三国志(さんごくし)は、中国の西晋代の人陳寿(233年-297年)により西暦280年~290年頃に編纂された紀伝体の歴史書。後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの三国時代についてほぼ同時代の人物によって書かれた重要な史料。個人の撰ではあるが、三国時代の歴史を扱う歴史書としては唯一、二十四史の一つに数えられた。
「魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成る紀伝体である。この他、陳寿の自序(序文)が付されていたといわれるが、現存しない。また、伝記部分しかなく、表(年表)や志(天文・礼楽などの記録)が存在しない。
『魏書』東夷伝には「魏志倭人伝」と通称される部分があり、そこに邪馬台国の記述が見られる。魏のみに本紀を設けているように、三国のうち魏を正統としている。しかし、魏を正統とする類書は『魏書』など魏単独の表題とし、蜀漢や呉は独立した扱いを受けていない。また、南北朝時代、中国の南半分しか支配していない東晋を扱った正史『晉書』も、北朝の諸国家はすべて「載記」(地方の覇者の伝記)として扱い、やはり独立した扱いを受けていない。逆に、北朝の北魏を正統とした『魏書』では、南朝の東晋や宋などの皇帝の伝記が、やはり列伝に入れられ、独立した扱いを受けていない。
三国の記述を独立させ、合わせて『三国志』としたところに本書の特徴がある。また、三国がそれぞれ『魏国志』『蜀国志』『呉国志』として、独立した書物としても扱われていたという。
なお、『蜀書』の末尾には楊戯の『季漢輔臣賛』を付している。季漢とは末っ子の漢という意味で、蜀漢を指す。蜀漢の優れた人物(例外あり)を称えたもので、本文の補足として使われている。また、それだけではなく、『季漢輔臣賛』収録には、蜀漢の遺臣である陳寿の故国顕彰の気持ちが現れているという。
現存している写本は、5世紀に裴松之(はいしょうし)により校訂・注釈を施されたもので、紹興本と紹煕本がある。紹興本は、南宋の紹興年間(1131年~1162年)に筆写されたもので、紹煕本は、紹煕年間(1190年~1194年)に筆写されたものをいう。
陳寿は三国志を記述するにあたり、民間伝承など正統でない史料を排除したために、三国志は非常に簡潔な内容になっていた(一説には、史料の少ない蜀漢が見劣りするので全体の量を削ったという論者もある)。そこで、南北朝時代の宋の文帝は裴松之に注を作ることを命じ、裴松之は作成した注を、元嘉六年(西暦429年)上表と共に提出した。裴松之の注の特徴は、訓詁の注といわれる言葉の意味や読み、典故などを説明する注は少なく、陳寿の触れなかった異説や詳細な事実関係を収録した点である。陳寿の『三国志』完成後のできごとも補われている(たとえば、曹奐の伝記である「陳留王紀」は、執筆時に曹奐が存命中だったので晋に禅譲したところで記事が終わっている。裴松之の注では、曹奐の没年と諡が補われている)。すでに失われた書物からの引用も多く、貴重な史料である。また、話としては面白いが、信憑性に欠ける逸話も数多く収録されており、講談の題材にも取り入れられていった。
なお、後世において同書は様々な批判に晒されることとなった。例えば、正史である『晋書』に書かれた「陳寿が個人的な思惑で記事を歪曲して書いたのでは?」とされるものである。これは他の史料と比較すれば殆ど根拠のないものばかりである。更に後世には朱子学の「蜀漢正統論」の影響で魏を正統王朝とした陳寿の執筆を「逆賊を称えている」と非難する者が現れた。これも、当時中国を統治していた西晋が魏から禅譲を受けた王朝であるという事実を無視したもので、朱子学に批判的な儒学者からは反論する意見が出されている。更に「断代史(王朝ごとの歴史書)形式なのに、『後漢書』に載せられている人物との重複(袁紹・荀彧ら)が多く、また王朝建国前に死亡した人物を掲載しているのはおかしい」という意見もある。これは断代史の定義からすれば一理はあるが、この定義を杓子定規に用いた場合には王朝建国の過程や政権中枢で建国に携わった重要人物(魏の郭嘉・夏侯淵、蜀の関羽・龐統、呉の周瑜・魯粛など、彼らは新王朝にとっては建国の功臣であるが、後漢王朝に対して功績を挙げたわけでないため『後漢書』に載せる事も出来ない)を省くことになってしまい、これでは却って紀伝体としての体裁を損なってしまう(そもそも現存の『後漢書』は『三国志』より後世に編纂されたものであり、重複に関して陳寿が責められる言われは無い。重複した人物はほとんどが後漢にとっても重要人物であるが、荀彧だけは范曄の判断で、曹操の簒奪に反対した漢の忠臣であると評価して『後漢書』に伝が載せられたものである)。
なお、南宋の蕭常と元の郝経がそれぞれ『三国志』に代わる歴史書として蜀漢正統論に基づいた同名の『続後漢書』を編纂したが、いずれも正史とはなり得なかった(ただし、郝経の『続後漢書』には『三国志』では書かれなかった志が書かれており、その点に関しては評価されている)。
余談であるが、劉備・曹操・孫権・諸葛亮の子孫らが集まった村が中国各所に点在し、中国の観光名所となっている。だが、1800年も昔の人物なので本当の彼らが子孫であるかどうかは不明である。
後にこのような講談などから発展して作られた通俗小説である『三国演義(三国志通俗演義)』が日本では「三国志」として流通し、また作家吉川英治が演義を元にして著した小説『三国志』があまりにも有名になったため、日本の三国志愛好家の間では、三国演義やそれにもとづいた文学作品を『三国志』あるいは『演義』、歴史書の方を『正史(あるいは正史三国志)』(ただし、正史とは王朝が正式に認定した歴史書の事で、三国志だけを指している訳ではなく、史記や漢書なども正史と呼ばれる)と呼び分けることがある。この経緯についての詳細は、三国志の記事を参照されたい。
ただし、本来、『三国志』と呼ばれるのは陳寿による『三国志』であり、『三国演義(三国志通俗演義)』(日本では三国志演義と呼ばれるが中国では三国演義(三国志通俗演義)と呼ばれる)を三国志と呼ぶのは誤用である。
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"三国志 (歴史書)".
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