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全日本プロレスぜんにほんプロレス)は、1972年に設立されたプロレス団体の一つ。

略して全日(ぜんにち)とも呼ばれる。

英語表記:All Japan Pro.Wrestling 略称:AJPW

王道プロレス」を標榜している。旗揚げ戦は1972年10月21日東京の町田市体育館で行われた。

概要


社長がジャイアント馬場三沢光晴武藤敬司の時期に大別される。

ジャイアント馬場の時代

日本プロレスに所属していたジャイアント馬場中心に結成。常にアントニオ猪木率いる新日本プロレス異種格闘技路線と比較されつつも、一貫して「王道の純プロレス」を実践。
初期
馬場が培ったアメリカ(主にNWA)での人脈を生かし、幾多のスター外国人選手を招聘して人気を得た。力道山時代の「日本人レスラー対外国人レスラー」の系譜を受け継いだものだといえる。当時は新日本プロレスの格闘技路線と比較され、動きが緩やかな印象を与えた全日本のプロレスは一段低く見られがちな風潮もあった。現在では、WWEに代表されるアメリカンプロレスの源流を日本に紹介したこと、レスラーの高度な駆け引き、プロレス特有の「受けの美学」を見せたことなどが再評価の対象となっている。この時期に、ジャンボ鶴田(故人)、天龍源一郎大仁田厚らを輩出する。またブッチャーやシークに代表される流血戦も多く、大仁田のFMWなどのインディー団体のデスマッチ路線の源流を作った、とする意見もある。
中期
馬場が、高年齢を理由にタイトル戦線から退いた後には、「明るく、楽しく、そして激しく」を掲げ、日本人選手の対戦が主軸となった。その他、中継権を持っていた日本テレビと関連が特に深い時期であり、日本テレビの役員が出向の形で全日本の社長ポストに就いていた(馬場は会長ポスト、後に社長に就任)。天龍を中心に「見る者にも、痛みの伝わるプロレス」が繰り広げられた。天龍、鶴田以外にも、新日本プロレスを離脱した長州力ジャパンプロレスの選手らがこの時期に参戦している。
後期
天龍を始め、多くのレスラーがSWSに移籍し、存続が危惧される時期があった。この時期にジャンボ鶴田に、三沢光晴率いる「超世代軍」が挑む構図が生まれた。鶴田率いる正規軍と超世代軍、外国人レスラーの戦いが主軸となる。
鶴田が病気のため、一線から退くと、戦いは四天王プロレスと呼ばれる形へ発展した。危険度の高い技を次々と繰り出すスタイル(詳細は四天王プロレス及び王道プロレスを参照とのこと)は先鋭化し続け、テレビ解説をしていた馬場に「解説できない」と言わしめるほどだった。

三沢光晴の時代、三沢の離脱

馬場夫人との軋轢
1999年に馬場が死去、三沢光晴が社長に就任する。馬場存命中には行わなかったビッグマッチでの大胆なカード編成を試みた。また、三沢、仲田龍らは、新日本プロレスなどで行われていた花道やレーザー光線などを使った華やかな演出を提案し続けた。しかし、伝統の保持を第一優先と主張する、馬場夫人である馬場元子との軋轢が生じ、社長を解任された。その結果、馬場元子とジャイアント馬場の姪・馬場幸子、渕正信を除く全役員が辞任した。
三沢の離脱
社長解任後、三沢を含めた大半のレスラーと職員がが全日本プロレスを離脱した(経緯については三沢光晴を参照のこと)。三沢らはプロレスリング・ノアを旗揚げした。その後、日本テレビは、全日本プロレス中継を終了し、『プロレスリング・ノア中継』に切り替えた。

残留者による活動
一方、全日本プロレスに残留したのは、川田、渕、和田京平レフェリー、木原文人リングアナ、広報担当社員一人、そして馬場元子の6人であった。その他は留学という形での参戦だったマウナケア・モスマン(現:太陽ケア)、当時選挙活動中でプロレス復帰も流動的であった馳浩のみであった。
その後は天龍源一郎の復帰、フリーランス、他団体所属、ジャイアント馬場時代からの常連外国人レスラーの参加により運営を維持していた。また、この時期に川田と渕が新日本プロレスの興行に出場した。

武藤敬司の時代

武藤らの移籍
2002年2月、武藤敬司、小島聡ケンドー・カシンが新日本プロレスから移籍し、同年9月武藤敬司が社長に就任した。地道な興行を展開し、2004年4月にはテレビ東京で約4年ぶりとなるテレビ中継番組『プロレスLOVE』が開始された(2005年3月終了)。
現在はTAKAみちのく率いるRO&DTARU率いるVOODOO-MURDERSなどのフリーレスラー中心の軍団、佐々木健介健介officeの継続参戦、NOSAWA論外,MAZADAの東京愚連隊、元大阪プロレスの菊タロー、元新日本のAKIRAK-1からの参戦により、新たなファン層の獲得に成功しつつある。WWEでエージェントを行っているジョニー・エースとの繋がりで、WWEを解雇されたレスラーが多く参戦し、全日の伝統である「日本人レスラー対外国人レスラー」を受け継ぎつつ、「王道プロレス」に代わる「パッケージプロレス」を提唱、実践していることが武藤時代の特徴の一つとなっている。フリー転向後爆発的な人気を得た佐々木健介が「今の自分がいるのは全日本があるから」と武藤に感謝している発言や、WWEを解雇されたレスラーがWWEに復帰することが認められるなど、武藤のレスラーを再生させる手腕を評し、野村克也の『野村再生工場』にあやかって『武藤再生工場』という呼び名もある。

かつては全日本プロレスの主要大会と言えば日本武道館大会であったが、会場使用料の滞納から撤退。その後は主要大会になると両国国技館を使用していたが、キャパシティの割には観客動員が伸び悩み、現在は代々木第二体育館もしくは大田区体育館を使用する。

課題
川田の参戦が停止(川田自身は継続参戦を希望した)、役員の退職(青木と高橋はキングスロード設立、渡辺はWRESTLELANDのプロデューサー。ともに失敗続き)、人手不足を理由とする武藤夫人のフロント入り、大会場の賃貸料問題、などが上げられる。

他団体との交流


馬場~三沢時代

全日本プロレス旗揚げ当時、選手が足りない(当時日本プロレスはまだ健在)こともあり、国際プロレスの協力を仰いだ。その後も、そう頻繁にではないが、1970年代末まで国際プロレスとは交流があった。
ライバルである新日本プロレスとの交流はほとんど行われず、わずかに「夢のオールスター」(東京スポーツ主催)があるだけだった。その後、新日本から離れた長州力ジャパンプロレスと提携して交流を持つも、ジャパンプロレス崩壊後は独立姿勢を打ち出す。その後、坂口征二が新日本の社長となったことから交流が復活し、1990年2月の新日本プロレス東京ドーム大会への選手派遣、「日米レスリングサミット」(全日本、新日本、WWF(現:WWE)共催)などの交流があったものの、天龍らの離脱と猪木の新日本復帰により、その後は途絶えた。
プロレス他団体時代を迎え、団体交流が盛んになってからも、全日本では団体交流を行わず、「鎖国」と呼ばれる独立姿勢を保つ。しかし、1990年代も末になるとメンバーが固定していることによるマンネリ化が著しく、ついに「門戸開放」と呼ばれる他団体交流策を打ち出す。ただし、これはあくまで「他団体の選手を全日本に招請する」方針であって、UWFインターナショナル以外の団体については、全日本のレスラーが他団体に上がることはほとんどなかった。また、全日本プロレスを脱退したレスラーの復帰は、馬場の方針で行われなかった。
三沢が社長になってからは、より積極的な団体交流を打ち出し、新日本の闘魂三銃士らとの対談がマスコミに掲載されるなどしたが、フロントとの対立であまり積極的な交流には至らなかった。

三沢離脱~武藤時代

プロレスリング・ノア勢離脱による選手の穴埋めを図るため、かつて全日本に在籍した天龍や旧WARの選手、インディペンデントのレスラーが一時的に参戦する。また、新日本プロレスとの対抗戦を打ち出すことになるが、これが現在の武藤体制の誘因となったのである。「KAIENTAI-DOJO」のTAKAみちのくも定期的に参戦しており、外国人軍団「RO&D」を引っ張っている。
プロレスリング・ノアと全日本プロレス間は、お互いの方針から交流がなかった。2004年7月には、タッグマッチではあるが、三沢光晴 vs 武藤敬司の試合が行われ、2004年10月の武藤敬司デビュー20周年記念興行では、三沢と武藤がタッグを組んだ。武藤の新日本プロレス脱退、全日本プロレスの社長就任でこの両者の対戦の可能性は絶望的と考えられていたため、注目された。
2005年には新日本プロレスの提案により、全日本の3冠ヘビー・新日本のIWGPそれぞれのベルトを賭けた、史上初のWタイトルマッチが行われた。しかし、現在では新日本との交流は行われていない。

タイトルホルダー


全日本プロレスが管轄する王座と保持者(2005年12月10日現在)

※世界タッグが行われていないのはベルトの片方をケンドー・カシンが持ち逃げしてしまい、そのカシンを相手に民事裁判を起こしているため。もう片方のベルトを所持していた永田裕志は剥奪後全日本にベルトを返却している。東京スポーツによると2006年4月末に和解、ベルトは返却されたと言われているが公式での発表はない。

現在の所属&参戦選手


正規軍 健介ファミリー RO&D VOODOO-MURDERS 東京愚連隊 武藤部屋
  • 曙太郎(チーム・ヨコヅナ所属) ※出稽古中
その他 他団体&フリー参戦選手

レフェリー

リング・アナウンサー 練習生

過去の主な所属選手


故人 引退(他団体で復帰した選手を除く) 他団体移籍 フリー それ以外はFMWSWSプロレスリング・ノアを参照。

主な歴代来日選手(全日本マット初来日順)


マット・スポンサー


関連項目


外部リンク


全日本プロレス 公式ホームページ

プロレス団体 | 全日本プロレス | All Japan Pro Wrestling

 

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