丹後国(たんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の京都府北部にあたる。北丹と呼ぶこともある。
和銅6年 (713年) 4月3日に、丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡(後の中郡)、竹野郡、熊野郡の五郡を割いて、丹後国を置いた。
中世には足利氏の一族である一色氏が入封、一時期を除いて室町時代を通じて丹後一国を支配した。ただ、その支配体系は不明である。恐らく、九州探題も務めたことのある一色氏自体は在京し、地元豪族を守護代として支配をしたのであろう。戦国時代が始まる1498年には守護の一色義秀が地元豪族に攻められて自殺していることから、強力な施政はできなかったようにも思われる。それでも一色氏の命脈は戦国期を通じて永らえたが、1579年7月に一色氏が細川幽斎に降伏して以来、細川氏が丹後を支配した。
延喜式神名帳には大社7座6社・小社58座58社の計65座64社が記載されている。大社6社は以下の通りで、竹野神社以外は名神大社に列している。
一宮は籠神社である。二宮以下と総社は不詳であるが、籠神社が総社を兼ねていたとする説もある。