三河国 (みかわのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の愛知県の東部にあたる。三の大字を用いて参河国とも表記する。三州または参州 (さんしゅう) と呼ぶこともある。
一般に、7世紀に穂国造が治めたと言われる穂国と三河国造が治めた三河国の領域を合わせて成立したと考えられている(成立については諸説有る)。領域は、現在の愛知県東部のうち豊田市の旧旭町の一部を欠く。これは、国の廃止後に県境を越えた市町村の境界変更がなされたことが原因で、元は美濃国だった地域が愛知県に編入されたものである。
国府は2説があり、時代による移動があったという説もある。一つは、豊川市白鳥町上郷中・下郷中付近説で、総社があることや「おとど(大臣)」の地名から推定された。平成3年から9年度にかけて総社周辺の発掘調査が行われ、建物跡が確認された。政庁の可能性が高い。もう一つは、豊川市国府町中道付近説で、守公神社付近が政庁跡とする説がある。
守護所は、鎌倉初期は国府周辺にあったと思われ、承久の乱以後は現在の岡崎市明大寺付近か同市八帖町付近にあったと考えられる。
延喜式神名帳には26座25社が記載されており、全て小社である。
一宮は豊川市(旧:宝飯郡一宮町域)の砥鹿神社で、1264年の史料に「一宮領内麻宇田村」とある。二宮は知立市の知立神社であるが、知立神社が二宮とする中世史料は見つかっていない。三宮は豊田市猿投町の猿投神社であるが、初見は1662年の史料で中世史料にはそれを示すものは見つかっていない。四宮以下はない。
総社は豊川市白鳥町上郷中にある「総社」。別名を白鳥神社上宮ともいう。
国分僧寺は、豊川市八幡町本郷にあった。昭和60年から63年の発掘調査で金堂、講堂、塔跡などが確認された。現在は跡地に永正年間創建の国府山国分寺があり、古代の国分寺の銅鐘(梵鐘)を伝える。尼寺は同じく豊川市八幡町忍池にあった。発掘調査で遺構が確認されている。現在跡地に祇園山清光寺が建っている。