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04137.JPG 奄美大島 (あまみおおしま)は九州南方海上にある奄美諸島の主要島。単に大島ともいう。面積712.35km2であり、本州など4島を除く面積5位の島。

行政


鹿児島県に属し、以下の市町村からなる。 奄美市以外の町村は全て大島郡に属する。

産業


  • 農業はサトウキビサツマイモの生産が主である。
  • 米の二期作が行われている。
  • 伝統工芸の大島紬は和服用の生地として極めて評価が高いが、和服を着る習慣の衰退や韓国産※の紬の輸入により、大打撃を受けた。
  • 漁業も行われる。
  • 観光業も重要な産業である。
※商業主義に走った、一部の島内業者が韓国での生産を指導した。

植物相


ガジュマルアダンビロウヘゴソテツなどの樹木やバナナパパイヤマンゴーパイナップルなどの熱帯果実が実る。

文化


  • 文化的には鹿児島本土よりも沖縄の文化の影響の方が若干強く、奄美方言琉球方言の一部として扱われている。とはいえ、奄美の人々は自らの文化と沖縄文化を同一視してはおらず、南は徳之島まで、北は奄美大島・喜界島までを奄美文化圏として認識している。

  • シマ唄
    • 歌手の元ちとせ中孝介(あたりこうすけ)らの活躍で注目される奄美民謡は「シマ唄」と呼ばれ、シマ唄の歌い手は「唄者」と呼ばれる。注意すべきなのは、奄美民謡でいう「シマ」とは元々は個々の部落のことであって、島のことではないという点である。すなわち、部落ごとの唄がシマ唄なのである。ただ、奄美民謡全体を指して「島唄」という言い方をする場合もある。

    • 「島唄」という語は本来、奄美民謡を指すもので、山梨県出身のロックバンドTHE BOOMの1992年のヒット曲「島唄」が沖縄イメージを前面に押し出して売られた為、この語がむしろ沖縄民謡を指して使用されるようになったという説もある。ただし、THE BOOMが「島唄」を含むアルバム「思春期」を発売した1992年1月以前に沖縄民謡を指して「島唄」の語を使用している事例もあるので、判断は難しい。

    • 沖縄民謡が琉球音階(ドミファソシ)を用いているのに対し、奄美民謡は、呂音階(現在ではヨナ抜きと呼ばれる)独自の音階(ドレミソラ)を用いる。シマ唄は大きく見て、北部と南部で歌い方が若干異なっている。唄者の唱法は男女ともファルセットが基本であり、これは元ちとせら唄者出身のポップ歌手の特徴ともなっている。なお、奄美の外では殆ど流通していないが、奄美市名瀬のレコード店が昭和37年頃から独自にシマ唄のレコーディングを行い、カセットやCDとして販売を続けている。

  • 三線
    • 奄美のシマ唄も沖縄民謡と同じように三線を使用するが、両者で大きく異なるのはバチである。沖縄の三線奏者は指先に嵌めて使うバチを用いるが、奄美の奏者は細くしなやかな竹串状のバチを用いる。沖縄のバチではダウンピッキングが中心となるが、奄美のバチはしなやかなのでオルタネイトピッキングが容易であり、奄美の三線奏者は特にアップピッキングを利用して独特のリズムを生み出す。

  • 宗教
    • 島内には、各集落ごとに多数の神社は見られるが、仏教寺院は少ない。現在、墓形式は本土と同じであり、沖縄の亀甲墓は見られない。ただし、城間トフル墓群と呼ばれる亀甲墓の前時代形式の墓所が存在する。南西諸島の墓制の北限と言われ、隆起した砂丘に十数基の横穴墓が有り、400年以上前に構築されて以来そのすべてがほぼ完全な形で残り、内九基が現役である。また、奄美にはノロと呼ばれる巫女が存在しており、ノロを中心とした民俗信仰が残存している。
  • 伝統的船舶
    • 奄美の伝統的な船舶は、板付き舟(イタツケ)と呼ばれる構造船である。これはサトウキビの運搬などに適した安定性重視の舟であり、極めて安定性に乏しいがその分、剽悍な運動性と速度を特徴とする沖縄のサバニとは異なっている。現在でも板付き舟は競争競技や学校教育に利用されている。また、イタツケより大型の八尋船と呼ばれる帆漕船も存在していた。明治維新後に糸満の漁民がサバニに乗って奄美周辺での操業を開始すると、奄美の漁民もこれへの対抗上、より漁業に向いた船舶を必要とした為、サバニと板付き舟の折衷形であるアイノコが考案された。ただ、現在ではアイノコを建造出来るのは名瀬市内の船大工2名のみとなっている。

  • 田中一村
    • 栃木出身の日本画家、田中一村は後半生を奄美大島で過ごし、日本画の技法で亜熱帯の文物を描いた数々の名作を残した。一村は生前は不遇のままであったが、死後にマスメディアが「日本のゴーギャン」などのキャッチフレーズで称揚し、一躍大人気となった。空港に近い「奄美パーク」内には田中一村記念美術館が建設された。

  • 島尾敏雄
    • 太平洋戦争末期、奄美大島の南にある加計呂麻島に置かれた水雷艇による特攻隊、第十八震洋隊隊長を務めていた島尾敏雄は、後に名瀬市(現奄美市)で作家として活動し、盛名を得る。彼が考案したヤポネシアなる概念は、厳密な意味内容は不明だが、その独特の響きから、現在でも熱烈な愛好者を持つ。

  • 渡久地政信
    • 沖縄、奄美のビート感を本土歌謡曲へ取り入れ、その音色を全国に轟かせた重要な作曲家
1916年(大正5年)10月26日 沖縄・恩納村に生まれ、少年期を奄美大島(龍郷町)で過ごす。日本大学芸術科卒業後、1943年(昭和18年)、歌手デビューしたが、名声を得られず1951年(昭和26年)作曲家へ転向。デビュー作は「夢のユイササ」。「上海帰りのリル」「お富さん」「島のブルース」「夜霧に消えたチャコ」など数多くのヒット曲を生んだ。 1959年(昭和34年)第1回日本レコード大賞作曲編曲賞を受賞。戦後米軍に統治されていた、沖縄県、奄美諸島の人々に夢を与えていた。1988年(昭和63年)日本レコード大賞功労賞を受賞。親族には、歌手で活躍している我那覇 美奈(がなは みな)、サーフィンで緑 義人(みどり よしひと)。惜しまれつつも、1998年(平成10年)9月13日、肺炎のため死去。享年81  現在龍郷町に記念碑がある。

観光


前述の田村一村美術館の他、中部の山岳地帯にある金作原原生林のトレッキング、南部の瀬戸内町の珊瑚礁、同じく南部の住用町のマングローブ林などが有名である。瀬戸内町内の大島海峡ではシーカヤックも盛んであり、毎年夏には「奄美シーカヤックマラソンin加計呂麻」が開催されている。

天然記念物


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Amami Oshima | 아마미오시마 섬

 

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