声優(せいゆう)またはヴォイスアクターとは、ラジオドラマ、テレビ、映画、アニメ、テレビゲーム、洋画の吹き替えなどに、主に声だけで出演する俳優のこと。ナレーターとは異なり、登場人物やキャラクターなどのセリフの吹き替えや声充てを行う。
なお、声優名の前にCVと付いている事が有るが、これは「キャラクターボイス(Character Voice)」の略で、そのキャラクターの声を担当する声優で有る事を表す。この言葉は1980年代後半頃にアニメ雑誌『アニメック』で初めて提唱された造語である。その後、『アニメック』のスタッフが角川書店に移籍して創刊した『ニュータイプ』によってアニメファンの間に普及した。
英語で声優はvoice actor/actressというが、日本製アニメのファンの間では、日本の声優を指してseiyūと呼ぶことも多い。
しかし、アニメにおいては主役(もしくは主役級)の配役をもらうと、そのアニメの主題歌を歌うことがある。また、ファンを対象にしたグッズの1つとして、アニメのキャラクターが歌っているという設定で、アニメのキャラクター名義のCDを出すことも珍しくなくなっている(同じ歌手活動を行っている声優でも、自らの名義での曲と、演じるキャラで歌う曲とで曲調や歌い方が大きく異なる例も少なくなく、後者ではキャラの声で歌い切る技量も要求される)。従って、特にアニメへの出演を中心に活躍する声優にとっては、基本的な業務の1つに数えてもいいだろう。
また、他のジャンルの歌手と比べるとレコード会社との専属契約の制約項目が緩い例が殆どで、所属する会社以外からもキャラクターソング名義でCDを出す例も少なくない。
プロダクションの得意分野を挙げると、
とされている。子役声優の場合、有名児童劇団からの起用が多く、劇団ひまわり出身が多い。
また、前述の81プロデュースとNHKのほかに青二プロダクションと東映アニメーション、ネルケプランニング(ラブライブ)と日本アドシステムズ(NAS)など、特定の製作会社とのコネクションを持ったプロダクションも少なくない。
例えばチャールズ・ブロンソンの吹替等で有名なベテラン、大塚周夫は声優という呼称について、別冊アニメージュ『ガンバの冒険』ムック本において、「我々は俳優であり、声による演技をしているのですから、声優という別称で呼ぶのはよくないですね」という旨のコメントを発表しており、声優を俳優と区別する風潮に強い難色を示している。その一方で、放送劇団出身者の若山弦蔵のように舞台に立ったことが無く、声の演技を専門にして来た者もいる。
日本で声優の専業化が進んだ理由は、第一にラジオドラマ全盛期にNHKと民放が自前の放送劇団を組織して専門職を育成したこと、第二にテレビの普及期はソフト不足のため海外製映画、海外ドラマが大量に放送されて声優による吹替の需要が増大したこと、第三にアニメブームにより最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたためだと考えられる。
日本における実態として、声優業を定期的に行ない、声優として認知されているのは、声優専門プロダクションと放送芸能部門を持つ新劇系の劇団に所属する者達である。「声優」という場合、彼らを指すのが一般的である。事務所の機能として音響制作会社と繋がりがあり、継続した営業活動を行なっている声優プロダクションに対して、一般の芸能事務所がマネジメントするタレントは、過去に声優としてのキャリアがある者を除き、継続的に声優の仕事をすることは無く、声優の仕事をするとしても単発的な出演となる場合がほとんどである。
アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川緑波をはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎らが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優やコメディアン、放送劇団員が使われた。洋画の吹き替えが行なわれるようになるのはテレビ時代になってからである。
このブームで人気となる声優の多くがラジオでの活動を通じてファンを獲得して、CDを売り上げ、大ホールでのコンサートを繰り広げた。1980年代の第二次ブームにも声優がラジオ番組でDJを務めることがあったが、このブームでは声優が専属契約するレコード会社がラジオ番組のスポンサーとなり、商業化が顕著となった。林原めぐみ、椎名へきる、國府田マリ子らが成功の先駆けとしてモデルケースとなった。同様の手法で声優事務所やレコード会社が若手声優の売り出しを図るようになった。これまでのブームと比較してさらに声優のアイドル化、タレント化が進行したのが特徴。1993年頃より始まったと見られる。 この頃から、声優をアニメで知る以外にもラジオやゲームで知ってファンになるというケースが増え、声優ファン=アニメファンとは一概に括れない状況が出てきた。
ラジオ番組以外にもテレビゲームに音声が付くようになり声優の存在が大きくクローズアップされた。その結果、声優出演のテレビゲームのイベントが数多く催され、声優がパーソナリティを務めるテレビゲームのラジオ番組が数多く放送された。
1990年代後半から始まったアニメブームにより首都圏で放送されるアニメの数が激増した(後にBSデジタル放送やCS放送の普及などで地域格差は以前ほどではない)。そして、誰もがインターネットに接続できるようになり、声優の情報も簡単に入手出来るようになり露出度も格段に増えた、また、声優がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組が激増した。 以上の点から、声優(特にアイドル声優と呼ばれる;後述)が急激に増加し、新人アイドルさながらにファン層の裾野も広がった。
2000年代に入ると、1990年代の熱狂的ブームに影響を受けた声優が数多くデビューし、アニメや外画への出演など本格デビュー前の新人声優がインターネットラジオ番組やイベントで活躍する機会も増えた。 彼ら声優をより広くより深く知るため、また声優の出演するイベントそのものを楽しむため、単独の声優を追及するのではなく数多くの声優イベントに集団で赴き声優イベンターと呼ばれるファンも出現した。それ以前にもイベントに集団で赴くファンは存在したが、各々の声優のファン同士のコミュニティが最大活動範囲であり、他の声優のファンとのかかわりは希薄であったが、情報網の発達によって他の声優ファンとの情報の共有が容易になったため、ファン同士の「横のつながり」が強くなり、声優の別を超えて活動を始めたのが声優イベンターの始まりとされる。 また、インターネットの普及によって、事務所所属をしておらず、自前でインターネットラジオやラジオドラマさらにはアニメを自主制作し、それらに出演するネット声優も出現した。いわゆるネットアイドルの声優版と考えて良い。
これらのこともあって一時期ほど過熱的ではないものの、定着した様相を見せている。
また、情報化によって1990年代中頃と2000年代での声優をとりまく様相が異なり、前期に活躍した声優がそれまでの活動から一線を引き安定した活動に移っていたり、新たな声優がブームの中心として活躍しているため、2000年代に入って以降をを第四次声優ブームと呼ぶ場合もある。この場合、第三次と第四次の間隔はほとんど(あるいは全く)ないと考えられる。
NHKの東京放送劇団からは、巌金四郎、加藤道子、中村紀子子、黒沢良、山内雅人、勝田久、名古屋章、高橋和枝、里見京子、川久保潔など多数。民放では後のTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透、中村正。滝口順平、田中信夫、向井真理子など。地方局では、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児などである。地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで、テレビ時代になると海外作品の吹替などの声優の仕事は東京に集中していった。
また特殊な例として、声優の卵としてドリカンクラブに入るも、その時点では芽が出ず、暫く舞台役者活動を行いながら養成所に通い、ようやく声優デビューを果たして早々『まぶらほ』などで一気にブレイクした生天目仁美の例もある。
最も手の届きやすい方法ではあるが、それだけに志半ばにして挫折することも多い。例えば、代々木アニメーション学院の各校における声優タレント科の入学者は毎年数百人にも及ぶが、卒業後に声優として第一線で活躍できる者はごく少数である。また、卒業後に別の養成所に入り直す例も少なくなく、そこから有名声優への道を歩んだ者も多い。
その中での成功例としては古くは林原めぐみ、山寺宏一、井上喜久子、三石琴乃、森川智之らがおり、最近では清水愛、能登麻美子、田中理恵、田村ゆかり、中原麻衣、鈴村健一など多数にのぼる。
作品や雑誌の企画による一般オーディションでチャンスを掴んだ者もいるが、その後は養成所で専門教育を受けて、一人前の声優になるのが通例である。真田アサミ、浅野真澄、堀江由衣、沢城みゆき、野川さくらなどがコンテストを経ている。
しかし、中は本職声優さながらの名演をする者もおり、映画『ストリートファイターII MOVIE』でケン・マスターズを演じたタレント羽賀研二(後に、テレビアニメ『ストリートファイターII V』にも出演)や、フェイロンを演じたプロレスラーの船木誠勝は、「声優業でも通用する」と視聴者を唸らせた事は有名である。また、船木は後に主演としてOVA作品に出演している。
なお、講談師の一龍斎貞友(旧名:鈴木みえ)や一龍斎春水(麻上洋子)はもともと声優として長いキャリアを積んだ後に講談師に転身し、その傍らで引き続き声優活動も行っているため、前記の各人とは意味合いが異なる。
このため、現在の声優には、演技力のほか、ルックスの良さや歌唱力、自分自身が独特のキャラクターを持つことなど、様々な能力が求められるようになっている。とりわけ女性アイドル声優の場合はスタイル、ルックスも多少重視される場合もあるが、それはアイドル化路線が軌道に乗ってから言われる事が多いとされるが、最近の一部の事務所の養成所で「声優はエンタテインメント」と銘打っている例も出ている。この傾向に対しては一部の声優ファンから『露骨過ぎる』との批判の声も出ていて、その事務所所属声優を無条件で嫌う者まで出ている状況まで発生している(その結果、本来の実力を過小評価されている者まで出ている事に、そのファンの中からも憂慮する声が挙がっている)。野川さくらなどを擁する事務所であるラムズの社長が「アイドル声優にとって重要なのはルックス、トークの巧さ。演技だけ巧くてもデビュー出来ない」とインタビューで述べたことがある。
夢の国の住人を自称し、生年を公表していない者も少なくない(タレント名鑑などでのみ確認出来る)。ただし、これはアイドル声優に限ったことでなく、ベテラン声優の中にも声優がアニメなどを通じて「子供達に夢を与える仕事」である事を重視して年齢の公表がキャラクターのイメージを壊す事を危惧する考え方が強く、プロダクションサイドとしても顔出しをする仕事ではなく演じるのが声のみという利点が年齢を公表することにより失われる事もあり、声優プロダクション全般にその傾向がある。
もちろん年齢的にアイドル声優としていつまでも活動出来る訳はなく(一般のアイドルが20代に入ると古株と言われるのに対してアイドル声優は30代前後でも通用する点などから前者よりは長いという説もあるが、養成所出身者の場合にはデビュー自体が20代に入ってからになってしまうので一概に長いとは言えないという反論もある)、一時期一世を風靡した者が、程なくして次の若い世代に取って代わられた結果、仕事量が激減してしまった例も少なくない。
とりわけ20代後半に差し掛かった辺りで更なる成長を遂げられるか否かが、アイドル声優と呼ばれる者たちのその後の運命を左右すると言っても過言ではなく、過去にそれに成功した者の多くが中堅ないしベテランとして活躍し続けている。
それだけに、1990年代のアイドル声優の代表格である椎名へきるによる、声優として初の武道館ライブの成功(1997年)は、声優界、芸能界の両方に衝撃を与えた(2002年・2003年・2004年にも開催)。特に声優界では、この椎名へきるの成功もあってかアイドル声優が次々と誕生し、中でも水樹奈々はその卓越した歌唱力とも相まって、声優として2人目の武道館ライブを2005年・2006年の2年連続で成功させた。逆に芸能界では、日本武道館コンサートを成功させることは依然として難しく、声優業界に謙虚に学ぼうと言う人から、たかが声優と反発する人まで様々な意味で芸能界に衝撃を与えた。
アイドル声優ブームの絶頂期は過ぎたものの、アイドル声優自体は、毎年新しい人物が登場し、むしろその影響力は拡大している。
声優自身が作品の登場人物に扮して、舞台で公演した例としては、『サクラ大戦シリーズ』『HAPPY☆LESSON』『HUNTER×HUNTER』『スクールランブル(一部分)』『アニメ店長』が挙げられる。とくに『サクラ大戦』の場合、主要キャラクターが「帝国歌劇団」という劇団に所属しているという設定であり、原作の広井王子は、当初から現実の舞台公演も視野に入れてキャスティングした旨語っている。
しかしアニメファンや吹き替え作品のファンにとっては、本来「影の存在」だった声優が表舞台に姿を見せるようになったことに対して、キャラクターや作品のイメージが壊れると感じ、嫌悪感を持つファンも多い。特にアニメの場合は絵と人間との比較となるため、両者間のギャップが大きい場合がほとんどである。もっとも、近年の若手では声優自身が露出することを前提とした養成・キャスティングも広く行われており、本人の個性やルックス、キャラクターとの一体感も重視されていること、またキャラクターとの年齢差もそれほど大きくないことから、ベテランと言われる世代に比べればギャップは少なくなっている(役柄と本人のギャップも個性・魅力のうちであるという見方もある)。
また、声優(特にアイドル声優)の登用に際して演技力が軽視されるようになってきているのではないかと危惧する向きも多い。
現在では従来のように舞台俳優をホームグラウンドとしながら声優も併せてこなす者に比べ、前述のようなアイドル化した声優や本当に声優活動に絞って仕事を行う者も増えてきている。しかし現況ではアニメファン・声優ファンという特定のファン層が確立しているため、若い声優たちはもっぱら彼らを対象とした活動が中心とする傾向にある。
歌手やタレントは、知名度を期待されてアニメや吹き替えで重要な役の声優に起用されることがある(大抵はテレビ局の一方的な話題作りや宣伝行為で起用することが多い)が、演技が下手なことが多いため、実際に声の出演の訓練を受けキャリアを積んだ俳優・声優が軽視されていると批判する意見が多い。特にスタジオジブリ制作のアニメ作品は日本映画トップクラスの観客動員数を誇るだけに、歌手やタレントの声優起用が毎回批判の的になることが多い。
1980年代半ばには、アイドル歌手出身の日高のり子がテレビアニメ『タッチ』の浅倉南役の人気により芸能活動に再進出、1990年代初頭にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の大ヒットによりTARAKOがバラエティー番組の司会を務めるなどマスメディアへの多く露出した。2000年代には、山寺宏一がテレビドラマやバラエティ番組に幅広く出演するなど、声優としての活動を背景に一般の芸能活動をした例があるが、一般の芸能人らと同様に仕事をこなす声優は極めて稀である。声のみで演技をするために声優を志し、声優の仕事を斡旋する声優プロダクションに所属している者がタレント活動をしないことを以て、声優業界に対して見下す風潮は続いているとする意見が、声優ファンでありながら声優に声優業以外の活動をも望むファンの間には根強い。
声の専門職であるはずの声優が一般の芸能活動をすることをファンが望む一方で、知名度のある芸能人が声優業を単発的に行なうケースは数多く、専門職としての声優の真価が問われることになっている。前述のスタジオジブリの場合、宮崎駿監督が声優のいわゆるアテレコ調の演技を「娼婦の声」といって嫌っているという説があるが、これはある掲示板内でのただの作り話である。実際に1990年代以降の宮崎が監督するスタジオジブリ作品には多くの有名人が起用されるが、これは実際の所は鈴木敏夫プロデューサーによる話題づくりの為と言われる。一方で押井守監督は、声で全ての演技を行う声優という職業を評価し『イノセンス』で『攻殻機動隊』から続けて登場するキャラクターの配役交代の話を退けたと言われている。しかしその押井も自作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』で俳優を起用したことがあり、自著で存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとしている。アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志も存在感や個性については、マイクの前で声を出す声優よりも、声優としての技量が劣っても実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないかと述べた。歴史的に見ると、アニメ声優が確立されていなかった1950年代終盤から1960年代の東映動画の初期の長編作品には俳優がアニメキャラクターの声を当てたのを初めとして、1970年代から1980年代を中心に民放各局で知名度の高い芸能人を映画の吹き替えに起用するケースが多発した。特に日本テレビの『スター・ウォーズ』では出演者の演技力の低さから視聴者の不興を得て沈静化、2006年現在ではフジテレビがたまに起用する程度ではあるが、劇場用のファミリーアニメにおいては、1990年代後半からは起用されることが増えて来ている。
声優の歌手活動は、その多くがアイドル声優によるものであり、純粋に歌手活動が評価されることはなく、声優業による人気が背景にあったり、余技と見なされ、一般からは声優の歌手活動と専業歌手によるものとは区別されるのが通例である。歌手活動をする声優を一般歌手と同等に扱ってもらいたいファンが、世間一般で声優の地位が低い代表的な例として挙げるのは、レコード店では声優が個人またはユニットで歌う音楽CDのほとんどが「アニメ関連コーナー」に置かれていることである。販売店の管理の都合や、声優ファンが探し易いなどの理由もあるが、専業歌手でない芸能人が歌う音楽CDが専業歌手並みに扱われていることに比べると、これは低い扱いなのだと主張する。アイドル声優が一般の音楽番組で扱われることは稀であるが、2000年代になると、水樹奈々がフジテレビの『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に、南里侑香がFictionJunction YUUKA名義でNHKの『ポップジャム』に出演するというケースが表れている。更に声優の歌ったCDがオリコンランキング上位の常連となることも少なくなく、それがランキング形式の音楽番組にて大衆の目に触れることも少なくない。TBSの『COUNT DOWN TV』はその代表とも言える。
専業声優出身者としてドラマ出演でのほぼ唯一といっていい成功例が山寺宏一である。山寺の場合は、声優という閉鎖的な雰囲気を一切感じさせない明るいキャラクターが受けたといえる。但し、これも『おはスタ』などで顔出しする司会者として名を馳せた事や、各種モノマネ番組に頻繁に出演実績があってこその俳優デビューであったと言え、愛川欽也のあり方に近いものである。山寺は専業声優歴が長く人気も高いので、俳優デビューは遅く、進出後も兼業で声優を続けている。
山田康雄や戸田恵子、津嘉山正種は元々顔出しして演じている舞台役者(戸田はアイドル時代があるが)で、初めは俳優業としてドラマにも出ており、その後、声優兼業というパターンで俳優もこなしている。大山のぶ代はタレント・料理研究家としての顔を持ち、冨永みーなや飯塚雅弓辺りは元来子役出身であり(冨永の場合はモノマネに秀でていた事から、山寺と同様にテレビのモノマネ番組に頻繁に出演していた時期があった)、また、日高のり子もアイドル時代に各種テレビ番組に出演していた経験が多数あり、いずれもその後声優に転身している。
これらの逆のパターン、すなわち最初に専業声優としてデビューした者が、その後テレビドラマなどメディア上で顔出しの役者として主要な役を獲得するのは難しいのが実情である。前述の山寺宏一を除いては、國府田マリ子が声優ブーム最盛期に深夜ドラマ「せつない」にレギュラー出演していたことがあった程度である。その為か、最近の声優業界では、テレビの特番企画などのゲスト出演や、最初から声優ファン向けのテレビ番組・映画・DVDに的を絞って顔出し出演するものとなっている。それは、ドラマのキャスティング権は大手芸能事務所が大きな力を持ち、声優業のマネージメントを主とする声優プロダクションは大手であってもテレビドラマに出演させる力が無いからである。声優プロダクションが繋がりを持ち営業をかけるのは音声製作会社に対してである。そのため声優業のマネージメントは声優プロダクションに任せるが、その他のマネージメントは一般の芸能事務所に任せるというタレントも存在する。中堅から若手の声優の多くは、最初から声優を志して専業声優となったので、声優プロダクションに所属している。タレントとしての活動の幅を広げたくなった声優の中には声優プロダクションを離れて、一般の芸能事務所へ移籍する場合もある(宮村優子、松本梨香)。
しかしながら、アイドル業界においては、1980年代のビッグアイドルたちの全盛期と比べると、1990年代後半のモーニング娘。以降は細分化・ニッチ化が著しく、逆に1990年代以降のアイドル声優にかつてのアイドル黄金期と共通するものを見いだす向きもある。
また、一部のファンの中には、アイドルファンも兼ねている場合がある。これは、TV出演などブレイクしていないアイドルが、ファンに親近感を持たせる活動をすることで、ファンの獲得を狙っていることが大きな理由と思われる。声優ファンの中には、吹き替えの仕事がメインとして活動する声優にとってはファンの獲得は仕事を得る上で必要ではあるものの、あくまでサブの要素が強く、反面アイドルについてはファンの獲得が仕事の獲得に深く結びつくため、ファンに対してより好意的な対応をするとの観点から、アイドルファンにシフトしていくものも増えている。 アニメやゲームなどに深くかかわる事から多くの声優イベントが組まれ、声優ファンの主要な活動地域でもあった秋葉原だが、近年時東ぁみ・AKB48など、その秋葉原を拠点として活動するアイドルが増えたことも、声優ファンのアイドルファンへのシフトを強めている。 こうしたシフト現象は、自宅で主にアニメやラジオなどの声優活動を通じて楽しむ、いわゆる「在宅」の声優ファンよりも、声優イベントに足繁く通う「現場」系の声優ファンに多く当てはまる。
アイドル声優として売り出される者を例外として、通常は各作品の制作プロダクションから声優の事務所庶務に、洋画ビデオ吹替やテナント等のナレーション、アニメーション等各作品の「オーディションのお知らせ」が通達されるのみで、声優はこれらに事務所を通じて応募してオーディションを受験し、合格を取るといった「自らの足で稼いで仕事を取ってくる」ことがほとんどである。
全ての声優がオーディションに参加する機会を得られるとは限らない。声をかけられた事務所のマネージャーは、役柄にあうと判断した所属声優をピックアップしてオーディションに挑ませるのが通例である。オーディションの手間をかけず、事務所単位で制作されているボイスサンプルを収録したCDなどを参考にキャスティングを済ますこともある。
洋画の翻訳会社からビデオ化の際の吹替トラック作成時に指名を受けることもあるが、これは外国俳優の持ち役等を持っている声優などごく一部の例外と言ってよい。
従って如何に就労意欲があろうともオーディションで採用されなければ無収入のままであり、声優として稼業するということは、常にオーディションを受け続け、勝ち続けなければ食べることが出来ないという厳しい現実を繰り返すことなのである。
基本的な事情は以上だが、現実には映画での「○○組」と同じような現象がこの世界でもあり、各種原作者などの版権者や制作会社関係者、監督や音響監督との人間関係によってしばしば常連声優がいたり系列化されているのも事実である。
吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は、実写出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優のアルバイトが多かった。ただし実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なく、何本も掛け持ち出演が可能だったため、一概に低収入と言えなかった。
声優の待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音声製作者連盟(音製連)、声優のマネージメントを行なう事業者で組織する日本芸能マネジメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ(1973年8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年には報酬の314%アップ、1980年には再放送での利用料の認定、1991年には170%アップするなどの成果を勝ち取って来た。業界に対してのみならず、1973年と2001年にはデモ行進、1988年には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において「磯野波平ただいま年収164万円」と題してアニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている。
日俳連、マネ協、音声連による協議の結果、「外画動画出演規定」「新人登録制度」「CS番組に関する特別規定」「ゲーム出演規定」などを締結。アニメでは、放送局と、アニメ制裁作会社で組織される「日本動画製作者連盟」も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンルや放送時間帯、放送回数、ソフト化等による二次利用、そして経験実績等の条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない(一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している)。
以上の事情はアニメと外画吹替における日俳連と音製連とマネ協による協定に基づくものであり、声優、マナジメント事業者、音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ、この規定に縛られることはない。例えば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1000万円だったと言われている。そのため組織率を高めるために、音声連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音声連に入ってない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。
これらの協定を嫌う製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用するケースが1990年代半ばより増えて来ており、日俳連の組織率は以前と比べると低下している。音製連に属していない事業者としては、脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)、マネ協に属していない事業者としては、ネルケプランニング、東映アカデミーがある。
30分作品の最低ランクは1万5千円、最高は4万5千円で、その上に上限なしのノーランクが設定されている。これが基本出演料になり、放送時間が60分や120分の場合はさらに「時間割増」、アニメは「目的使用料」として基本出演料の80%、吹替には70%、予告編の台詞についてもそれぞれ基本出演料のランクを基にした出演料が支払われ、これらの合計が声優の総出演料となる。
アニメ、外画、ゲーム以外は、このランク制の適用を受けない。
新人声優は2本のレギュラー番組を持てるようになる頃には、それ以外にもCMなどの仕事も入り、声優として生計を立てられると言われるが、 )。また、井上喜久子のようにデビュー当初から在籍していた事務所を辞めてフリーになった途端に、その事務所が得意とする吹き替えの仕事が急減した例もある(幸い、他の業界関係者からは既に引く手あまただった為、仕事に困る事態には至らなかったが)。
実際に林原めぐみ、横山智佐、難波圭一、堀内賢雄などの人気声優が独立して活動しているが(先述の井上喜久子のように、実姉と共同経営の個人事務所を構えながら、ナレーション関連のマネジメントをベルベットオフィスに委託している例もある。また、一度はフリーになり、そんな中でも安定した仕事量があった人気声優の中にも、マネジメント業務の煩雑さなどから、再び事務所所属になる例も少なくない)、一般的な芸能人に比較して単体での営業活動基盤が細い声優業界においては、彼らのような状況はほんのごく一部の成功者のみ許される選択肢でもある。
養成所や専門学校での養成期間は概ね2年から3年であるが、ここで習うのは声優としての訓練ではなく通常の俳優としての演技である。すなわち一般的な俳優と何ら変わらない訓練を積むのである。これはどのプロダクションにも一貫している見解であるが、「素の演技が出来ない者は声の演技などまして出来ない」ということである。訓練生はまず、一本立ち出来る演劇俳優として徹底的に鍛え上げられるのである。
演技の勉強をしてきた後、プロダクション主催のオーディションに合格するとプロダクションに所属できる。この時点では各所属において「新人」「ジュニア」と呼ばれる見習い期間となる。そして見習い期間中にどれだけの仕事をオーディションで取れるかが、準所属や正所属・本所属といわれる段階に進めるか否かの分岐路であり、これが順調に進められた者は大手の声優プロダクションに移籍することもある。
逆に言えばこの新人期間にオーディションで仕事を取れない者はこの後遅咲きで伸びるということはほとんどなく、夢を断念して去るか、再び養成所に入所し直して演技力を高めるしかない。
毎年2000人以上いると言われる声優の訓練生だが、実際に生き残ってプロデビューを果たせる者はほんの僅かであり、プロの声優となるには長い期間の下積みが必要な、非常に狭き門といえる。
実際の状況として多くの訓練生の中には、特段可愛い声、特徴ある声、声のバリエーション幅が広く幾つもの年齢層を演じ分けられる人、或いはアイドル声優として売れそうな容姿の女性声優の卵などはかなりの数がおり大して珍しい存在ではなく、これらの能力・技能があるからといって成功に直結したという例はほとんどないのが実態である。ここから頭角を現して生き残れる条件は結局、芝居力・演技力が他の者より優れているか否かである。すなわち養成所時代にどれだけ総合的な演技力を身につけられたかが勝敗を決めることになるのである。そして勝ち残った僅かな者も、前章のようなオーディションを戦い続けなければならない、厳しい人生を歩んでゆくことになる。
中には養成所や専門学校の宣伝および実績づくりのために、経験不足の状態で主役に抜擢された者もいる。 代々木アニメーション学院出身の鈴木真仁は三ツ矢雄二の口利きでテレビアニメ「赤ずきんチャチャ」の主役に抜擢された。「赤ずきんチャチャ」の録音スタジオには代々木アニメーション学院のスタジオが用いられ、アニメ雑誌の代々木アニメーション学院の広告ページには「赤ずきんチャチャ」のキャラクターと鈴木らが登場していた。 しかしながら、鈴木真仁は現在も活躍していることから素質を見いだされて「育成目的での」抜擢でもあったと考えられる(日高のり子も似たような形でタッチの浅倉南役に大抜擢された)。
韓国では放送局が声優の劇団を持っている。
声優 | アニメ製作の手法と役職 | コンピュータゲーム