マンスール(アラビア語: ابو جعفر عبد اﷲ ابن محمد المنصور Abū Jaʻfar ʻAbd Allāh ibn Muḥammad al-Manṣūr、712年 - 775年)は、アッバース朝の第2代カリフ(在位: 754年 - 775年)。預言者ムハンマドの叔父アッバースの曾孫ムハンマドと、ベルベル人女奴隷の間の子。アッバース朝初代カリフであるアブー・アル=アッバース(サッファーフ)の兄。即位前はジャーファルの父を意味するクンヤ名、アブー・ジャーファルを名乗っていたが、カリフ位に就いたときに「勝利者」を意味するラカブ名、マンスールを名乗った。従って、フルネームの意味は「ジャーファルの父・アッラーフの僕・ムハンマドの息子・勝利者」となる。
即位前は、弟と共にウマイヤ朝を滅ぼすのに功績を挙げた。754年、弟が死ぬと叔父や創業時に功績を挙げた功臣を殺害して第2代カリフとして即位する。このため、王朝内部でマンスールに対して不満を持つ一派が各地で反乱を起こしたが、それらを全て鎮圧して王朝の支配を磐石なものとした。その後は新都を建設して「マディーナ・アッ=サラーム」(平安の都の意。現在のバグダードにあたる)と名づけた。さらに天文学を導入して文化面において大いに発展を尽くした。国制においてはサーサーン朝の制度を導入して国内統治を整備。対外的には756年に中国の唐に使者を送って友好関係を結んだ。
775年、メッカへ巡礼に向かう途中で病死した。後をマフディーが継いだ。
アッバース朝の基礎を固めた人物であり、第5代カリフで王朝の全盛期を築き上げたハールーン・アッ=ラシードと並ぶ名君と称されている。
أبو جعفر المنصور | Abū Dschaʿfar ʿAbd Allāh ibn Muhammad ibn ʿAlī al-Mansūr | Al-Mansur | Al-Mansur | Al-Mansur (Abbasside) | Al-Mansur | Al-Mansur | Al-Mansur