三井住友銀行(みついすみともぎんこう、Sumitomo Mitsui Banking Corporation 略称:SMBC)は、3大メガバンクのひとつ三井住友フィナンシャルグループの傘下の都市銀行。
概要
2001年4月1日に
住友銀行と
三井グループの
さくら銀行が合併して発足した。発足当時、かつての日本三大
財閥の枠を越えたことで話題となった。
コーポレートカラーは「若草色」。
住友グループ・三井グループの両方に属しているが、商法上の存続会社(合併当時)が住友銀行と言うこともあり(それゆえ統一金融機関コードも旧住友の0009)、住友色が強い。
2003年3月17日に同じく三井住友フィナンシャルグループ傘下(正確には旧三井住友銀行の完全子会社だったが、合併直前の株式交換によりSMFGの完全子会社となる)の第二地方銀行であったわかしお銀行と合併。合併差益を活用して有価証券の含み損を解消するため、法手続き上の存続会社はわかしお銀行とされた(逆さ合併)。このため、形の上では「第二地方銀行であったわかしお銀行(旧さくら系)が、都市銀行であった三井住友銀行を吸収合併し、名称を変更して発足した都市銀行」である。
太陽神戸銀行(旧神戸銀行)の流れを受け、兵庫県及び神戸市の指定金融機関であり、住友銀行の流れを受け、箕面市の指定金融機関として住之江競艇場の売り上げの管理を一手に引き受けている。また、大阪市の指定金融機関(りそな銀行、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行との輪番制)である。
本店は東京都千代田区の旧さくら銀行東京営業部(旧三井銀行本店)に置かれている。なお、合併前の旧住友銀行本店は合併時に大阪本店営業部と改称され、同東京営業部は現在も東京営業部である。旧さくら銀行本店(東京)は合併時に九段営業部と改称し、その後、現本店に統合された(この旧さくら銀行本店ビルは、現在あおぞら銀行の本店となっている)。このほか、神戸営業部は旧太陽神戸銀行本店(旧太陽神戸では実質的な本店機能が神戸と東京=旧太陽神戸銀行東京営業部→旧さくら銀行東京中央支店→東京中央支店=に分割されていたので「神戸本店」と称されることもあった)を経て旧さくら銀行神戸営業部、千代田営業部は旧わかしお銀行本店である。
4大銀行の中ではもっとも営業経費が少ないため、利益率・収益力の高い銀行である。その反面多額の不良債権を抱えており、2004年度の決算では赤字に転落するなど、苦しい経営が続いている。この責任を取る形で住友銀行時代からSMBC、SMFGを率いてきた西川善文頭取が辞任した。
親会社の三井住友フィナンシャルグループはUFJホールディングスとの経営統合を目指していたが、三菱東京フィナンシャルグループとの争いに破れ頓挫。旧住友銀行時代から親密だった大和証券グループ本社との経営統合検討も報じられたが、これも事実上立ち消えの形となっている(2006年1月時点)。
大阪を代表する有名企業である松下電器産業と大和ハウス工業は、ともに旧住友銀行をメーンバンクとし、現在でも三社は親密な関係を続けている。実現はしなかったものの、松下傘下で経営再建中だった松下興産(現在のMID都市開発)の大和ハウス工業への譲渡話もこの縁に由来する。
ATMでの取扱
ATM(
アットバンク(三井住友銀行管理機のみ)を含む。
E-net・ローソンATMを除く)では、
関西アーバン銀行・
みなと銀行・
三重銀行・
大阪府警察信用組合のカードは自行扱いとなる。
給料日が集中する毎月25日とその翌日の26日(25日が銀行窓口休業日の場合は前営業日、26日が銀行窓口休業日の場合は翌営業日)には、三井住友銀行のすべてのキャッシュカードでATM時間外手数料が無料となる(自行ATMおよび三井住友銀行管理のアットバンクのみ)。
アットバンク・セブン銀行のATMではICキャッシュカードに対応している。アットバンクではさらに生体認証に対応している機種もある。
勘定系システムとATMベンダ
基幹システムは旧住友銀行のシステム(
日本電気(
NEC))がベースとなっているが、通帳関係は、旧さくら銀行の形式(取引欄に店番号が印字されないタイプ)に合わせられたため、旧住友銀行の通帳が使用できないATMがある(主に旧さくら銀行の店舗)。そのため、ATMコーナーの注意書きで切り替えを呼びかけている。
旧さくら銀行は同じ三井グループである東芝製のATMを使用していた唯一の銀行(旧三井銀行の店舗)でもあった。旧三井銀行では富士通製もあったが、さくら銀行となった1992年以降姿を消した。東芝は1999年にATM事業を沖電気工業に売却したが、売却相手が沖電気になったことには旧さくら銀行が旧太陽神戸銀行の店舗で沖電気製のATMを使用していたことも関係している。なお、東芝製ATMは三井住友銀行発足後急速に姿を消している。
旧住友銀行はNCRやオムロンを主力としていたが、現在では沖電気工業のATMが多く見られる。繰越は原則ATMで出来るが、繰越機能のない記帳機を設置している支店も見られる。このベンダはATMJである。
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沿革
- 1876年(明治9年) - 三井銀行、個人経営として創業。
- 1893年(明治26年) - 三井銀行、合名会社に改組。
- 1895年(明治28年) - 住友銀行、個人経営として創業。
- 1909年(明治42年) - 三井銀行、株式会社に改組。
- 1912年(明治45年) - 住友銀行、株式会社に改組。
- 1936年(昭和11年) - 神戸岡崎銀行、第五十六銀行、西宮銀行、灘商業銀行、姫路銀行、高砂銀行の6銀行が合併し神戸銀行となる。同時に第三十八銀行姫路支店の業務を継承。
- 1940年(昭和15年) - 大日本無尽(太陽銀行の前身)設立。
- 1943年(昭和18年) - 三井銀行と第一銀行が合併し帝国銀行となる。
- 1944年(昭和19年) - 帝国銀行が十五銀行を合併する。
- 1945年(昭和20年) - 住友銀行が阪南銀行、池田実業銀行を合併する。
- 1948年(昭和23年) - 大日本無尽が日本無尽に改称する。
- 1948年(昭和23年) - 帝国銀行が(新)帝国銀行と第一銀行(現みずほ銀行)に分割される。
- 1948年(昭和23年) - 住友銀行が大阪銀行に改称する。
- 1951年(昭和26年) - 日本無尽が相互銀行業の免許を受け日本相互銀行に改称。
- 1952年(昭和27年) - 大阪銀行が住友銀行に改称する。
- 1954年(昭和29年) - (新)帝国銀行が三井銀行に改称する。
- 1965年(昭和40年) - 住友銀行が河内銀行を合併する。
- 1968年(昭和43年) - 三井銀行が東都銀行を合併する。
- 1968年(昭和43年) - 日本相互銀行が普通銀行(都市銀行)に転換し、太陽銀行に改称。
- 1973年(昭和48年) - 神戸銀行と太陽銀行が合併し太陽神戸銀行(存続会社は神戸銀行)となる。
- 1986年(昭和61年) - 住友銀行が平和相互銀行を合併する。
- 1990年(平成2年) - 三井銀行と太陽神戸銀行が合併し太陽神戸三井銀行(存続会社は三井銀行)となる。
- 1992年(平成4年) - 太陽神戸三井銀行がさくら銀行に改称する。
- 1996年(平成8年)6月6日 - わかしお銀行設立。(第一相互銀行から普銀転換し、後に経営破綻した第二地方銀行である太平洋銀行から営業譲受を目的とした受け皿銀行)
- 2001年(平成13年)4月1日 - 住友銀行とさくら銀行が合併し、三井住友銀行にとなる。
- 2001年(平成13年)6月 - 子会社だったさくら信託銀行の全株式を中央三井信託銀行に売却(現・三井アセット信託銀行)。
- 2002年(平成14年)12月2日 - 三井住友銀行が株式移転により三井住友フィナンシャルグループを設立し、その完全子会社となる。
- 2003年(平成15年)3月17日 - 三井住友銀行とわかしお銀行が合併。わかしお銀行が存続会社となり、三井住友銀行に改称。
母体行
- 財閥銀行
- 三井銀行は越後屋・三井八郎右衛門高利が興した越後屋三井両替店がその起源であり、三井住友銀行側も同店を自らのルーツとして位置付けている。(詳しくは三井銀行の項を参照の事。)
- 住友銀行は泉屋・住友吉左衛門友信が江戸寛文年間に興した泉屋両替店がその起源といえるが、同店は1684年(貞享元年)為替不達事件を起こし、江戸両替店が一時閉鎖の憂き目に遭う。その後再興するが1869年(明治2年)までに一度両替商を閉鎖。1875年(明治5年)に金融事業は並合業(自己資金による物品抵当の金融事業)として再開したが、1895年(明治28年)5月、広島県尾道で行われた住友家の重役会議で本格的な銀行業への進出が決定。11月1日住友本店銀行部として住友銀行が開業。住友財閥の中枢として機能した。戦後、財閥商標の使用が禁じられ、本店所在地から大阪銀行(1948年-1952年)と改称していた時期がある。
- 地方銀行
- 神戸銀行は1936年(昭和11年)政府の「一県一行主義」の方針に従って統合・成立した銀行。その中核となったのは岡崎藤吉が1917年(大正6年)5月8日に開業した神戸岡崎銀行である。同行を中枢とする岡崎財閥は岡崎汽船や朝日海上火災保険(現・ニッセイ同和損害保険)等全国的な事業展開をしていたため、合併成立後の神戸銀行も都市銀行とみなされた。したがって、大阪、名古屋、東京にも幾つかの店舗が存在したが、店舗網の大半は兵庫県下に存在していた。なお、戦時統合で神戸貯蓄銀行と神戸信託を合併。後者はのちに東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)の設立に際し、その事業を譲渡。その後も日本クレジットビューロー(現・JCB)やオリエント・リース(現・オリックス)の設立に出資するなど、どちらかといえば三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に近い存在であり、むしろ住友銀行とは阪神相互銀行(神戸銀行系)と兵庫相互銀行(住友銀行系)の競合もあり、ライバル関係にあった。
- 河内銀行は1952年(昭和27年)設立の戦後地銀。東大阪市を中心とした大阪府東部の商工業向け金融機関であった。
- 東都銀行は1900年(明治33年)高田農商銀行として東京府豊多摩郡高田村(現在の東京都豊島区)で開業。長らく本店1店舗のみの銀行として存在し、国土計画興業(現在のプリンスホテル)の堤康次郎が経営していた。戦後の1951年に華僑資本の導入を目指して亜東銀行と改称するが頓挫。翌1952年(昭和27年)、鮎川義介の手により中小企業復興のための銀行・中小企業助成銀行として再出発した。1958年(昭和33年)東都銀行と改称。以降東京の地銀として存在していた。
- 相互銀行
- 太陽銀行は1940年(昭和15年)、川崎財閥の相生無尽を中心として東京市内の無尽会社5社が合併し、成立した大日本無尽が起源。その後同社は政府の勧奨に基づき相互無尽1社を除く東京府内の無尽会社を統合。終戦までに神奈川県・埼玉県・山梨県および長野県下の無尽会社を統合した。戦後、日本無尽と改称。相互銀行法の制定により相互銀行に転換。日本相互銀行と改称した。この時点で相銀界のリーディングカンパニーとなり、ときわ相互銀行(現在の東日本銀行)や第一相互銀行が経営危機に陥った際には、率先してこれを支援した。太陽生命保険と提携して業績を拡大。やがて高度経済成長で中小企業だった取引先と共に日本相銀も急成長し、その一方で相銀特有の零細融資である相互掛金の取扱高は減少する事態となり、大蔵省から河野社長を迎えた頃はもはや地銀上位行を凌ぐ内容となっていた。こうして1968年(昭和43年)普通銀行に転換し、太陽銀行と改称。同時に都市銀行の一角に加わった。
- 平和相互銀行は戦前は東北林業という名の会社であったが、終戦直後看做無尽の日掛金融を営業して急成長し、相互銀行法の制定で相互銀行に転換。平和相互銀行となった。駅前から住宅地まで首都圏随一の店舗網、夜7時までの窓口営業、都銀各行と提携しATMではどの銀行のキャッシュカードでも使用可能とする等、当時最も便利な銀行であった。しかし、創業以来小宮山英蔵ならびに小宮山一族がオーナーとして君臨し、グループ会社の太平洋クラブ等に対する不明瞭な融資や、放漫かつ乱脈融資で知られ、「闇の紳士の貯金箱」とも揶揄された。1986年に遂に破綻し、住友銀行に救済合併された。その後「住友残酷物語」と呼ばれる旧平和相互銀行行員の大粛清が行われ、合併から半年でほぼ全行員がいなくなったことは有名。旧平和相互銀行本店は1990年代まで「第二東京営業部」として存置され、同行の店舗は店番が800・900番台として区別されていた。
- わかしお銀行は戦前相互無尽という名の無尽会社として東京・神田神保町で開業。大日本無尽への統合にも加わらず独立を守り、戦後第一相互銀行に転換後経営危機を迎え、日本相銀の支援を受けるも再建後は富士銀行に接近して救済合併を免れた。しかし1989年(平成元年)、当時の小林社長による乱脈経営で行き詰まり、太陽神戸銀行ほか都銀数行による管理体制に入る。同年10月第二地銀に転換し、太平洋銀行となるもバブル崩壊による経営危機で遂に破綻。受け皿銀行としてさくら銀行全額出資のわかしお銀行が設立された。以降、太平洋銀行を承継した同行は東京の第二地銀として中小企業金融を中心に営業していた。逆さ合併後は三井住友銀行コミュニティバンキング本部(千代田営業部及びその系列店)となり、従来同様中小企業と個人ローンに特化した営業展開を行っていた。しかし、2005年4月1日でコミュニティバンキング本部が廃止となり、逆さ合併によって生じた重複店の統合を進めることになった。
なお、千代田営業部旧館の建物は関東大震災時の震災復興建築として知られている。
商品の合理化
2006年3月13日より
貯蓄預金と
通知預金の新規口座開設を停止することになった(One'sダイレクトでの開設については、2006年4月17日で停止)。貯蓄預金については、都市銀行では
りそな銀行・
埼玉りそな銀行に次ぐ。
関連会社
三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業
ほか多数
関連項目
外部リンク
都市銀行 | 住友グループ | 三井グループ | 三井住友フィナンシャルグループ | 東京都の金融機関
Sumitomo Mitsui Banking Corporation