刑法(けいほう)とは犯罪とそれに対する刑罰を定める法律である。
狭義で刑法という場合には、刑法典すなわち日本法では「刑法」(1907年(明治40年)法律第45号)という名の法律(形式的意味の刑法)を指し、広義で刑法という場合には犯罪と刑罰について規定する全ての法令を指す。ここに含まれる法令には、特別刑法というべき爆発物取締罰則、ハイジャック防止法などが含まれる。最広義の意味では、これに加えて各種法令の罰則規定において刑事罰が規定されている場合の当該条文を含めて観念する場合がある。以下では、主に現行の日本刑法とその周辺について述べる。
なお、刑法の規定に基づき犯罪とされた内容について、実際に捜査・裁判過程でどのように律すべきかを規定するのは、主に刑事訴訟法である。
なお、現行刑法の最終改正は平成18年5月で、第235条(窃盗罪)に50万円以下の罰金刑が加えられた。
刑法制定史
明治初期の刑法典
- 仮刑律…慶応4年(1868年、後の明治元年)2月に新政府によって暫定的に制定された刑法。律令や公事方御定書などを基として作成された。また、刑法草書(熊本藩)との共通点も見られることから、熊本藩出身者(当時新政府に出仕していた細川護久とその周辺か?)が起草したという説が有力である。旧天領である府県に対して施行され、諸藩に対しては残酷な刑罰を除去する事を命じた上で当面の間は自藩の刑法を施行させた(版籍奉還後は死刑執行には政府の許可を得ることとなった)。
- 新律綱領…明治3年(1870年)10月に暫定的ではあったが、諸藩も含めて全国的に施行された刑法。全6巻(8図、14律192条)で構成された。清律の影響を受けて旧来の刑法よりは厳罰主義色は減ったものの封建的色彩が依然として強力であった。また、江戸幕府では禁じられていた刑法典の出版・頒布が初めて認められた。
- 改定律例…明治6年(1873年)6月13日に制定された追加法。欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。構成要件に関する規定を初めて設けた。
旧刑法
刑法(明治13年太政官布告第36号)は、今日では現行の刑法と区別して「
旧刑法」と呼称されている。明治13年(
1880年)
7月17日に
治罪法(現在の
刑事訴訟法)とともに制定され、同15年(
1882年)
1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された(明治14年太政官布告第36号)。
全3編11章53節430条からなる。明治5年(1872年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(明治7年)・「日本帝国刑法初集」(明治9年、「改正刑法名例集」とも(総則のみ))などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードにフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、出来上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光・細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、「自首による罪の軽減」・「犯罪を犯した親族を匿った者への罪の軽減」、「不敬罪の厳罰化」など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。体外的には日本が文明国であることをアピールする事を目指した側面と国内的には自由民権運動の激化に対抗するための治安法制としての側面が見られる。
刑法典論争
ところが、旧刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。旧刑法はフランス法の影響を受けて国家による処罰権の行使に制約が加えられている事(更に
民法典論争で同じくフランス法をモデルとした
旧民法が非難の的となった事も影響した)、このころヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。更には当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないと言う不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(
1890年、
行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の
伊東巳代治と違憲論の
井上毅の間で激論が交わされた)などによって、新規の法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。
この動きをみた司法省はドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年・1895年・1897年・1901年・1902年と5度にわたって提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれもが挫折してしまった。
第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織してそこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、1907年に現行の刑法が成立するのである。新しい刑法には強力な治安法制を確立させたいと言う政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型を抽象化・包括的として法定刑の幅を広く持たせた。裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、その裁量によって執行猶予を導入したり、逆に累犯に対する重罰を可能にしたりした。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね揃えたものであり、当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史を辿ってしまうのである。その克服は、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後の事である。
改正刑法草案
時代の変遷や社会の高度化に伴い、
原因において自由な行為や
共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出す。そして、昭和49年5月29日に
法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や
保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、
国家主義的であるなどの批判を受け、
国会に上程されることなく現在に至っている。
主な内容
現行刑法典は、2編から成る。
第1編(第1条~第72条)は
総則で、刑法の適用範囲、
死刑・
懲役刑・
罰金刑などの刑の種類、
執行猶予、
共犯、2個以上の犯罪の処理方法などを定めている。この編の規定は、明文のない限り他の刑罰法典(例;
軽犯罪法、
組織犯罪処罰法や
会社法上の
特別背任罪)に定められた犯罪にも適用される。
第2編(第73条~第264条)は
各則で、
殺人罪や
窃盗罪、
放火罪など各種の犯罪類型や、その
未遂罪を処罰するかどうかなどを規定する。
刑法から削除された主たるもの
主に
日本国憲法の精神に沿うようにするための改正。
- 連続犯―旧55条
- 裁判確定後の再犯による加重―旧58条
- 皇室に関する罪(大逆罪、不敬罪、皇宮等侵入罪)―旧73~76条
- 利敵行為―旧83~86条
- 外患援助罪などを戦時同盟国に対して適用すること―旧89条
- 外国元首・使節に対する暴行・脅迫等―旧90,91条
- 安寧秩序に対する罪―旧第2編第7章ノ2
- 姦通罪―旧183条
主に、漢字カタカナ混じりの文語体から、ひらがな口語体に改めるための改正。下記は数少ない実質的な改正点。
いかなる行為が犯罪として刑罰の対象とされるかが予め明らかになっていなければ、国民の私生活上の自由は大きく制約されてしまう。そして、いかなる犯罪行為にいかなる刑罰が科されるかが予め明らかになっていなければ、刑罰を執行する者が自己に批判的な言動をする者に恣意的に重い処罰をして弾圧の手段としかねない。更に、いかなる行為にいかなる刑罰を科すかは、国民の私生活上の自由に重大な影響を及ぼすから、国民の直接の代表者である国会の意思に基づくべきである。そこで、現代国家では、ある行為を犯罪として処罰するためには、その行為がなされる以前に、国会の定める法律又は法律の個別具体的な委任に基づく命令によってその行為を犯罪とし、これに科されるべき刑罰を規定しておかなければならないという理念を罪刑法定主義という。
日本においては日本国憲法第31条が罪刑法定主義の根拠条文とされている。刑法においては、旧刑法では規定が設けられていたものの、現行の刑法では削除されている。一般的には当時の大日本帝国憲法第23条にも書かれているので二重となるのを避けたとされているが、当時の政府が裁判官の裁量権の拡大を図るとともに、国家体制に対する犯罪に関しては罪刑法定主義の除外の対象としようとしたのではないかという疑いも持たれている。現に治安維持法に見られた抽象的な犯罪類型を定めたものや国家総動員法のような白地刑罰法規(しらじ―、違反者への刑罰のみを定め、その犯罪の成立要件に関しては行政命令に委任した法律)などは、罪刑法定主義の形骸化を示すような法制であった。
古典学派(旧派)と近代学派(新派)
19世紀末のドイツを中心に刑法思想を巡る論争が発生して、各国の学会を二分した。今日の刑法理論はこの両者の思想から派生されたものである。
古典学派(旧派) (klassische Schule)
特に1840年頃を境に前期と後期を分けることがある。
18世紀末から19世紀初めにかけてイタリアのベッカーリアやドイツのフォイエルバッハに唱えられ、社会契約説やカントの思想を受けて、犯罪は社会や権利に対する侵害に応じて、予め法律で定めた規則によって処罰されるべきであるとした。彼らは宗教や王権が法の規定を越えて刑罰に介入することに反対した。
だが、19世紀の中頃から、ヘーゲルの影響を受けたドイツのベーリングらが国家は道義的義務に違反したものに対しても刑罰を科することが出来るとする一方、犯罪理論の客観化に務めた。ベーリングらの主張を後期古典学派と言い、日本で単に古典学派という場合には後期の方を指すのが一般的である。戦前の日本では滝川幸辰・小野清一郎らが代表的であった。
- 理論の概要
- 刑罰権の主体となる国家を自由主義的法治国家と規定。
- 人間は自由意志を持つ理性的存在である(意思自由論)。
- 個々の犯罪行為はその自由意志の外部的実現手段である(犯罪現実主義)。
- 罰せられるのは、その現実的な行為に対するものである(行為主義)。
- 犯罪の観念はその行為的側面と結果を重視して理解する(客観主義)。
- 刑法上の責任は、自由意志によって反道義的行為を行ったことへの道義的非難である(意思責任・道義的責任)。
- 刑罰は道義的責任ある行為に対する応報として犯罪者に課せられる害悪である(応報刑論)(後期旧派)。
- 刑罰によって、一般社会の人を戒めて犯罪予防が可能となる(一般予防論)(前期旧派)。
- 刑罰によって、国家的な法秩序の維持が可能となる(法秩序維持論)。
- 危険性を前提とした保安処分は刑罰とは性質は異なる(二元論)。
近代学派(新派) (moderne Schule)
19世紀後半の社会・経済の急激な変動は、犯罪と刑罰の関係を観念的に唱える古典主義への不満として噴出した。ドイツの
リストはこうした批判に対して体系的な理論を構築して対応しようとした。彼はイタリアで流行していた
人類学に犯罪起因を求める(生来性犯罪者・慣習犯罪者・機会犯罪者などと犯罪者の人間性そのもので区分する)方法を否認した。その一方で
ベンサム・
イェーリングの社会
功利主義的目的思想を継承し、刑法における目的思想を重要視している。刑法の応報刑化に反対し、
法益保護と法秩序の維持を目的とし、社会を犯罪行為から防衛しながら犯罪者による再度の犯罪を予防することを重視する。犯罪を行為ではなくその行為を行う者の問題と捉えて、犯罪の原因を社会的要因と個人的要因に分けて考えた。前者は政府の社会政策で後者は個々の刑事政策で解決に導いていくべきであると主張した。また、客観的に把握できない主観的要素で刑罰が左右されて罪刑法定主義が否定されかねないという主張に対しては、刑事政策が刑法とその諸原理を超越することは許されない(「刑法典は犯罪者の
大憲章である」)として、無原則な刑事政策を否認した。戦前の日本では
勝本勘三郎・
牧野英一らが代表的であった。
- 理論の概要
- 刑罰権の主体となる国家を政策的任務を負った社会的法治国家と規定。
- 人間の自由意志を否定して、犯罪を行為者の素質(性格)と(環境)から生じる必然的な現象とする(意思決定論)。
- 犯罪行為は犯罪者の反社会的性格の微表とする(犯罪微表説)。
- 罰せられるのは、行為そのものではなく行為者自身である(行為者主義)。
- 犯罪の観念は行為者の反社会的性格・動機などの主観的側面より理解する(主観主義)。
- 刑法上の責任は、反社会的な危険性を持つ者が、社会が自己防衛するために一定の措置を感受すべき立場にいると考える(社会的責任論)。
- 刑罰は行為者の反社会的な性格を改善するための措置である(改善刑論・教育刑論)。
- 刑罰は、行為者の再犯予防を目的とする(特別予防論)。
- 刑罰という応報によって、社会を犯罪から防衛することが可能となる(社会防衛論)。
- 危険性を前提とした保安処分は刑罰とは性質を同一とし、相互に代替手段とすることが可能である(一元論)。
刑法上の重要な概念
総論・各論
日本の大学の
法学部における刑法の講義、ないしは論文等の整理における分類として、刑法学は大きく2つに分けて論じられている。
1つは総論で、法律上における犯罪と刑罰の関係を一般的・抽象的に研究し、犯罪の成立要件とその類型に関する一般的な原則・概念(「刑法上の重要な概念」参照)及び刑罰の本質と種類・適用について扱う。これらは、個別の各犯罪に共通する概念を扱うものであり、例えば未遂、心神耗弱、共犯などの概念はここに含まれる。
もう1つは各論で、窃盗罪や殺人罪などといった個々の犯罪と刑罰を具体的・個別的に研究し、各犯罪の成立要件に関する原則・概念とその刑罰について扱う分野である。各犯罪については、必要に応じてさらに分類されうる。
関連項目
代表的な刑法学者については、
日本の法学者一覧を参照のこと
外部リンク
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