扶余(ふよ、부여(Ko:Buyeo)、扶餘(Zh:Fuyu))は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)と、東は挹婁(ゆうろう)と、西は鮮卑(せんぴ)に接していた。約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に住んでいた。
穀物は余り良く育たない土地であるが定住しており、温厚な性格だったようである。元々前漢の玄菟郡に属し、その後、三国時代に入ると遼東半島の公孫氏の配下に入った。しばしば鮮卑の攻撃を受けて衰亡し、最後はツングース系の勿吉によって滅ぼされた。
この扶余族には、北沃沮(ほくよくそ)・東沃沮(とうよくそ)・濊(わい)・高句麗なども含まれ、朝鮮半島にも広く分布してした。 他に百済王家も扶余系とみられ、南扶余と国号を自称していた時代がある。また、百済王の姓も扶余・余と名乗っている。