国宝極楽山浄土寺-芭蕉句碑.jpgの極楽山浄土寺と芭蕉句碑]]
俳句(はいく)は 和歌、俳諧など日本の詩歌の伝統をひきついで成立した日本独特の短い詩である。 五七五の音数による言葉の調べ(韻律)と「季語」と「切れ」によって、短い詩でありながら心のなかの場景(心象)を大きくひろげることができる特徴を持っている。 もともとは俳諧の発句からはじまり、江戸末期の月並俳句を批判した正岡子規の俳句近代化以後は、発句が俳句として自立した。無季、自由律俳句も含まれるが、それを俳句と認めない立場も存在する。
俳句評論家の山本健吉はエッセイ「挨拶と滑稽」のなかで、俳句の本質として3ヶ条をあげている。これが有名な 「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」である。
同様に俳句とはという答えは多数存在する。
俳句とは「花鳥諷詠」であるとする高浜虚子。
「東洋の真珠」という日野草城。
「人間だよ」といった古沢太穂など。
(出典:安藤次男・飯田竜太編「俳句の本・俳諧と俳句」筑摩書房、村山古郷・山下一海編「俳句用語の基礎知識」角川選書、「証言・昭和の俳句」角川書店)
川柳も同じく、俳諧に起源を持つ五・七・五の定形詩だが、発句が独立した俳句と違い、平句が独立した川柳の方は、季語を必要とせず、「切れ」がなく(一句一姿)、自分の思いをストレートに言い切り、余韻を残さない(穿ち)という俳句とは対極的な性質を持っている。
例えば
は8・7・5で、上5が8の字余りである。 そのほか、字足らず、句またがりなど、5・7・5定型に収まらない作品もある。 さらに、俳句は定型詩ではないとして一句一律を唱える自由律俳句も存在する。
和歌の時代からの伝統であろうが、字余りがゆるされるのは、母音ないし撥音が含まれる場合が多い。それは、母音および撥音が音の一単位としては少々短いためと思われる。例えば、本位を「ほい」と表記する伝統は撥音が一音としては不足していることを表すだろうし、ア行で活用する動詞が「得(う)」一語なのも、母音だけでは語としてなにがしかの不足感をその当時の人々が感じていたからではなかろうか。
「俳句に季語はあってもなくてもいいのでしょうか。そうではありません。はっきりいって季語はあったほうがいいのです。 俳句にとって「季語」は大きな役割を果たします。季語は象徴となるイメージを与えてくれるのです。これを連想力といってもいいでしょう。また時間と空間を大きく広げる役割があるのです。」(松田ひろむ『入門詠んで楽しむ俳句16週間』新星出版社))
有季絶対派は「俳諧の発句はその場に対する挨拶の意味を濃厚に含んでいたからである」とするが、現代の俳句は「俳諧の発句」とは異なるものとして発展してきているので、俳諧の発句という説は説得力を持っていない。
季語が季節の情感を表現していたかといえば、談林の俳諧などではかえって季語を季感と切り離すことで、笑いを生みだすものとしていた部分もあった。
もともと季語・季題という言葉は江戸時代にはなかった。芭蕉の言葉にも「季節の一つも探り出したらんは、後世によき賜と也。」(去来抄)とあり、この「季節」とは季語・季題のこと。その他芭蕉はすべて「季」(季の詞)といっている。
大胆に要約すれば、季の題を詠むとする立場が「季題」、それでは季題趣味に陥るとするのが「季語」派である。
たとえば有名な芭蕉の句
では、「古池や」の後で、一呼吸、句の流れが切れている。読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や、作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっている。このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、言葉に形と質感を与える効果を持つ。さらに、季語とあいまって句に余韻をかもしだす。
現代の俳句でも「切れ」は重要なテクニックの一つであり、「切れ」のない句は俳句としては評価されない。
「切れ字を入れるのは句を切るためである。しかし切れている句というのは切れ字によって切る必要はない。いまだに句が切れている、いないが、わからない初心者のために、あらかじめ切れ字の数を定めているのである。この定め字を入れれば十のうち七八の句は自然に切れる。しかし残りの二三は切れ字を入れても切れないダメ句である、また入れなくても切れるいい句もある。そういう意味では四十七文字すべてが切れ字となりうる」
つまり芭蕉の言いたいことは、切れは句の内容の問題で、切れ字があるなしの問題ではないということである。
切れ字がないのに、切れている例としては、たとえば
がある。「旅に病んで」の後で切れている。
例としては
が挙げられる。ここには浅間山に登る芭蕉の感想などは、一切、述べられていない。しかし、浅間山に吹く野分の凄さを「石まで吹き飛ばす」と表現することで、読者は、荒涼とした風景とともに、こういう表現を選ぶ芭蕉という人物の面白さをも、かえって十分に感じることができるのである。
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