出雲国(いずものくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の島根県東部にあたる。雲州(うんしゅう)と呼ばれることもある。出雲は稜威母(イズモ)という日本国母神イザナミの尊厳への敬意を表す言葉からきた語、あるいは稜威藻という竜神信仰の藻草の神威凛然たることを示した語をその源流とするという説がある。
この律令以前の出雲国の影響力は日本神話の各所に見られ日本創生の神話の大半が出雲やその周辺の話になることからその精神的影響力は絶大であったとの見解が主流である。しかし、やがてはヤマト王権に下ることとなり、それが有名な国譲り神話として日本書紀などに記されたと考えられる。国譲りの交換条件として建立された出雲大社はいまだに全国から参拝が絶えない。更には、出雲大社の宮司に相当する出雲国造家は天皇家と同等の血統の長さを誇り、この国造と言う呼び名も古代律令に用いられていた官職名であることからその歴史の長さを読み取ることが出来る。
その後律令制の下では出雲国造の領域を元に、7世紀に設置された。国府は意宇郡にあり、現在の東出雲町阿太加夜神社周辺で遺跡が発掘されているが、平安期には東部出雲(意宇郡)をも朝廷に没収された出雲国造家は今の出雲大社がある西部出雲に中心を確定する。東部出雲は荘園守護の管轄下となり、月山富田城(現安来市広瀬町)を中心とした戦国大名尼子氏を生み出すこととなる。
江戸期に入ると、松江藩が設置され東部出雲は松江、西部出雲は出雲国造の影響下に入ることとなる。更には、松江藩傘下の東部では明治期に見られた廃仏毀釈の逆の影響が認められたりもする。つまり上古より同じ出雲でも東西の主権が別々の歴史的見解を残すため出雲の歴史はわかりづらいものとなっているとの指摘がある。
10月の異称の「神無月」は、その宛字から「神がいない月」と解釈され、全国の八百万の神々がこの月に出雲に集結し、縁結びなどの会議(神議り)をするという伝承がある。これは中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた説であるが、現在でも出雲では10月を「神在月」と呼び、出雲大社ほかいくつかの神社では旧暦10月10日ごろに神を迎える祭、その1週間後に神を送り出す祭が行われる。
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