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将棋(しょうぎ)は、日本将棋本将棋(ほんしょうぎ)(歴史的には小将棋)とも言い、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。チェスシャンチーと合わせて世界三大将棋ともいう。

Shogi Ban Koma.jpg

概要


将棋は、ゲーム理論において二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるゲームの一つである。 日本では特に本項で述べるいわゆる「本将棋」が普及している。また、中将棋もわずかではあるが愛好家によって残されている。

本将棋は持ち駒の観念があることが特徴で、これは諸外国の将棋類似のゲームにも例のない独特のルールである。(近年は持ち駒を利用したチェス派生のゲームも考案されている)

本将棋の他にも、盤の桝目の数や駒の種類を変えたり、将棋の盤と駒を利用して別のルールで遊んだりする遊戯が考案されている。本将棋以外の将棋、および将棋に関連する遊戯については、将棋類の一覧を参照されたい。

ルール


基本ルール

  • 縦横9マスずつに区切られた将棋盤の上で行う。
  • 競技者双方が交互に、盤上にある自分のを1回ずつ動かす(「指す」と表現する)か、既に取った相手の駒(持ち駒)を1つ盤上に置く(「打つ」と表現する)かどちらかをすることができる。持ち駒を打つときは元の状態で配置する。成った状態の駒を打つことはできない。
  • 駒は、玉将(玉)または王将(王)・飛車(飛)・角行(角)・金将(金)・銀将(銀)・桂馬(桂)・香車(香)・歩兵(歩)の8種類であり、それぞれ動きが決まっている。
  • 玉と金以外は敵側の陣地(敵陣)3段目以内に進むと「成駒」にできる。
    • 成るときには駒を裏返して配置する。
    • 成りは強制ではなく、成らないこと(「不成(ならず)」)を選択することもできる。ただし、桂は敵陣2段目もしくは1段目に進んだときには必ず成らなくてはならない。同様に、香および歩は敵陣1段目に進んだときには必ず成らなくてはならない(成らなかった場合、移動先がなくなるため)。
    • 飛・角はそれぞれ龍王(龍)・龍馬(馬)になり、元の動きに加えて自分から一マスの範囲すべてが移動可能になる。
    • それ以外の駒は、それぞれ銀は成銀、桂は成桂、香は成香、歩はと金となり、金と同じ動きが出来るようになる。
    • 一度成った駒は元に戻すことはできない。
    • 敵陣から出る場合にも成ることができる。ただし、成らないまま敵陣から出た駒はもう一度敵陣に入るまで成ることはできない。
  • 自分の駒を動かすとき、動く先に相手の駒があるとき、その駒を捕獲することができ、自らの持ち駒にできる。成った駒は元に戻る。
  • 持ち駒は好きなところに置ける。そこに置くと、動ける場所がないところには置けない。
  • 自分の駒を動かすとき、動く先に自分の駒があるときは、そこに移動することはできない。

駒の動き

元の駒動き成駒動き
玉将(ぎょくしょう)
王将(おうしょう)
全方向に1マス動ける。--- 飛車(ひしゃ)
   
  
縦横に何マスでも動ける。
飛び越えては行けない。龍王(りゅうおう)
飛+玉の動き。 角行(かくぎょう)
 
  
 
斜めに何マスでも動ける。
飛び越えては行けない。龍馬(りゅうめ、りゅうま)
角+玉の動き。 金将(きんしょう)
  
縦横と斜め前に1マス動ける。 --- 銀将(ぎんしょう)
  
 
前と斜めに1マス動ける。成銀(なりぎん)
  
金と同じ。 桂馬(けいま)
 
   
  
前へ2、横へ1の位置に移動できる。
その際、駒を飛び越えることができる。成桂(なりけい)
  
金と同じ。 香車(きょうしゃ)
  
   
前方に何マスでも動ける。
飛び越えては行けない。成香(なりきょう)
  
金と同じ。 歩兵(ふひょう)
  
   
前に1マス動けると金(ときん)
  
金と同じ。

上の表では便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。

ゲームの進め方

対局者の棋力の差によって手合割がある程度決まってくる。

棋力が同じくらいの場合、平手戦とする。平手戦の場合、開始時には駒を次のように並べる。


上図のように、盤面を図として表示する場合、下側が先手、上側が後手となる。先手から見て、将棋盤の右上のマスを基点とし、横方向に1、2、3、…、9、縦方向に一、二、三、…、九とマス目の位置を表す座標が決められている。棋譜はこの数字を用いて表現される。また、先手は▲、後手は△で示すのが一般的である。

先手・後手は、棋力が同じ程度の者同士であれば振り駒により決定することが多い。棋力に多少差がある場合には弱い者が先手をもつ。棋力の差が非常に大きく、平手では勝負にならない場合、ハンデをつけた駒落ち戦とする場合もある。


上図は二枚落ちの場合である。駒落ち戦の場合、駒を落とした方を上手(うわて)、落とされた方を下手(したて)という。駒落ち戦では上手から指し始める。相手とのハンデ差を考慮し、飛車角行に加え、金将銀将桂馬香車まで無くす最高10枚落ちまでがある。まれに、上手(うわて)の玉の他に何も駒がなく持駒に歩3枚を持つだけの「歩三兵」や、金落ち、銀落ちといった特殊な駒落ちが指されることもあるが、一般的ではない。

勝敗の決め方

  • どちらか一方が、自分の手番のときにルール上可能な着手(合法手)がなくなったとき、負けとなる。すなわち、玉を追い詰めて王手の回避ができない状態にすれば勝ちである。この状態を「詰み」という。
  • 自分の手番で、自玉に王手はかかっていないが合法手がない場合(チェスで言うステイルメイト)、将棋では負けとなる。
  • どちらか一方が、自分の手番のときに投了することで負けとなる。大抵の場合、自玉が詰み筋に入った場合や、自玉にかかった必至から逃れることができない場合、攻めが切れて相手の玉を詰ませる見込みがなくなった場合に投了する。
  • 同一局面が4回現れた場合千日手となり、無勝負指し直しとなる。ただし、一方の側が王手の連続により同一局面が4回現れた場合は王手をかけ続けた側の反則負けとなる。
  • 先後両者の玉(王)が互いに入玉し、玉を詰める見込みがなくなった場合、判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合があり、これを持将棋という。
  • プロの公式戦では持ち時間を定め、ストップウォッチまたは対局時計を扱い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。プロの公式戦以外では持ち時間なし(1手ごとに10秒以内に指すなどのルール)の対局もある。
  • 対局の終了後、感想戦(局後の検討)を行うことがある。感想戦の結果によって対局の勝敗が入れ替わることはない。たとえ反則が見つかったとしても、すべての勝敗は投了優先である。

反則又は禁じ手

  • 次の行為は反則と決められており、直ちに負けとなる。
    • 二歩の禁止)成っていない歩兵を二枚同じ縦の列に配置することはできない。
    • 行き所のない駒の禁止)盤上の駒を行き先のない状態にしてはいけない。すなわち、1段目の桂馬、香車、歩兵、2段目の桂馬は配置してはいけない。
    • 打ち歩詰めの禁止)歩を打って玉を詰めてはいけない。ただし、盤上の歩を突いて玉を詰ます突き歩詰めは反則ではない。
    • 自玉を相手駒の利きにさらす手の禁止)自らの着手の後、自らの玉が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、相手に王手された場合は王手を回避しなければならないし、玉を相手の駒の利きに移動してはならない。
    • 連続王手の千日手の禁止)連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならない。
  • その他、基本ルールに反する行為として、2手続けて指す(二手指し)、持ち駒を裏返して打つ、駒が成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成駒を成っていない状態に戻す、なども反則と考えられる。いったん着手した手を変えることは「待った」として禁じられる。プロの将棋で加藤一二三の行為がこれにあたるとして処分を受けたことがある(銀河戦の項参照)。
  • 記録に残っている1977年から2005年までに、プロの棋戦で発生した反則のうち上位は以下の通り(2006年1月3日 NHK衛星第2放送「大逆転将棋2006」による)。

{| class="wikitable" プロの棋戦で発生した反則の上位(1977年以降)
!1位 二歩44回 2位 二手指し22回 3位 王手放置、自らの玉を相手の駒の利きにさらす8回 4位 角・馬が移動できない位置へ移動する5回 5位 成れない状況で駒を成る3回

その他

  • 将棋は「指す」ものであって「打つ」ものではない。打つのは囲碁連珠である。ただし、持ち駒を盤面に配置することは「打つ」という。
  • 「王手をするときには『王手!』と言わなければいけない」と思っている人がいるが、正式にはそのようなルールは存在しない。
  • 王将と玉将について
    • 将棋駒にはもともと「玉将」しかなかったようであるが、字体の類似も相まっていつの間にか「王将」も使うようになったと言われている。「王将」と「玉将」には実質的には違いはないが、「天に二日なく、地に二王なし」との言葉に基づき「王将」は1枚とし、上位者が「王将」を使い、下位者が「玉将」を使うのが慣例となっている。
    • 玉は金、銀、桂、香などと同じように宝物の名称に基づくものである。よって、意味からすると、王将を「王様」と言うのは本来間違いである。しかし、チェスでは玉将に相当するのは「キング」であるし、「王手」とは言うが「玉手」と言う言葉はない。そのため、玉将を表すのに「王」と「玉」のどちらの言葉を使用しても問題ないと考えられるし、実際問題にしている人もほとんどいない。

戦略と戦術


将棋の戦法一覧将棋の格言なども参照のこと。

ゲームの進行ごとの戦略

一局の対局はおおよそ100手前後(先手・後手それぞれの着手を1手と数える)で勝負がつくが、対局全体を大きく以下の3つに分けることができる。ただし、何手目までが序盤であるかなど、明確な線を引くことは通常はできない。

  • 序盤 - 初手から駒組みが完成するまでのおおよその間。
  • 中盤 - 駒組みが完成し、両軍の駒のぶつかり合いが始まってから、劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めるまでのおおよその間。
  • 終盤 - 劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めてから、終局までの間。

序盤戦
序盤戦はまず自軍の陣形を整えることから始まる。多くは定跡化されており、その知識と研究に加えて、相手の動きを見ながら先々の有利を見据える大局観が重要となる。詳しくは将棋の戦法一覧を参照のこと。

初手は角道を開ける▲7六歩か飛車先の歩を突く▲2六歩のどちらかが常識とされ、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。

基本的には金や銀を使って玉の守りを固め(囲い)ながら、歩や銀、桂、大駒を繰り出して敵を攻める体勢を作ることになる。囲いを簡略化してすぐに攻めに入ることを急戦といい、じっくりと固めてから戦いに入ることを持久戦という。

戦法は、飛車を初期位置から動かさずに攻める居飛車と、左へ動かして展開する振り飛車の二通りに大別され、それぞれに定跡が研究されている。ほとんどの将棋指しは居飛車を好む「居飛車党」と振り飛車を好む「振り飛車党」のどちらかに大別されるほどである。

双方が囲い合い、駒のぶつかり合いが始まると中盤戦に突入する。

中盤戦
中盤戦は、駒を取り合い、敵陣に切り込んで相手の囲いを崩しに行く戦いになる。駒の損得と働きが重要になる。

銀、桂、歩などを繰り出しながら相手の駒を攻めて駒得を狙い、敵陣に攻め入って龍、馬やと金などを作って相手玉の囲いを脅かすこと、またそのような相手の攻めを防ぐ(受ける)攻防が主となる。攻めと受けのどちらに主眼をおくかによって個人の棋風が良く現れる部分である。

一方または両方の囲いが崩れ出すと、終盤戦に突入する。

終盤戦
終盤戦では、いよいよ相手の玉を詰ましに行く(寄せる)戦いになる。駒得よりも玉を寄せるスピードが重要となり、正確な読みの力が重要となる。コンピュータが得意とする部分でもある。

囲いを崩しながら相手玉に迫り、詰めろをかけ続け、最終的には詰将棋のように王手の連続で詰みまで持って行くことになる。お互いに玉に迫りあっている場合、相手への詰めろを一手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうので、一手の緩手で勝敗がひっくり返ってしまうこともある重要な局面である。

一方的な場合は詰められるのを逃れるために逃げ道を確保する。入玉を目指し早めに逃げることもある。

駒の価値

玉将は別格として、駒の価値はおおむね次のような順であるとされている。
  1. 飛車、角行
  2. 金将、銀将
  3. 桂馬、香車
  4. 歩兵
飛車と角行を大駒といい、それ以外を小駒という。ただで相手の駒を手に入れたり、価値の低い駒を捨てるかわりに価値の高い駒を手に入れたりすることを駒得(こまどく)といい、一般的には有利になる。その反対は駒損(こまぞん)という。同列の中では角行より飛車、銀将より金将の方がわずかに価値が高いとされるが、それは状況により変化する。序盤の角と飛車の交換は角の方が有利ともされる。

角と銀+桂など、大駒1枚と歩以外の小駒2枚を交換することを二枚替えといい、一般的には小駒2枚を得た側が有利とされる。ただし大駒と桂香2枚の交換では大駒を得た側が有利になりやすい。

交換した駒は再利用することが前提なので、成駒と元の駒の価値は交換に関してはあまり変わらない。また持ち駒をすぐに敵陣近くに打ち込めるため、成りが目前の歩だからといって特に価値が跳ね上がるようなこともない。チェスポーンが二段目、七段目、クイーン昇格後で価値が全く異なるのとは対照的である。

これらの駒の価値は中盤戦で特に意識される。終盤では駒得より詰ますスピードが重要なため、あまり重視されない。

沿革


古将棋

日本への伝来
将棋の起源は、古代インドチャトランガ(シャトランガ)であるといわれており、ユーラシア大陸の各地に広がってさまざまな類似の遊戯に発達したと考えられている。西洋にはチェス中国には象棋(Xiangqi;シャンチー)、朝鮮半島にはチャンギ(장기)、タイにはマークルックがある。

将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかにされていない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。伝説としては、将棋は武王が作った、吉備真備に渡来したときに将棋を伝えたなどといわれているが、いずれも江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作されたものであると考えられている。

日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので6世紀頃と考えられている。このとき伝来した将棋は、現在のような五角形の駒形ではなく、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。掌中暦に「一(はじめ)棋は騎を作る」とあり写実的な駒があったと推定する。チェスでは古い駒ほど写実的である。だが大きな問題点として、現在までそのような形の将棋が発見されたことはなく、もちろん正倉院の宝物殿にも納められていないため、物証に乏しいことがあげられる。

遅いほうの説としては、平安時代に入ってからの伝来であったとする説がある。中国のシャンチーや朝鮮のチャンギがこの時期に日本に伝わったというものであるが、これらは駒を線の交点に置くことなど将棋との違いは大きく疑問も残る。東南アジアのマークルックに銀将と同じ動きの駒があることからこれの影響を受けた可能性もあるが、当時の造船技術では海岸沿いに日本まで伝わったと考えるのも難しく、はっきりしたことは分かっていない。

チェスの歴史も参照のこと。

平安将棋
将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、藤原行成(ふじわらのゆきなり(こうぜい)、972年~1027年)が著した『麒麟抄』があり、この第7巻には将棋の駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年~1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。

考古学史料として最古のものは、奈良県興福寺境内から発掘された駒16点で、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏付けが取られている。

三善為康によって作られたとされる『掌中歴』『懐中歴』をもとに、1210年~1221年に編纂されたと推定される習俗事典『二中歴』に、大小2種類の将棋がとりあげられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋(または平安小将棋)および平安大将棋と呼ばれている。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。

これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある玉将金将銀将桂馬香車歩兵と平安大将棋のみにある銅将鉄将横行猛虎飛龍奔車注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒(将・象・馬・車・兵)をよく保存しており、上に仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説がある(清水康二・奈良県立橿原考古学研究所主任研究員の学説による)。さらに、チャトランガはその成立から戦争を模したゲームで駒の取りすてであるが、平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。

将棋の発展
これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の効きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。

13世紀頃には平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車角行酔象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀頃には複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。16世紀頃には小将棋から酔象が除かれて現在の本将棋になったと考えられる。元禄年間の1696年に出版された「諸象戯図式」によると、天文年中(1532年-1555年)に後奈良天皇が小将棋から酔象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない。

なお、16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの将棋の駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ酔象の駒が見られ、この時期は酔象を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。

将棋史上特筆すべきこととして、日本将棋ではこの時期に独自に、取った駒の再利用ルール、すなわち持ち駒の使用が始まった。持ち駒の採用は本将棋が考案された16世紀頃であろうと考えられているが、平安小将棋のころから持ち駒ルールがあったとする説もある。

江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。天竺大将棋大大将棋摩訶大大将棋泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、これらの将棋はごく一部を除いて実際に遊ばれることはなかったと考えられている。

本将棋

御城将棋と家元
将棋(本将棋)は、囲碁とともに、江戸時代に幕府の公認となった。1612年(慶長17年)に、幕府は将棋指しの加納算砂(本因坊算砂)・宗桂(大橋姓は没後)らに俸禄を支給することを決定し、やがて彼ら家元は、碁所将棋所を自称するようになった。初代大橋宗桂は50石5人扶持を賜わっている。寛永年間(1630年頃)には将軍御前で指す「御城将棋」が行われるようになった。八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、11月17日 (旧暦)に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日付(11月17日)が「将棋の日」となっている。

将棋の家元である名人らには俸禄が支払われた。江戸時代を通じて、名人は大橋家・大橋分家・伊藤家の世襲のものとなっていった。現在でも名人の称号は「名人戦」というタイトルに残されている。名人を襲位した将棋指しは、江戸幕府に詰将棋の作品集を献上するのがならわしとなった。

名人を世襲しなかった将棋指しの中にも、天才が現れるようになった。伊藤看寿は江戸時代中期に伊藤家に生まれ、名人候補として期待されたが、早逝したため名人を襲位することはなかった(没後に名人を贈られている)。看寿は詰将棋の創作に優れ、作品集『将棋図巧』は現在でも最高峰の作品として知られている。江戸末期には天野宗歩が現れ、在野の棋客であったため名人位には縁がなかったが、「実力十三段」と恐れられ、のちに「棋聖」と呼ばれるようになった。宗歩を史上最強の将棋指しの一人に数える者は少なくない。

新聞将棋・将棋連盟の結成
江戸幕府が崩壊すると、将棋三家に俸禄が支給されなくなり、将棋の家元制も力を失っていった。家元の三家が途絶えたため、名人位は推薦制へ移行した。アマチュアの将棋人気は明治に入っても継続しており、日本各地で将棋会などが催され、風呂屋や理髪店などの人の集まる場所での縁台将棋も盛んに行われていたが、19世紀末には一握りの高段者を除いて、専業プロとして将棋で生活していくことはできなくなったといわれている。

1899年(明治32年)ごろから、新聞に将棋の実戦棋譜が掲載されるようになり、高段者が新聞への掲載を目的に合同するようになった。1909年(明治42年)に将棋同盟社が結成され、1924年(大正13年)には関根金次郎十三世名人のもとに将棋三派が合同して東京将棋連盟が結成された。これが現在の日本将棋連盟の前身で、連盟はこの年を創立の年としている。

現代棋界の動向

実力名人制移行・タイトル棋戦の発展
1935年昭和10年)、関根金次郎十三世名人が名人位を退位し、それまで推薦制だった名人位が短期実力名人制に改められた。第1期名人戦(当時の正式名称は名人決定大棋戦)がそれから2年にわたって行われ、1937年(昭和12年)に木村義雄が初代名人となった。タイトル戦の始まりである。

その後、1950年(昭和25年)には九段戦(1962年(昭和37年)から十段戦に改称)と王将戦が、1953年(昭和28年)には王座戦が創設される(王座戦は当初は非タイトル戦で、タイトル戦に昇格したのは1983年(昭和58年)のことである)。1960年(昭和35年)に王位戦1962年(昭和37年)に棋聖戦1974年(昭和49年)に棋王戦が創設され、1988年(昭和63年)に十段戦が発展解消して竜王戦となり、現在の七大タイトル制に移行する。

大山時代・羽生時代
これらの各タイトルをすべて保持することは至難の業と考えられていた。1957年(昭和32年)、升田幸三が当時のタイトルであった名人・九段・王将をすべて保持し「三冠王」となるが、升田から三冠をすべて奪い、1959年(昭和34年)にはその後創設された王位・棋聖を含めた「五冠王」となったのが大山康晴である。大山はその後延べ6年にわたり五冠を保持し、「大山時代」と呼ばれる黄金期をつくる。大山の通算獲得タイトル期数は80期に上り、現在よりタイトル数が少なかった時代にあって前人未到の記録である。

タイトルが7個に増えた1983年以降、7冠すべてを同時に保持することは不可能と思われていたが、1996年平成8年)、羽生善治が史上初の「七冠王」となり、「羽生時代」と呼ばれるようになる。それ以降も羽生は無冠となったことがなく、通算獲得タイトル期数は60期を超える。

女流棋士の誕生
プロ棋士は男女ともに開かれた職業であるが、これまでのところ女性が新進棋士奨励会(奨励会)を勝ち抜いて棋士となった例はない。このため、女性への将棋の普及が遅れていたが、この状況を打開するために女流棋士の制度が作られた。

1966年、蛸島彰子が奨励会を初段で退会し、初の女流棋士となる。ただしこの時期は女流棋戦は行われておらず、もっぱらレッスンプロとしての存在であった。1974年、初の女流棋戦である女流名人位戦が開催され、蛸島が初代の女流名人位の座につく。この年を女流棋士の誕生の年とすることも多く、女流棋士会の「開催○周年パーティー」も1974年を基準としている。

現在では50人以上の女流棋士が誕生し、女流名人位戦のほか、女流王将戦女流王位戦大山名人杯倉敷藤花戦レディースオープントーナメント鹿島杯女流将棋トーナメントの6つの棋戦が行われている。その他、一般棋士の棋戦にも女流枠が設けられ、各棋戦に数人の女流トップが参加している。

アマチュアの動向
将棋は一般の人々(アマチュア)にも広く知られたゲームであるが、アマチュアとプロとの垣根は大きなものとなっている。段級位制もアマチュアとプロでは異なる基準を採用しており、アマチュアの三~四段がプロ(奨励会)の6級に相当するといった具合である。

アマチュアとプロとの対局もほとんど行われておらず、新聞や雑誌の企画としてお好み対局が行われたり、将棋教室やイベントの中で指導対局が行われたりする程度であった。しかし、近年はアマチュア強豪とプロとの実力差が小さくなってきており、プロの公式戦にアマチュア大会の優秀成績者を参加させるといったことも行われるようになっている。

アマチュアの中にも、プロに伍する実力を持つものが現れることがある。彼らの中には、真剣師として賭け将棋で生計を立てていくものもいた。花村元司は、真剣師として生業を立てていたのち、1944年にプロ編入試験を受けて棋士となり、のちに名人戦にも挑戦する。小池重明も真剣師であり、プロとのお好み対局ではプロを連破するなど実力的にも抜きんでていたが、プロ入りすることはなかった。

近年では、奨励会を退会した者がアマチュア選手として活躍する例も多い。瀬川晶司は奨励会を年齢制限で退会したが、アマチュア選手としてプロ棋戦に参加し、プロ相手に一時7割を超す勝率をあげた。2005年、瀬川はプロ編入を希望する嘆願書を連盟に提出し、特例としての編入試験が実施され、奨励会を退会したものとしては初めてプロ入りが認められた。

2006年、将棋連盟はアマチュアおよび女流棋士のプロ(正棋士)への編入を正式に認め、四段(順位戦フリークラス)への編入試験の要項を発表した。

日本国外への普及
将棋は日本で独自の発展を遂げた遊戯であり、駒の種類が漢字で書かれて区別されているなどの理由で、日本国外への普及の妨げになっていた。囲碁が中国発祥の遊戯であること、国際的に(多少の差異はあるが)ルールが統一されていること、白黒の石でゲームを行うこと、他の国の固有のゲームとは類似性が見られない(他国ではチェスやチェス類のゲームがすでに存在していることが多い)ゲームである等の理由で、世界中に普及しているのとは対照的である。

1990年代になって、将棋の日本国外への普及が本格的に行われるようになり、とくに中華人民共和国への普及が盛んである。その中でも上海への普及がとくに盛んで、「近代将棋」2006年1月号によると上海の将棋人口は12万人とのことである。非漢字圏への普及は比較的遅れているが、駒の名前の代わりに方向を示した符号を書いた駒を利用するなどの方策がとられている。

将棋人口の推移
2005年度「レジャー白書」(財団法人社会経済生産性本部)によると、1年に1回以上将棋を指す15歳以上のいわゆる「将棋人口」は840万人である。これは1985年の1680万人に比べ、大幅に減少している。

将棋人口が半減した上記の20年の間に、将棋が一般メディアに取り上げられたことは何度かある。代表的なものでは、羽生善治の七冠達成(1996年)、NHK連続テレビ小説ふたりっ子』の放送(1996年)、中原誠林葉直子の不倫報道(1998年)、瀬川晶司のプロ編入試験(2005年)などである。しかしいずれも「将棋ブーム」を生むには至らない一過性のものとなってしまっている。

囲碁では週刊少年ジャンプに連載された『ヒカルの碁』の影響で、10代の囲碁人口が増えている(前述の「レジャー白書」による。全体の囲碁人口は減少している)。将棋人口の減少を食い止めるには、囲碁のように若年層への働きかけが必須であろう。

また、1996年頃からJava将棋やザ・グレート将棋など、盤駒を利用しなくともインターネットを通じて対局ができるインターネット将棋が普及し始め、現在は、1998年に運営を開始した将棋倶楽部24や、近代将棋道場、Yahoo!ゲームの将棋などによる対局が広く行われるようになっている。

コンピュータ将棋
将棋を指すプログラムを作る、いわゆるコンピュータ将棋は、人工知能の一分野として開発が進められた。

1980年代のコンピュータ将棋は、プログラム技術、CPUメモリが共に未熟だったため、非常に弱かった。思考時間は長かったし、意味不明の指し手をすることもしばしばだった。1990年代に入ると、ソフト、ハードともに格段に進歩した。現在、最強のソフトはアマ5段程度(序盤アマ1級、終盤アマ5段、最終盤プロ並み)といわれている。特に、『詰み』の段階では、ゴールがはっきりしているので、コンピュータは人間を遥かに超える計算力(力技)を使って指してしまう。プロの棋士でさえ、対コンピュータの対処法を知らないと苦戦してしまう程である。ちなみにチェスと違い将棋の場合は取った駒を利用出来るといったより複雑なルールを持つ為、コンピュータ・チェス・ソフトに使用されるコンピュータ(有名なのは、初めて人間のチェス・チャンピオンを打ち負かしたディープ・ブルー)よりも遥かに高い性能レベルが必要とされる。

日夜、将棋ソフト研究・開発に勤しんでいるのは主に、フリープログラマー(長年、将棋ソフトにのみ打ち込んでいる者も居る)、大学の研究室、企業などである。

2005年、日本将棋連盟はすべてのプロの棋士と女流棋士に対し、無許可で公の場においてコンピュータとの対戦を行わないよう通達している。これはコンピュータ将棋との対局を重要なビジネスチャンスととらえている連盟の意向であるが、将棋ファンからはトップダウンでの通達に対して不満の声を上げるものもある。

将棋に由来する慣用表現


次に相手の玉将を取ることから転じて、あと1勝で優勝などの場面で用いる。また、相手もあと1勝で優勝という状況になったときには「逆王手」という表現が用いられることもある。
  • 桂馬(けいま
囲碁で桂馬の利きのように自石の1目または2目離れた斜めの位置に石を置くこと。前者は小ゲイマ、後者は大ゲイマという。また、桂馬の動きから、筋違いで理屈が通らないさまをいう。
  • 駒(こま
将棋の駒。また、「持ち駒」の省略形として、自分の思うままに使える人材のこと。「駒が足りない」のように使う。
  • 捨て駒(すてごま
将来の利益のために駒損を覚悟で相手に取らせる駒のこと。転じて、全体の利益を考えてあえて犠牲として見捨てる味方のこと。
  • 雪隠詰め(せっちんづめ
雪隠とは便所の意。便所はたいてい住居の隅に設けられ、狭い場所でもあることから、相手の王将を盤面の隅に追い込んで詰めること。転じて、逃げ場のない窮屈なところに追い詰めること。
  • 高飛車(たかびしゃ
飛車を定位置から二間または三間前に出して中央を制圧する戦法のこと。その飛車の様子から転じて高圧的なさまをいう。
  • 手駒(てごま
「持ち駒」に同じ。
歩兵が成って「と金」となることから転じて、急に金持ちになった庶民のことを指す。
  • 待った(まった
相手が指した気に入らない手をやめてもらうことを待ったと言い、転じて相手の行動に制約をかけることを指す。「待ったなし」とは待ったを許さない真剣勝負のことで、転じてやり直しの利かないことを指す。
対戦相手から奪って我が物とした駒の意で、随時任意の場所に打てることから、自分が利用できる人材や権利、選択肢のことを指す。「手駒」、また単に「駒」とも。

将棋が主題の作品


映画

  • 『王将』 (1948年)
  • 『王将一代』 (1955年)
  • 『王将』 (1962年)
  • 『王手』 (1991年 ムービーギャング)

テレビドラマ

漫画

  • 『しおんの王』
  • 月下の棋士
  • 『歩武の駒』
  • 『マサルの一手』
  • 『5五の龍』
  • 『聖』
  • 『外道棋記-真剣師 小池重明-』
  • 『駒が舞う』
  • 『投了すっか!』
  • 『燃えろ!一歩』
  • 『将棋の子』
  • 365歩のユウキ!!!
  • コマコマ(KOMA☆KOMA)』

小説

楽曲

  • 『王将』

関連項目


外部リンク


将棋 | ボードゲーム

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