屠殺(とさつ)とは、家畜などの動物から、食肉や皮革などの、生命を奪わないことには得られない産品を得るため、その命を奪う行為である。「屠」は「ほふる」の意であるが、近年の日本では、「屠」の文字が常用漢字では無いことから、と殺とも表記される
なお、この「屠殺」という言葉であるが、差別用語と見なされる場合がある。しかし日本語に特に該当する言い換え語は無く、食肉加工業の中に曖昧化されて含まれる傾向が見られる。
屠殺は、社会の発展と都市構造の発生・発展に伴い、次第に分業化と一元化されるようになってきた。古くは各家庭もしくは酪農家で家畜の生命を絶つ行為が一般的に成されていた物が、肉屋などの専門業種による屠殺へと変化し、更にはと畜場や食肉工場といった専門施設に拠る集中処理へと変化していった。
これらは主に、動物の生命を絶ち食肉に加工する上で発生する血液や食品廃材といった副生成物(産業廃棄物)の処理や、あるいは衛生面での配慮、加えて「殺害する」という面での倫理的な面での不快感といった物にも絡んでの分業化・一元化であるが、特に宗教によって食のタブーなどにより、特定の処置が食肉生産に求められる地域では、一種の宗教的な施設であるという側面も持つ。
肉食は、動物の生命を頂く事で、人間自らの生命を永らえさせる行為でもあり、このため犠牲となる動物に感謝を捧げる思想も見られ、その感謝の意味で苦しませる事への忌避も見られる。多くの文明社会では、畜肉に対する感謝を表す人間の活動が、大なり小なり見られる。
近年では食肉はスーパーマーケットやコンビニエンスストア、ファーストフードやレストランといった所で精肉され調理前のものや加工された物、あるいは調理済みのものが普遍的に見られる。しかしそれらが、動物の生命を奪う事で生産されている事が社会から隔離されているため、肉は食していても屠殺は残酷だと考える人も多い。屠殺の映像にショックを受け、菜食主義となる者も見られる。この弊害に関して、近年の日本では一部教育機関で「自分たちの命の糧(=食料)が何処から来ているのか」を知る教育として、敢えてと畜場を見学させる所も出ている。
しかし動物愛護団体ないし環境ロビイストの中には、よりショッキングに見えるよう恣意的に編集された映像を作成・流布していると見なされる団体もあり、この辺りがより、屠殺に従事している一部の労働者への差別に発展する危険性も含んでいるようだ。これらの団体は、そのエキセントリックな活動から、一部のインターネットコミュニティ上で、揶揄の対象となるケースすら散見される。
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