国家(こっか、英:state、独:Staat、仏:état、伊:stato)とは、一定の土地または領域と人民とに排他的な統治権を有する集団もしくは共同体のこと。
西欧語における「国家」の起源は、イタリア語の「stato」で「状態」という意味だが、マキャベリが、lo stato「かかる(その、こうした)状態」を 「現在の支配体制」という意味に転用して今日の内容を持つようになった。
漢語における「国家」は、諸侯が治める国と卿大夫が治める家との総称で、特定の境界を持つ支配地・支配民を意味した。対語は、いかなる限定もされない支配地と支配民、つまり「天下」である。支配機構を出発点にする方向性は西欧の国家概念と同じだが、支配の対象である土地と人民を含む点で、微妙なニュアンスの違いを持つ。西欧語と同じく支配機構に限って論じる場合も多いが、日本産の政治思想では(上から統制することに重点をおきつつも)政治共同体として国家を扱うことも多い。
日本語においては、国と同義にも用いられる。この場合、一定の領域内に住む人間集団が作る政治的共同社会を指す。通常国民と訳される「nation」は、団体的側面を強調したり、他「nation」との関係を強調したりする文脈で用いられるときには「国家」と訳すことがある。
このようにして、政治共同体の要素をそぎ落として把握した支配機構が「国家」である。
国家起源の動態モデルとして最も有用なのがカール・W・ドイチの説である。
ドイチは国家の起源を社会的コミュニケーションの連続性から説明する。彼によれば、国民(nation)とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物である。すなわち、第1に、財貨・資本・労働の移動に関するものである。第2に、情報に関するものである。西欧における資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイチはこれを経済社会(society)と呼ぶ。また同時に、言語と文化(行動様式・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイチはこれを文化情報共同体(community)と呼ぶ。日本のように経済社会と文化情報共同体が重なり合う例も存在するが、この2つは必ずしも重なり合うとは限らない。現在でも、複数国家で共通の言語が使われている例は珍しくない。一定の地域である程度のコミュニケーション密度が長期間継続すると、そこは「くに」(coutry)となる。そして、そこに住む人たちが「民族」(poeple)と呼ばれるようになる。この「民族」(people)が自分たち独自の政府(government)つまり統治機構(state)を持ちたいと考えた瞬間に「民族」peopleは「国民」(nation)となるのである。people、nationをともに「民族」と訳さざるをえない場合があるのは日本語の社会科学概念の貧困に由来する。ちなみに、民族自決を英語でself-determination of peoplesというのは以上のような思考過程を表すものと考えられる。
こうした「民族」(natoin)あるいは「国民」(nation)が実際に政府を樹立し成立するのが「国民国家」nation-stateなのである。
現代における国家は必ずしもこうした理念型に合致するものではない。まともなコミュニケーションの進展も存在せず、それ故、「国民」(nation)と呼べる実体が全く不在の場所に国家(state)だけが存在するという場合もあれば、ひとつの国家(state)の中に異なる政府の樹立を求める民族(nation)が複数存在する場合もある。ヨーロッパにおいては、これまでの国民国家(nation-state)を包括するような大きな主体の出現が議論されている。それに対して、さらに細分化された民族peopleが自らの政府の樹立を望んで国民nationとなろうとしているようにも見える地域も無数に存在している。こうしたことはEUの発展するヨーロッパにおいても見られる。
静態的な国家論だけでは国家を捉え切ることは非常に困難であると考えられる。
参考文献 Karl W. Deutsch, Nationalism and Social Communication, The M.I.T. Press, 1966
このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。
こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代の琉球王国が日本と中華帝国(明もしくは清)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。
さらに権力に関しても、幕藩体制における各藩が独自の軍事機構を持ち、幕府の藩内内政への干渉権が大幅に制限されていたように、決して主権的ではなかった。
現代社会において近代国家の表看板を掲げていても、アフガニスタンのように内部の実情は複数の自立的共同体が必ずしも国家機構の主権下に服さずに国家体制の構成要素となっている国家は存続している。今日の国際関係は、近代的主権国家間の関係を前提として成立しており、こうした国家の存在は様々な紛争の火種を内包している。さらに、この問題は同時に、近代的主権国家の歴史的な特殊性の問題点を投げかけているともいえる。
国家と対立する、テロまたはテロ国家の概念が、イラク戦争や、アメリカ同時爆破テロ以降問題になりつつある。
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