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成島 柳北 (なるしま りゅうほく、1837年 - 1884年)は幕府奥儒者の成島家に生まれ、明治以降はジャーナリストとして、また財界・文芸界で活躍。浅草生まれ。本名、惟弘(これひろ)。

成島家は19世紀前半から「徳川実紀」、「続徳川実紀」などの編纂を続けており、柳北も長じてこれに従った。徳川家定家茂に侍講するが、献策が採用されないため狂歌で批判し、解職される。この際、洋学を学ぶ。慶応年間に騎兵奉行、外国奉行(3千石.従五位下.大隈守)、会計副総裁を努める。

明治維新後、東本願寺法主の大谷現如の欧州視察随行員として明治5年、共に欧米を巡る。欧州では岩倉具視木戸孝允らの知遇を得、特に親交のあった木戸からは帰国後、文部卿の就任を要請されたが受けなかった。後に大槻磐渓の紹介で「朝野新聞」の社長を務め、言論取締法の「讒謗律」や「新聞紙条例」を批判した。自由民権運動の中では、社論は大隈重信改進党に近く、大隈の設立した早稲田大学の初代の議員にも就任している。また文芸雑誌「花月新誌」を創刊し文芸界でも活躍。商法会議所(現商工会議所)の設立、墨田川河畔の桜植樹等にも尽力、前米大統領のグラントの接遇委員も勤めた。1884年に胸の病で死去。

「柳橋新誌」(初編安政6年執筆、2編明治4年執筆)は柳橋(現在の台東区柳橋)の花柳界を描いた戯作であるが、明治維新前後の転換期にあたって、江戸明治の世相の変遷も描いている。

日本のジャーナリスト | 1837年生 | 1884年没

Narushima Ryuhoku

 

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