世界恐慌(せかいきょうこう)とは、1929年10月24日木曜日のニューヨーク株式市場(ウォール街)の株価大暴落に端を発した世界規模の恐慌である。大恐慌、世界大恐慌ともいう。
過剰生産により米国工業セクターの設備投資縮小が始まったのが、大きな要因であり、世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では、10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし、1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。
こうした中、修正資本主義に基いたニューディール政策を掲げて当選した民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は、公約通りテネシー川流域開発公社を設立、更に農業調整法や全国産業復興法を制定し、更にラテンアメリカとの外交方針を以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。ただ、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、1930年代後半には再び危機的な状況となった。このため、同政策にどれほど効果があったかについては、今日でも賛否両論がある。
アメリカ経済の本格的な回復は、その後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
アメリカ企業も次々と撤退、少しずつ復興しかけていた経済は一気にどん底に突き落とされた。結果、大量の失業者が街に溢れ国内経済は破綻状態となる。
その中でファシズムと共産主義が台頭、失望した人々の期待を受けて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が大躍進を遂げ、1933年、ヒンデンブルク大統領の下で国家社会主義ドイツ労働者党党首のヒトラー内閣が成立。ドイツ国会議事堂放火事件で共産党を弾圧し、全権委任法を成立させる。翌年、大統領の死去と共にヒトラーは総統に就任、第三帝国が成立した。
ヒトラーは、「約束と実行」に基づき軍拡と公共事業の拡大(アウトバーンの建設等)を実施。また、民間の重工業化を支援した。これにより失業者は劇的に減少し、経済的な回復は達成された。
その後、ヴェルサイユ条約、ロカルノ条約を相次いで破棄、ラインラントに軍隊を進駐させる。
この間「満州は日本の生命線である」と言った言葉の通り、日本は大陸進出へと進んでいくことになる。ドイツやイタリアのようにファシズムを唱える政党の躍進はなかったものの、軍部の発言力は強まり、政府を無視して満州事変を引き起こし、さらに五・一五事件で政党政治の幕引きをし、ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約の破棄、二・二六事件、日独伊防共協定の締結、そして日中戦争という経緯で十五年戦争に突入する。
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