでは2勝)を達成。→詳細に関しては、ホンダ・レーシング・F1チームを参照。

アメリカにおいては、1994年から2002年まではCARTで通算65勝、2003年からはIRLで通算27勝(2005年終了時点)を達成している。なお、IRLへの参戦は2009年まで継続することを2005年10月16日付で発表した。

国内においては、Super GTにNSXで参戦中で、フォーミュラ・ニッポンにも2006年よりエンジン供給する。

社業としてのモータースポーツだけでなく、ユーザにもモータースポーツを楽しんでもらおうと、シビックインテグラによるワンメイクレースを開催している。

2004年は、「2004年 ベルノエキサイティングカップ インテグラワンメイクレース」が各地方シリーズとして開催される予定である。

しかし、様々なレースに積極的に参加する反面、ラリーへの参加はこれまでにない。(プライベーターがHonda車を使うことはある)

環境への取り組み

1971年には低公害技術であるCVCC発表。翌年から翌々年にかけてトヨタフォードクライスラーいすゞに技術供与。

近年は、燃料電池車のFCXの開発、ハイブリッド車インサイトシビックハイブリッドアコードハイブリッドの市販など環境を考えた製品開発にも取り組んでいるだけでなく、工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営等、多岐に渡っている。

商品展開

二輪
自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブ50という空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。これによって、「スーパーカブのHONDA」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカが覇権を握る下地となった。

社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権(MotoGP)やプロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。

ほとんどのジャンル、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、世界第1位の二輪メーカの座を盤石のものとしている。

四輪
新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず全国共通仕様にする事で基本的に日本全国価格が均一で、地方や季節を選ばずトラブル無く走る事が出来るが、その分他社の乗用車よりもバッテリー等の部品が高い事がある。北米等の海外で好評価を得ているメーカーだからこそのこだわりと思われる。

環境特性についても、初代シビックを筆頭に優れた量産車を作っているが、ハイブリッドにおいても、1996年に発表したインサイトの燃費は量産車として、いまだ破られていない。

トヨタ系列などのハイブリッドは電気モーターでの走る・止まる(回生)が主体だが、インサイトはエンジン主体であるようだ。 また他社のハイブリッドを始め、シビックハイブリッドなどはCVT方式なのに対してインサイトは5MTという設定で燃費36km/ℓを達成。こういう技術などからホンダの燃費・エンジン技術の高さを見られる

一方、従来スポーティーなモデルを得意とし、またイメージリーダーとしてきたが、オデッセイを始めとする一連の"クリエイティブ・ムーバー"シリーズの発売を境にRVにも力を入れている。

特にオデッセイは今の日本のミニバンブームのパイオニアと言える存在で、乗用車並の操縦安定性と運転の楽しさを持ち、1994年10月の登場より3代目となる現在までヒットを続けている。

コンパクトカーの分野では、2002年、フィットトヨタカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1~6位(2004年1~8月データによる)の成績を維持している。 2006年度、日本国内の省エネ法改正等の車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットをベースにしたハイブリッド車も開発されている。

構造的にスポーツモデルに適さないとされていたFF車で、目を見張るほどのスポーツ性を有したインテグラシビックCR-Xなどを送り出した。タイプRという快適性を犠牲にし、過酷なサーキット走行までも視野に入れたスポーツモデルをインテグラ、シビック、NSXに設定している。また、アルミを電気溶接する際の莫大な電力消費を補うために、工場敷地内に発電所を備えた栃木製作所高根沢工場栃木県塩谷郡高根沢町)を新規に建設して送り込んだNSXシリーズは、オールアルミボディを備え、国産スポーツカーの最高峰として君臨している。

近年、昔販売されていたS800などの後継として発売されたS2000は、ホンダでは唯一のFR車である。このS2000は、排気量2000ccで250馬力を発揮している。しかも、S2000は、他車と部品を共用していない独自のプラットフォームなのも魅力である。

北海道鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられたスポーツモデルや4WDモデルも数多い。

2004年10月7日に発売されたレジェンドには新開発の四輪駆動SH-AWDを採用し、また、国産初の300ps(221kW)を達成した。

レジェンドは四輪全ての独立駆動が可能となっており、コーナリングに役立っている。また、ホンダの高級車として君臨している

汎用機械
草刈り機やトラクター、芝刈り機などの農業機械、除雪機、船外機、発電機などを生産している。特に芝刈り機のシェア世界一を誇る。

キャッチフレーズ

  • 新しい世界を創る。
  • クルマが家族になる。 (1985年~ プリモ店)
  • クルマがゆとりになる。 (1985~ クリオ店)
  • クルマが個性になる。  (ベルノ店)
  人、きらめく、走り。 (1990年~) 
  • 人と、地球に「夢・発見・ドラマ」を。(1990年代)
  • The Power of Dreams『=夢の力』(2005年1月現在) =グローバルスローガンとして、全世界で使用される。(2006年1月より同社のCMで、音声によるアナウンスもされている)
  • 翼ある人(Honda Motorcycle、2004年12月現在)
    • 他にも2006年現在、企業CMには"Do You Have a Honda?"が使われている。これは「あなたはHonda(製品)を持っていますか?」と言う意味だけでなく、「Hondaの心」ーつまり若々しさ、ユニークさ、意欲的に挑戦する心を持っていますか?と取ることも出来る。CMソングにはザ・ハイロウズの『日曜日よりの使者』が用いられている。

年表


社史

  • 1946年 本田宗一郎、静岡県浜松市山下町30番地に本田技術研究所を開設。旧陸軍無線用発電機を改造した冷却2サイクルの本田エントツ型エンジンを自転車に搭載した通称バタバタを発売する。
  • 1947年 自社設計第1号製品、ホンダA型自転車用補助エンジン生産開始。のちに2代目社長となる河島喜好が11人目の社員として入社。
  • 1948年 本田技術研究所を継承し、浜松市板屋町257番地に本田技研工業株式会社を設立。
  • 1949年 藤沢武夫が入社。初の自社設計フレーム98cc2サイクル単気筒エンジンを搭載したドリーム号D型生産開始。
  • 1950年 東京・京橋に営業所開設。同時に北区上十条の東京工場が稼動を開始。
  • 1951年 現在の埼玉県和光市に白子工場を建設。
  • 1952年 自転車用エンジンを搭載したカブF型発売。世界的ベストセラーとなる。全国5000を超える自転車販売店にダイレクトメールを送り販売網を確立。
  • 1953年 東京・八重洲に二階建て社屋を建設、浜松から東京に本社を移転。埼玉・大和工場、浜松工場を開設
  • 1954年 東京証券取引所に株式店頭公開。本田宗一郎、欧州を視察。
  • 1955年 二輪車生産台数日本一達成。
  • 1957年 東京証券取引所第一部上場。
  • 1959年 米国現地法人「American Honda Motor Inc.」をロサンゼルスに設立。
  • 1960年 研究開発部門を分離した「株式会社本田技術研究所」を設立、鈴鹿製作所を開設。
  • 1961年 旧西ドイツに「ヨーロッパ・ホンダ」設立。
  • 1962年 四輪車への進出の意向を表明
  • 1963年 8月、ホンダ初の4輪車、軽トラックT360、T500発売。日本自動車産業界初の海外生産工場としてベルギーに小型オートバイの組立工場「ホンダ・ベネルクス」を開設して二輪車生産開始。本田鋳物(現・本田金属技術工業)を設立。
  • 1964年 埼玉製作所狭山工場を開設。
  • 1968年 大気汚染防止法をクリアをするエンジン開発を全社で取り組むため、F1参戦一時休止を宣言。
  • 1965年 英国に販売拠点「ホンダ・UK」設立。
  • 1972年 低公害エンジン「CVCC」の開発に成功。米の大気清浄法案(マスキー法75年度規制)を世界の自動車メーカーに先駆けてクリア。
  • 1973年 本田宗一郎社長、藤沢武夫副社長退任。本田宗一郎は取締役最高顧問に就任。河島喜好が2代目社長に就任。
  • 1974年 軽自動車市場から一時撤退(軽トラックは除く)。
  • 1978年 販売チャネル「ホンダ・ベルノ店」発足。旧来のホンダ店(当時)との二極化。
  • 1979年 米国オハイオ州に現地生産工場を開設、英ブリティッシュ・レイランドローバー)社と業務提携を結ぶ
  • 1983年 本田宗一郎が取締役を退き、終身最高顧問になる。河島喜好が社長を退任、久米是志が3代目社長に就任。
  • 1980年 売り上げが1兆円を達成。
  • 1984年 「ホンダ・クリオ店」発足。3チャンネル体制となる。
  • 1985年 軽自動車市場に再参入。「ホンダ・プリモ店」発足。四輪車販売網3系列体制確立。ホンダ青山ビル竣工。
  • 1986年 米国で第2販売チャンネルとして「ACURA」ブランドを立ち上げる。ロボットの研究に着手する。
  • 1988年 藤沢武夫死去。
  • 1989年 オハイオ第2工場を開設。新エンジンVTECを開発。
  • 1990年 久米是志が社長を退任、川本信彦が4代目社長に就任。スーパースポーツカーNSXを発売。
  • 1991年 本田宗一郎死去。
  • 1993年 足と胴体と腕がついた本格的人間型ロボットP1開発に成功。P3まで改良される
  • 1994年 クリエイティブムーバーシリーズ第1弾であるオデッセイを発売。新ジャンルの車種でありながらも大ヒットとなり、Hondaの景気回復に貢献した。
  • 1998年 創業50周年記念イベントとして、「ありがとうフェスタinもてぎ」が10月4日に開催される。川本信彦が社長を退任、吉野浩行が5代目社長に就任
  • 1999年 創業50周年記念モデルとして、29年ぶりとなるFR駆動のスポーツカーS2000を発売。
  • 2000年 新世代のVTECエンジンで、高出力、低燃費に対応したi-VTECを開発。小型化・軽量化されたヒューマロイドロボットASIMO登場。
  • 2003年 吉野浩行が社長を退任、福井威夫が6代目社長に就任
  • 2005年 NSXの生産及び販売を終了。
  • 2006年 プリモ店ベルノ店クリオ店を「Honda Cars(ホンダカーズ)店」に名称変更、四輪車販売系列を1本化。
  • 2008年 アキュラ店を開業する予定。

モータースポーツ史

  • 1949年 日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝
  • 1954年 2月、ブラジルの国際モーターサイクルレースの125ccにて、完走18台中13位。3月20日、「マン島T.T.レース出場宣言」を発表
  • 1955年 第1回浅間高原レースにてヤマハに惨敗。
  • 1957年 第2回浅間火山レースでヤマハに負ける。
  • 1959年 マン島T.T.レース初出場。最高6位。レース10年ぶりにチーム登録3名が全員完走、チーム賞を受賞。ロードレース世界選手権(WGP)参戦を開始。第3回浅間火山レースで、125cc、250ccにて1~5位まで独占。
  • 1960年 マン島T.T.レース125ccにて最高6位、250ccにて最高4位。
  • 1961年 マン島T.T.レース125cc、250cc両クラスにて1~5位まで独占。優勝タイムや最速ラップなど、記録をすべて更新。
  • 1962年 三重県鈴鹿市に本格的自動車サーキット「鈴鹿サーキット」を完成。11月に同サーキットで第1回全日本選手権ロードレース大会を開催し、4クラス優勝
  • 1964年 1月、本田宗一郎、F1GP出場を宣言。8月、F1ドイツGPにRA271で初出場。(13位完走)
  • 1965年 F1メキシコGPメキシコシティ)で初優勝(RA272、リッチー・ギンサー
  • 1966年 WGP全クラスに参戦、全クラスを制覇。この年をもってロードレース世界選手権撤退。またF2でホンダエンジンを搭載したブラバムが開幕11連勝を達成するが、同年でF2からも撤退
  • 1968年 F1レース活動の第1期終了
  • 1979年 WGP参戦を再開。500ccクラスでは4ストロークのNR500で参戦
  • 1980年 F2へのエンジン供給を再開
  • 1982年 WGP500ccクラスに2ストローク・3気筒のNS500を投入
  • 1983年 F1再参戦を発表、イタリアGPで15年ぶりに復帰。(スピリット)英ウイリアムズと提携(~1987年)。またWGP500ccクラスでフレディ・スペンサーがNS500でシリーズチャンピオンを獲得
  • 1984年 F1アメリカGPダラス)にて、F1レース活動第2期始動後初優勝(ケケ・ロズベルグ
  • 1985年 WGPでフレディ・スペンサーがNSR500(2ストローク4気筒)で500ccクラスチャンピオン。250ccクラスとのダブルタイトルを獲得
  • 1986年 F1でWilliams Hondaとして初の年間優勝
  • 1987年 F1で英ロータスへエンジン供給を開始(~1988年)、F1日本GPを鈴鹿サーキットで開催(2005年現在継続中)、Williams Hondaが年間優勝(ドライバー優勝=ネルソン・ピケ
  • 1988年 F1で英マクラーレンへエンジン供給を開始(~1992年)、Honda Marlboro McLarenが16戦15勝で年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ
  • 1989年 F1でHonda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アラン・プロスト
  • 1990年 F1でHonda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)
  • 1991年 F1で英ティレルへエンジン供給(この年のみ)、Honda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)
  • 1992年 F1レース活動第2期終了
  • 1994年 CARTシリーズに参戦、エンジン供給を開始。NSXでル・マン24時間レースに参戦開始。
  • 1995年 ル・マン24時間レースにて高橋国光らオール日本人ドライバーのNSXチーム、GT2カテゴリーでクラス優勝。
  • 1997年 栃木県・茂木町に日本初のオーバルコースを持つツインリンクもてぎを開業。この年から現在(2005年)まで鈴鹿8時間耐久ロードレース9年連続優勝中 
  • 2000年 F1レース活動の第3期をB・A・R Hondaとして開始
  • 2001年 F1で英ジョーダンへエンジン供給を開始(~2002年)
  • 2002年 CARTシリーズでの活動を終了
  • 2003年 F1、IRLJGTC、MotoGP、WSS、WMX、JMX、AMA-SXに参戦。ロードレース世界選手権のWGP500cc→MotoGPクラスでNSR500とRC211Vにより3連覇、WSSで2連覇
  • 2004年 F1アメリカGP(インディアナポリス)でB・A・R Hondaの佐藤琢磨が3位表彰台に立つ(F1の表彰台に日本人が立つのは鈴木亜久里以来14年ぶりの快挙)。また、ジェンソン・バトンが10回の表彰台登壇を果たすなど、ドライバーズランキング3位となり、B・A・R Hondaもコンストラクターズランキング2位となる。
  • 2004年 IRLでINDY500初優勝(1位~7位独占)、16戦14勝で年間優勝(ドライバー優勝=トニー・カナーン)、松浦孝亮が日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤーで3冠達成
  • 2005年 IRLでINDY500の2年連続優勝(1位~4位独占、優勝者はダン・ウェルドン)達成、17戦12勝で年間優勝(ドライバー優勝=ダン・ウェルドン)
  • 2005年 FIN世界耐久選手権、鈴鹿8時間耐久ロードレースでワークスチームのSeven Stars Honda 7とSeven Stars Honda 11が1-2フィニッシュ
  • 2006年 F1でB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりにオールホンダとして参戦。
  • 2006年 サーキット事業を強化するため、鈴鹿サーキットランドとツインリンクもてぎが合併し株式会社モビリティランドが発足

生産拠点


二輪

四輪

エンジン

商品


二輪と四輪で共に使用している商標もある。

二輪

現行機種
=50cc以下(原付一種)
=

=125cc以下(原付二種)
=

=125cc超250cc以下
=

=250cc超400cc以下
=
=400cc超750cc以下
=
=750cc超
=

=輸出車両
=

過去の生産機種
=50cc以下(原付一種)
=

=125cc以下(原付二種)
=

=125cc超250cc以下
=

=250cc超400cc以下
=

=400cc超750cc以下
=

=750cc超
=

四輪

現行車種

今後発売が予想される車種

日本以外での販売車種

過去の生産車種

汎用製品

原動機
  • ホンダ・GX35
  • ホンダ・GX670
他多数

航空機(開発中)

販売店

自動車
チャネルの統合に伴い、2006年8月にこれまでの販売網3系列(下記参照)を名称統一し、全国各店舗の屋号の変更から始まり、秋からは新色のシルバー基調をベースとしたカラーを一新し、順次店舗外装を変更する。 また、2008年秋には「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されている。

ホンダカーズ店へ順次移行・変更前の販売系列

2006年3月1日を以て店舗名はそのままながら全店全車種取り扱いへと移行したため、事実上系列の区分けはなくなった。

  • Auto Terrace 中古車販売(ホンダ車のみ)・買取店

二輪車

主なグループ企業(国内)


関連項目


モータースポーツ

  • M-TEC(チューンナップメーカー『無限』)

スポーツチーム

人物

  • 入交昭一郎(元ホンダ副社長、セガ社長)
  • 上原繁(本田技術研究所上席研究員)
  • 後藤治(元ホンダF1プロジェクトリーダー)
  • 桜井淑敏(元ホンダF1総監督)
  • 佐藤満(元ホンダ・タイランド社長、フォルクスワーゲンジャパン社長、ゼネラルモーターズジャパン社長)
  • 中村良夫(元本田技研、初代ホンダF1チーム監督)
  • 宗国旨英(元ホンダ会長)
  • 森脇基恭(元本田技研、フジテレビF1中継解説者)

テレビラジオ提供または提供枠のある番組

外部リンク


日本の輸送用機器産業 | 自動車メーカー・ブランド | オートバイメーカー・ブランド | 多国籍企業 | 東京都の企業 | 東証一部上場企業 | NYSE上場企業 | 日本の航空機メーカー

Honda | هوندا | Хонда | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | Honda | 혼다 | Honda | Honda | Honda | Honda | Хонда | Honda | Honda | ฮอนด้า | 本田技研工业股份有限公司

 

This article is licensed under the GNU Free Documentation License. It uses material from the "本田技研工業".

Home Pageartsbusinesscomputersgameshealthhospitalshomekids & teensnewsphysiciansrecreationreferenceregionalscienceshoppingsocietysportsworld