八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈支庁八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁によると火山活動度ランクCの活火山である。富士箱根伊豆国立公園に指定。
Hachijo-jima.JPG | 富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、カルデラを形成したと考えられている。人類による噴火の記録はない。西山は数千年前から活動を始めた新しい火山で、山頂に直径約500mの火口がある。1487年12月、1518年2月、1522~1523年、1605年10月、1606年1月(海底噴火によって火山島ができたとされる)に噴火が記録されている。
東山と西山の間にある低地には、20以上の側火山(寄生火山)があり、海岸近くにはマグマ水蒸気爆発による火砕丘 (神止山など)がある。17世紀までに数回活動した記録があるが、規模は大きくなかったと考えられている。
気候は、黒潮(暖流)の影響を受け、海洋性気候となっている。年平均気温は18℃程度となっており、高温多湿。年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴。そのため、「常春の島」とも言われている。
律令制度においては東海道駿河国(のちに駿河国から伊豆国が分立。以後、伊豆国)に属する。室町時代には鎌倉に設置された室町幕府の出仕機関である鎌倉公方を補佐する関東管領の上杉憲顕が代官を派遣している。
平安時代に大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説が残っているが、八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関が原の戦いに西軍石田三成方に属した宇喜多秀家である。
秀家の子孫は、秀家の正室であった豪姫の実家である加賀藩前田氏の援助を受けながら数家に分かれて存続し、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免された(実際には「徳川の臣に下る」ことを条件とした赦免が用意されていたが、五大老まで務めた秀家がこれに甘んじることはなかった)。赦免と同時に直系の者は島を離れて板橋宿の加賀藩下屋敷跡に土地を与えられて移住したが、浮田姓に改名して島に残った分家の一部が現在も秀家の墓を守っている。
2005年10月からは、1日4便のうち、初便・最終便をエアバスA320型機、2・3便をボーイング737-500型機で運航し、八丈島からの第2便・折り返しである羽田からの第3便が伊豆大島を経由するようになった。これにより八丈島からの第3便の出発時間が1時間以上遅れることになったが、島民にとっては長年の悲願であったヘリコミューター以外の大島路線の開設と、下記の条件付ながらも航空運賃の大幅な引き下げが実現した。
※2005年10月~2006年3月までの搭乗者が前年度実績の10%を上回らなければ、東京羽田-八丈島直行便に関しては2006年4月から運賃値下げを撤回し2005年9月以前の運賃に戻す。伊豆大島経由便は航空運賃引き下げ額が継続される予定である。→2006年3月27日に目標を達成。
竹芝桟橋と小笠原諸島・父島間にTSL・テクノスーパーライナーが就航した際には、現在竹芝~父島航路で使用されているおがさわら丸を竹芝~八丈島航路向けに転用する計画がある。しかし、小笠原航路へのTSL・テクノスーパーライナー導入計画そのものが2005年に、折からの燃料費高騰等にを理由に暗礁に乗り上げてしまった。更に、これを受けて東京都が代替策として小笠原での空港建設の検討を進めており、おがさわら丸の八丈島航路転用計画は実質、頓挫した状態になっている。
温泉施設も多く入浴料も安いため、温泉目的で訪れる旅行客も多い。
現在、ヤフーBBによる24Mbpsによる八丈島でブロードバンド回線が開通し、それに追随してNTT東日本も伊豆諸島全体でフレッツADSLを開通させた。この問題は、末端の回線を独占してきたNTTに対して、離島であってもブロードバンドサービスの世界では、激しく競合すると言う事実を考えさせるきっかけとなった。この顛末については、*、*も参照。