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宗教改革しゅうきょうかいかく)とは、中世末期におけるキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。ルター贖宥状批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、プロテスタントの分離へと発展した。

イングランドのウィクリフやベーメンのフスらの聖書主義者やサヴォナローラらが行ったローマ教会の批判が、先駆的運動ともみなされる。一方で人文主義者による聖書研究が進んだために起こった「原始キリスト教精神に帰るルネサンス的運動」として捉える立場もある。

ルターによるルーテル教会、チューリッヒのフルドリッヒ・ツヴィングリやジュネーヴのカルヴァンなど各都市による改革長老教会ヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立した。また、当時はその他に再洗礼派(今日メノー派が現存)など急進派も力を持っていた。

経過


ドイツにおける宗教改革

ルターに始まる宗教改革の萌芽はその後ドイツから各地に拡大し、ローマ教皇の絶対主義に嫌悪していた周辺の諸侯の支持をも得て、カトリック内部の宗教改革(カトリック改革=対抗改革)運動から、ローマ教皇の影響からの政治・経済的な独立運動へと発展して行った。

カルヴァンの宗教改革

カルヴァンはすでにファレルによって宗教改革が始まっていたジュネーヴに立ち寄った際に、乞われて留まりそこで活動するようになった。ルターの宗教改革が信仰の改革に徹していたのに対し、カルヴァンは礼拝様式と教会制度の改革に着手した。礼拝式文を整え、詩篇歌を採用し、信仰告白・カテキズム・教会規則を整備し、教師職の他に(彼らの理解によれば)初代教会以来の信徒の職務である長老職と執事職を回復し、長老制の基礎を作った。またカルヴァンは聖餐を重んじ、毎回の礼拝でこれを執り行おうとしたが、それは市当局の反対により実現しなかった。

イングランドの宗教改革

イングランドでは、ヘンリー8世の離婚問題が改革の直接原因で、政治的・経済的な動機も強い。ヘンリー8世は、教皇権と分離したイギリス国教会(アングロ・カトリック)を設立し、新たに教会組織を作ろうと図った。これに反対した大法官トマス・モアは処刑された。のちヘンリー8世はローマ・カトリックの修道院を多数廃止し、その財産を没収して、国庫へと入れた。

ヘンリー8世ののちメアリー1世はカトリック教会を復活させるが、これは、国教会信徒への弾圧を伴ったため強い反発を招いた。メアリー1世の後を継いだエリザベス1世は対スペイン政策などから再びイングランド国教会を国教とし、イングランドにおける国教会の優位が確立した。

宗教戦争


ドイツ、フランスなどではカトリック勢力とプロテスタント勢力が相争い、凄惨な闘争を繰り広げた。

対抗改革(対抗宗教改革)運動

カトリック内部でも改革の必要性は認識されていたが、プロテスタント運動が引き金となり、カトリック教会ではトリエント公会議を開催した。また、他を非難するよりまず自ら戒め、規律正しい宗教生活しようとイグナチウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらが中心となりイエズス会が設立された。イエズス会はその後、キリスト教の大分裂を防ぐべく欧州各国に勢力を伸ばし、非ヨーロッパ諸国への布教活動を行った。(→対抗改革

関連項目


主要年表


16世紀

16世紀のヨーロッパ史 | ヨーロッパ史 | プロテスタント

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