Nihonkoku kenpo.jpg 日本国憲法 (にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう、日本國憲法)は、日本国の現行憲法である。
日本国憲法は、第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)における日本国(大日本帝国)の敗戦後に、大日本帝国憲法を改正して1946年(昭和21)11月3日に公布され、1947年(昭和22)5月3日より施行された。現在まで一度も改正されたことはない。そのため本来の漢字表記は、当用漢字以前の漢字のままである。
国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を採り、個人と基本的人権の尊重を期するため、国会・内閣・裁判所などの国家の組織体制と基本的秩序を定める。この他、戦争の放棄と戦力の不保持が定められていることも特徴的である。
日本国憲法は日本国の最高法規に位置づけられ(98条)、下位規範である法令や条約によって憲法を改変することはできない。また、日本国憲法に反する法令や国家の行為は、違憲・無効とされる。
次に、憲法は、多くの国では、憲法典という文書の形で制定される。これを成文憲法(成文法)という。日本国憲法は成文憲法である。成文憲法の対義語は不文憲法であり、著名な不文憲法の国としてはイギリスがある。イギリスには成文の憲法典はなく、大憲章(マグナ・カルタ)をはじめとする多くの文書や通常の法律、慣習法などの憲法的規律によって国家秩序が定められている。
また、憲法は、多くの場合、改変するための条件が他の法令に比べて厳しくなっている。これを硬性憲法という。これは、国家の基本的秩序をはっきりと示し、容易に改変させないためである。日本国憲法は、改正の条件を「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民…の過半数の賛成を必要とする。」(96条)と定め、改正のハードルを他の法律よりも高くしている。そのため、日本国憲法は硬性憲法である。他方、他の法令と同様の条件で改変できる憲法を軟性憲法という。イギリスの憲法は、他の法令と同様の条件で改変しうるため、軟性憲法の国でもある。
成文の硬性憲法であっても、日本のように改正の少ない国もあれば、ドイツのように頻繁に改正する国もある。また、イギリスのように軟性の不文憲法であっても、憲法的規律を容易には変えない国もある。
憲法には多くの場合、表現の自由や選挙権などの国民の権利についての規定(人権規定)と、立法府や行政府などの国家統治の基本的な組織についての規定(統治規定)が盛りこまれる。この人権規定の背後には自由主義があり、統治規定の背後には民主主義がある。これが近代的意味の憲法の特質である。日本国憲法も、人権規定と統治規定を含む。
また、この他にも、立憲君主制や間接民主制、権力分立制、地方自治制度、国防軍の文民統制なども多くの国で採用され、憲法典に定められている。日本国憲法でもこれらの多くが採用され、さらに、象徴天皇制というかたちの立憲君主制や、戦力放棄規定、刑事手続(犯罪捜査・裁判の手続き)についての詳細な規定など、日本国憲法に特徴的なものもある。
これら個々の規定・条項にも増して重視されるのは、憲法が国家の基本的な秩序を定めた最高規範であるということから、その背後にある、国のあり方についての理念である。これを「主義」「原理」「原則」などと表現することもある。日本国憲法では、この理念の中心に「個人として尊重」(13条)、「個人の尊厳」(24条)という個人の尊厳の原理(個人主義ともいう)を置く見解が一般的である(異説もある)。個人の尊厳の原理は、人間の人格不可侵の原則とも言う。個人の価値を裁定するのは人間や社会ではなく、一人一人の個人は人間として最大限の尊重を受けるという考え方である。ここに、利己主義や、放縦な他害行為を容認するという考え方とは厳しく区別されねばならない。
この三大原理の中でも、基本的人権の尊重・国民主権(主権在民)は、各国の近代憲法においても重視される。他国の憲法においては平和主義の代わりに権力分立(三権分立)をいれる場合も多い。基本的人権の尊重の背後には自由主義があり、国民主権(主権在民)の背後には民主主義がある。この両主義を融合して、自由民主主義(リベラルデモクラシー)ともいう。もっとも、これは両主義が全く並列にあることを示してはいない。自由民主主義は、自由主義を基礎とし、自由主義を実現する手段として民主主義が採られることを示す。これは、民主主義の名の下に、多数決により、広く自由を蹂躙した苦い歴史を踏まえて打ち立てられた考え方だからである。それゆえ、自由主義、基本的人権の尊重こそが、憲法の最も重要な要素であるとされる。基本的人権の尊重は、根本法理、根本規範などとも呼ばれ、憲法改正手続を経たとしても否定することはできないと考えるのが通説である。
このように、自由主義・民主主義、そして平和主義は、基本的人権の尊重・国民主権(主権在民)・平和主義(戦争の放棄)という日本国憲法の三大原理の背後にある考え方として尊重・保障されている。他方、日本国憲法には、自由主義・民主主義・平和主義に一見対立するとも見られる考え方も、その内実として含む。自由主義に対しては「公共の福祉」が、民主主義に対しては間接民主制が、平和主義に対しては自衛権の行使が各々対峙する。しかし、これらは、両者を伴って初めて安定的に機能する仕組みであると言える。
以下、基本的人権の尊重・国民主権(主権在民)・平和主義(戦争の放棄)について説明する。
基本的人権の尊重は、古くは、人間の自由な思想・活動を可能な限り保障しようとする自由主義を基調とする政治的理念であった。政治的な基本理念である「自由主義」は、国家権力による圧制からの自由を意味し、国家からの自由の理念を示すため、「立憲主義」と表現されることも多い。特に、権力への不信を前提にすることから、単に「国家からの自由」ともいわれる。民主政治の実現過程において、国家権力による強制を排除して個人の権利の保障するための理念として自由主義は支持された。自由主義は、政治的には市民的自由の拡大、経済的には自由政策の維持として表れるといわれている。さらに、自由主義は、個人の幸福を確保することを意図した理念でもあることから、国民が個人の集合体に変化するのにともなって、国のあり方を決定づける理念として把握されるようにもなった。日本国憲法における国家組織の規定も、国民主権の考え方と相互に関連して、自由主義を踏襲している。
現代においては、初期の自由政策的な経済によって貧富の格差が生じたことから、自由主義は、社会権(所得の再分配など)による修正を受けるようになった。他方で、現代民主主義が個人の自由の保障に強く依存するのにともなって、自由主義は飛躍的にその重要度を増した。特に、ナチス・ドイツが民主制から誕生し、甚大な惨禍をもたらしたことから、国民の自由を保障できない制度は、民主主義といえないことが認識され、自由主義と民主主義が不可分に結合した立憲的民主主義(自由民主主義)が一般化し、自由は、民主主義に欠くことができない概念として多くの国で認知されるようになった。日本国憲法でも、個々の自由と国家が衝突する場面において、自由を優先させる趣旨の規定が見られる。(違憲立法審査権による基本的な人権の保護など)。
なお、日本語の「自由主義」は多義的で、時として混乱が見られる。「自由」という用語に多くの意味があることが原因で、「自由主義」が個人間における勝手気ままな振る舞い(権利の濫用)を是認するように受け取られることもある。しかし、自由主義は、他者の自由との関係で個人の自由が制約され得ることも、当然のこととして内包する。すなわち、自由主義は、自己の自由を求めるのみならず、他者の自由を承認することも含む。そして、個人は社会の中で他者と共に生きるのであって、他者との関係を無視して生きることはできない。そこで自ずと、衝突する個人間の自由の一方あるいは双方を制約して、これを調整することが図られなければならないからである。この、人権相互間の矛盾・衝突を調整するための実質的な公平の原理が、12条や22条1項などにある「公共の福祉」である(一元的内在制約説)。このように、公共の福祉を人権相互間の調整原理であると考えると、論理必然的にすべての人権に内在するものということになる。そこで、「公共の福祉」という語は明文上、12条、13条、22条1項、29条2項にしかないものの、すべての人権が「公共の福祉」により制約され得ることとなる。もちろん、その制約の程度は、権利の性質に応じて異なる。
国家からの自由という理念から、日本国憲法の重要な原則である基本的人権の尊重が導かれる。前文では「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し(後略)」と規定され、11条では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と宣言されている。また、「表現の自由」(21条1項)など第3章の詳細な人権規定、権力分立による権力集中の防止(これによって権利の濫用の防止)、裁判所の違憲立法審査権(民主的意思決定による基本的人権の侵害を防止・81条)、憲法の最高法規性(第10章)など、ほとんどすべての規定が自由主義の理念のあらわれといえる。
民主主義は、平たく「民衆による政治」ともいわれ、この理念をもとにした政治形態は民主制(民主主義制、民主政)と呼ばれる。民主主義を最も徹底すれば、国民の意見が直接政治に反映される直接民主制が最良ということになる。現に人口の少ない国(スイスなど)や日本でも地方公共団体(地方自治法94条の町村総会、74条以下の直接請求)では、現在でも直接民主制が広く取り入れられている。しかし、現代国家においては、有権者の数が多いため直接民主制を採ることが技術的に困難であることや、直接民主制が有権者相互の慎重な審議討論を経ず、多数決による拙速な決定に陥りやすいなど、国民意思の統一に必ずしも有利ではないことから、大統領や国会議員などを国民の代表者として選挙で選出し、国民が間接的に統治に参加する体制が採られる。この体制を間接民主制(代議制民主主義)という。日本国憲法は、原則として間接民主制を採用している(前文、43条など)。例外的に、憲法改正国民投票(96条)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条)など一部の重要事項についてのみ、直接民主制を採り入れている。
「民衆による政治」は、「民衆によらない政治」との争いの中で次第に洗練され、現代の民主主義は、より実質的に「民衆による政治」の実現を目指す理念になっている。この理念の下では、単に投票ができることにとどまらず、政治に関する多角的な意見を知り、また発信できることなど、個人の権利が重んじられることが前提とされる。現代民主主義が、自由主義や個人主義を基盤にしていると指摘されるのはそのためである。
この「民衆による政治」という理念から、日本国憲法において国民主権が重要な原則として制度化された。前文では、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」と表現されている。民主主義の憲法上のあらわれとしては、国民の選挙権(15条)、国会の最高機関性(41条)、議院内閣制(66条など)、憲法改正権(96条)など、多くの規定が見られる。
平和主義は古くから見られるが、深刻な被害をもたらした第一次世界大戦後、自由主義・民主主義と結びつき、国民生活の基盤としての平和主義が理念として発展した。現代の平和主義について、平和状態が国民生活基盤において重要であることについてほとんど争いはない。むしろ、その平和な状態を国際秩序においていかにして確保するかという点で、激しい論争がある。
日本国憲法は9条1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄している。通説では、これは侵略戦争を放棄することを示すとされる。さらに同条2項では、「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとし、「国の交戦権」を認めないとしている。これにより、自衛戦争も放棄したと解されている。すなわち、すべての戦争を放棄していると解釈される。しかし、このことは、独立国家に固有の自衛権までも放棄することを意味しない。国家がその平和と独立を維持するためには、それを自ら防衛する権能を持つことが求められるからである。そして、自衛のための必要最小限度の実力は、2項に言う「戦力」にあたらないと解される。このように、平和主義と自衛権の行使は、対立するものではなく、達するべき目的とそれを実現するための手段という関係にある。
日本語の平和主義は多義的で、混乱がある。個人の信条としての平和主義は、争いを好まない態度を意味することが多い。これに対して憲法理念としての平和主義は、平和に価値をおき、その維持と擁護に政府が努力を払うことを意味することが多い。日本の平和主義は、通常の憲法理念としての平和主義に加えて、戦力の放棄を前提にした理想的平和主義として理解されることがある。これは、日本の第二次世界大戦での敗戦と国土の疲弊、憲法前文と第9条が一切の戦力・武力行使を放棄したと解釈できることによって支えられている。この理想的平和主義については、安全保障の観点がないのではないかという意見の一方で、世界に先んじて日本が理想的平和主義の旗振り役として率先して憲法の精神に基づくよう努力するべきだとの意見がある。なお、これらとは別に自衛権は自明の理であり、自衛権の行使は戦争には当たらないとする意見がある。
日本国憲法は、本文の他に、上諭と前文が備わっている。
上諭とは、単なる公布文であって憲法の構成内容ではない。しかし、制定法理との関係で問題となり、注目される。この上諭には、「日本国民の総意に基いて」という国民主権的文言と、天皇主権の帝国憲法の改正手続が並列して記されているからである。(下記「制定法理」参照。)
前文とは、法令の条項に先立っておかれる文章であって、その法令の趣旨・目的・理念などを明示するものである。日本国憲法の前文には、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という日本国憲法の三大原理が示されている。特に、大戦直後という歴史的背景から、平和主義が強調され、これを根拠に個人の人権として平和的生存権を導く見解もある。もっとも、権利の内容と主体がはっきりしないため、理念的な権利としてはともかく、裁判で主張できるような具体的な法的権利性を認めることは困難であると一般的に考えられている(参照:恵庭事件)。
条章構成は以下の通り。全文はウィキソースを参照のこと。各条章の詳細については条章別の記事を参照のこと。 Politics Under Constitution of Japan 02.png
日本国憲法は、第1章に天皇に関する事項を定める。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定される(1条)。天皇は、内閣の助言と承認により、国民のため、法令の公布、国会の召集、衆議院の解散、官吏の任免の認証、栄典の授与、外交文書の認証などの国事行為を行う(7条)。また、国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命し、内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命する(6条)。
他の二権との関係では、まず、内閣に対しては、国会に内閣総理大臣の指名権があり(67条)、衆議院には内閣不信任決議権がある(69条)。また、院の権能である国政調査権(62条)を行使して、内閣の行為を調査監視する。裁判所に対しては、裁判官弾劾裁判所を設置して、非行のあった裁判官を弾劾する(64条)。もっとも、裁判官弾劾裁判所自体は国会から独立した機関である。また、裁判官は国会が作った法律に拘束される(76条3項)。
内閣は、天皇への助言と承認を通し、衆議院の解散権を行使する(7条3号)。内閣は、最高裁判所長官を指名し(6条2項)、その他の裁判官を任命する(79条1項)。
裁判所は、法令審査権(違憲立法審査権、違憲審査権)を行使する(81条)。同条は、最高裁判所を「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」と規定するが、これは下級裁判所も法令審査権を行使しうることを示している。この法令審査権は、裁判所が裁判を行うにあたって適用する法令が違憲であるか否か判断する権限であって、具体的な事件から離れて抽象的に、ある法令が違憲であるか否か審査する権限はない。
第8章は地方自治に関する事項を定める。地方自治は、住民自治と団体自治をその本旨とする(92条)。地方公共団体には、その長(首長)と議会が置かれ、住民は首長と議員を直接選挙で選出する(93条)。地方公共団体は、その財産を管理し、行政を執行する権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制定する権限を有する(94条)。また、一の地方公共団体のみに適用される特別法(地方自治特別法)は、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は制定することができない(95条)。
この改正手続を定める国民投票法案は、いまだ制定されていない。その他の論点については、憲法改正論議の項目を参照のこと。
大正時代には、都市中間層の政治的自覚を背景に、明治以来の藩閥・官僚政治に反対して護憲運動・普通選挙運動が展開された。民主主義(民本主義)、自由主義、社会主義の思想が高揚、帝国議会に基礎を持つ政党内閣誕生に結実した。政党内閣は、制限選挙における投票条件を徐々に緩和、1925年に25歳以上の男子による普通選挙を実現させた。この時期、大日本帝国憲法は民主的に運用され、日本は実質的に議会制民主主義国であったと指摘される。(「大正デモクラシー」も参照)
大日本帝国憲法の第11条に、天皇の大権として陸海軍の統帥権を定めた規定があった。この規定は、天皇の直接的な軍の統帥を念頭においた規定ではない。実質的には、軍の統帥を政府の管轄から独立させ、陸海軍当局の管轄としたところに意味があった。しかしこの条項の解釈をめぐり、ロンドン海軍軍縮会議締結の際にいわゆる統帥権干犯問題が起き、政府の介入が天皇の大権を侵すものとの主張がなされた。この後、政府・議会の軍管理が徹底されず、民主的基盤を持たない軍が国政に強く関与することになる。1937年(昭和12年)、盧溝橋での部隊衝突を日本側が奇貸とした日中戦争が勃発、1941年(昭和16年)には太平洋戦争に突入、戦時体制下において軍部主導の国家運営がなされた。
ポツダム宣言や被占領国の法律を尊重することを定めたハーグ陸戦条約に即して、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は、日本が大日本帝国憲法を改正するように要請した。
1945年(昭和20)10月4日、ダグラス・マッカーサーは、近衞文麿に憲法改正などを示唆し、近衛は佐々木惣一博士、高木八尺博士、松本烝治などとともに内大臣府御用掛としてGHQのアチソンと連絡を取りながら憲法草案の作成に着手した。しかし、マッカーサーは、アメリカ国内で近衞文麿には戦争を遂行した指導者としての責任を追及されるべきではないかということが取沙汰されたため、自分の政治的立場を考えて近衛を切捨て、11月1日に近衛の案とGHQとが関係ないと発表した。その後も近衛らは作業をつづけ、11月12日に近衛案、11月24日に佐々木案が発表されたが、11月24日にマッカーサー指令で内大臣府が廃止されたため、近衛らの作業は打ち切りとなった。
これと並行して1945年10月1日に組閣した幣原喜重郎もマッカーサーから憲法改正を指示され、閣議了解事項として内閣に憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置し、松本烝治国務大臣を委員長とした。委員は東京大学の宮沢俊義、九州大学の河村又介、東北大学の清宮四郎などの大学教員をはじめとして、ほかにも内閣法制局の職員や帝国学士院の会員などの憲法関係が得意とされる学者で組織された。元々憲法調査委員会が憲法改正に消極的であり、憲法について調査、検討するという建前であったため、この憲法問題調査委員会の草案(松本私案)は、大日本帝国憲法の部分的改正に留まるものであった。
民間や政党の側でも憲法改正に対する試案が出されており、政党側では日本自由党、日本進歩党、日本社会党、日本共産党がそれぞれ試案を出しており、民間では憲法研究会や高野岩三郎などの案があった。
1946年(昭和21年)2月1日、憲法問題調査委員会(松本委員会)が用意した草案のうち、審議過程で退けられた乙案に近い内容を持つもの(いわゆる宮沢甲案)がマッカーサーヘの報告の前に毎日新聞にスクープされた。毎日新聞の報道を受けて、総司令部民政局長のコートニー・ホイットニーは、総司令部に政府案が提出される前に、憲法改正の指針を与える方法があることをマッカーサーに報告している。マッカーサーは、毎日新聞にスクープされた草案が保守的な内容であったことが極東委員会やアメリカの世論に根強い天皇制廃止論を後押しする原因になることを懸念し、2月3日、総司令部民政局に命じて憲法草案を作成するよう指示した。その任にあたった民政局長コートニー・ホイットニー以下25人のうち、ホイットニーを含む4人が弁護士業務を経験していた。だが憲法学を専攻した者は一人もいなかったため、世界各国の憲法や日本の憲法研究会をはじめとする民間の憲法草案が参考にされたといわれている。
2月7日松本委員長が「憲法改正要綱」を昭和天皇に説明。2月8日政府が「憲法改正要綱」「説明書」をGHQに提出。2月10日GHQ原案作成、マッカーサーに提出。以後改訂作業し2月12日マッカーサー決裁、GHQ草案完成。ケーディス民政局行政課長、「憲法改正要綱」への意見書をホイットニーに提出。2月13日ホイットニーなどにより、政府「憲法改正要綱」の不受理通知と、GHQ草案(マッカーサー草案)を吉田外務大臣、松本委員長らに手渡された。その後、このGHQ草案に添った形で修正した内閣案が完成した。内閣案は、1946年(昭和21年)8月24日に衆議院が一部修正を行って可決した。さらに1946年(昭和21年)10月6日に貴族院も一部修正を行って可決した。その後、1946年(昭和21)10月7日に衆議院が貴族院の修正に同意の再可決、1946年(昭和21)10月29日に枢密院が諮詢手続に基づいて可決した。そして、1946年(昭和21)11月3日に日本国憲法として公布された。(「憲法制定論議」も参照。)
民主制は衆愚政治であるという意見も少数ながら根強い。民主主義制度が優れた制度であると主張する立場でも、その根拠で意見が分かれている。おおまかに二つの立場に分けると、一つは、多数決によってより正しい結論を導くことができることを根拠にする立場であり、もう一つは、正しいことを知りえないからこそ民主主義制度が優れた手続きだとする立場である。
一つは、「民衆による政治」という基本理念からして、直接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は次善の策だと指摘される。もう一つは、対立する意見の間での現実的な議論の可能性や、対立する有権者の意思を統一する可能性の観点から、間接民主制の方が優れているという意見である。この意見からは、間接民主制は最善の策であり、直接民主制を「絶対民主主義」と非難する。日本国憲法と比較されることの多いドイツ連邦共和国基本法では、戦前のナチスが国民投票・住民投票といった直接民主制的な手段を使って合法的に独裁や占領地域の拡大を推し進めたことから、直接民主制の要素を一切排除している。
歴史的には、間接民主制が優れた方法と考えられてきた。現代では、実際の施政者と市民の意見との隔たりを埋めるために、直接民主制にも一定の価値があるとされている。このため、間接民主制が原則だが、直接民主制を補完的に採用するべきだという意見がもっとも有力である。日本国憲法も、この考え方で設計されている(地方自治、憲法改正)。
憲法改正限界説の立場からは、改正の限界を超えた点については一般的に「八月革命説」によって理論的に説明される。この説はポツダム宣言の受諾を法的な一種の革命と捉えて、その時点で主権の委譲があったと説明する。なお、憲法改正無限界説によれば、改正手続きが正しく行われれば主権の所在を変更することも可能であるから、主権が移動したこと自体は特に問題とされない。
他方、制定過程に外国人が関与した点については、議論が今もなお続いている。もっとも、新憲法成立後多くの国民がそれを支持し、朝鮮戦争時に改正を打診された政府も「その必要なし」と回答、さらに新憲法下で数十年にわたって無数の法令の運用がなされた今、憲法は無効だという主張は少数となった。憲法は慣習として成立したと説明されることもある。
また、ハーグ陸戦条約第43条が占領地の法律尊重を定めていることから、この一連の憲法制定手続が、同条約に違反しており憲法は無効であるとの主張もある。然し、特別法であるポツダム宣言が一般法である同条約に優先し、問題は生じないと説かれる。
なお、大日本帝国憲法も、国家領土については沈黙していた。このため、帝国憲法施行後に獲得された領土については、憲法の場所的適用範囲が問題となった。これについては、肯定説・否定説・折衷説が対立した。
日本 | 日本の法律 | 日本国憲法 | 各国の憲法 | 国際法 | Japanische_Verfassung | Constitution_of_Japan | Constitution_du_Japon | 일본국_헌법