| マッシュルーム Agaricus bisporus | ||||||||||||||
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| 分類 | ||||||||||||||
| 界: | 菌界 Fungi |
| 門: | 担子菌門 Basidiomycota |
| 綱: | 菌じん綱 Hymenomycetes |
| 目: | ハラタケ目 Agaricales |
| 科: | ハラタケ科 Agaricaceae |
| 属: | ハラタケ属 Agaricus |
| 種: | マッシュルーム bisporus |
A. bisporusはハラタケA. campestris L. : Fr.を栽培下で選抜することによって成立したと考えられる。ヨーロッパで古代ギリシア、古代ローマの時代から馬厩肥などに自然発生していたものを利用していたものが、17世紀頃にフランスなどで人工栽培が行われるようになったと言われている。収穫期である直径2〜4cm程度の幼菌のときは、野生のハラタケよりも分厚い肉質の半球形の傘をもつ。表面は品種によって白色や褐色などを呈するが、傷つくと赤褐色の変色が生じる。成熟すると傘は平らに開き、大きなものでは20cmにも達する。このとき、柄の長さも15cmに達する。ひだは幼菌のときは薄膜で覆われており、日本ではこの膜が破れる前の、欧米では破れた直後程度の熟度で収穫する。成熟し、胞子をつけたひだは、淡紅色から紫褐色を呈する。
野生種のハラタケは担子器に4つの担子胞子をつけるが、栽培種のマッシュルームは2つしかつけないことが多い。これが種小名の bisporus (2つの胞子)の由来である。担子器の内部では二次菌糸内の性の異なる核が融合してから減数分裂を起こして4つの核が生じるが、ほとんどの場合、性の異なる核がペアになって新しくできた2つの胞子の中に移行する。そのため、この2核の胞子が発芽すると、一次菌糸を経ずに直接二次菌糸が発生する。これより頻度は低いものの、同じ性の核がペアになって胞子内部に移行する場合、2核の胞子1個と同時に単核の胞子2個、合計3個の胞子が形成される場合、単核の胞子が4つ形成される場合もある。同性の核がペアになった2核の胞子や単核の胞子からは一次菌糸が発生するので、これが品種改良時、交配に用いられる。しかし人工培養下で胞子の発芽は非常に低頻度であることが知られているので、酪酸などの有機酸処理や成長菌糸の刺激によって胞子の発芽を促す方法が開発された。また、マッシュルームの二次菌糸はクランプコネクションを作らないため、一次菌糸との識別が困難である。そのため最近は、単核胞子を発芽させて一次菌糸を探すよりも、二次菌糸のプロトプラスト化によって単核の一次菌糸をつくり出し、これによって交配を行うことが多くなっている。
次に試みられたのが、優良な菌の選抜と移植であった。畑に新しい厩肥を盛り上げて畝を作り、菌糸の蔓延した前回の栽培時の厩肥をそこに移植して土を被せる畝床法(ridge bed system)が行われるようになったのである。
やがて18世紀になると、この畝床の上に小屋掛けしたり、温室内に畝床を作ったりするようになって、屋内栽培に移行していったが、屋外の畝床法もイギリスなどでは今日まで残存している。フランスではパリ郊外の鍾乳洞の中に畝床を作ることで大規模栽培が行われるようになった。堆厩肥の発酵技術の基本形も確立し、保存可能なように菌糸の蔓延した堆肥を乾燥させた種菌(片状種菌)も開発された。A. bisporus が選抜によって成立したのもこのころである。
19世紀初頭になると、フランスで開発された栽培技術がドイツ、オランダ、イギリスといった西ヨーロッパ諸国に、さらには移民によってアメリカ合衆国にも伝播し、さらにイギリスでは取扱いに便利なレンガ状種菌が開発された。これは堆厩肥と土を混合し、ここにマッシュルームの菌糸を繁殖させたものである。19世紀中ごろになると、土を被せた堆厩肥を空調を施した栽培舎内で立体的に設置した棚に載せる棚式(shelf bed system)が開発され、アメリカやフランスで採用された。この棚式はアメリカで著しく発展し、19世紀末にはフランスは世界最大の生産国から転落し、アメリカがとって替わることになった。それまで個別の栽培者が秘密主義の中で試行錯誤を繰り返していたのが、このころから、公開された科学的研究の中で栽培技術の発展が図られるようになってきた。この潮流の中から菌糸の無菌純粋培養による種菌が誕生し、雑菌による病害虫の危険の低い安定した栽培が可能になった。
20世紀半ばになると、アメリカの棚式栽培は棚に設置する栽培床を箱の内部に造床して移動の機械化に適した形に改良した箱式(Tray system)栽培法に発展して、これが連鎖的に栽培工程全般の機械化を進行させた。こうして機械化し工業的発展を遂げた箱式マッシュルーム栽培法は、オランダを除くヨーロッパとオーストラリアで普及した。一方オランダは、棚式を維持したまま機械化した大量栽培法を発展させることとなった。こうした大資本を必要とする機械化した工業的栽培法が発展した一方、それほどの資本力を必要としない小規模栽培の効率化を図ったのが、デンマークで1959年に箱式の箱を袋に変えた形で誕生した袋式(bag system)の栽培法で、1970年代にヨーロッパ全体に普及すると共に、イタリアでさらなる効率的な改良が施された。
この時代のもう一つの特徴として、モータリゼーションによって馬厩肥の産量の減少が起こった。この状況を受けて、様々な植物性廃棄物を原材料としたマッシュルーム栽培用堆肥の研究が進み、発酵の原理やマッシュルームが必要とする堆肥環境の微生物生態学的解明が進んだ。これと共に、20世紀末から急速に進歩したバイオテクノロジーを背景にして、21世紀の今日、マッシュルーム栽培は先端産業の色合いを強く持った発展を遂げつつある。
戦前の日本では、陸軍の軍馬が馬厩肥の大供給源であったこともあり、陸軍の連隊所在地に隣接して、主要な栽培場が起業された。たとえば、近衛騎兵連隊、第一騎兵連隊、第十三〜第十六騎兵連隊などを擁する千葉県習志野には新井農場、村山農園、富永農場が、新潟県高田の歩兵連隊には高田洋菌栽培場が、馬厩肥の供給を依存して経営を行い、主としてホテルや高級レストラン向けに、日本全体で約280tの生産があったと言われている。
戦後の日本では、陸軍の解体により栽培用厩肥の供給源は農家の耕作馬や競馬場の競走馬に移行した。また同時に、馬厩肥に依存しない人工の堆肥を用いた栽培も普及していった。この時期のマッシュルーム栽培場は、アメリカの缶詰市場を主な対象として、昭和49年には生産量15,300tに達するまでの大発展を遂げたが、日本のマッシュルーム生産技術が戦後移転された台湾や大韓民国で、昭和40年代後半になって欧米向け輸出用生産が盛んになると、日本での栽培は衰退した。今日では、国内生鮮市場向け栽培にシフトして、2,000t代後半程度の生産が行われている。これは生シイタケの国内生産の約30分の1の量に過ぎず、日本人の食生活に占めるマッシュルームの位置を物語っている。さらに現在では、台湾と韓国の欧米向けの生産も、中国の安い労働力にその座を追われている。
藁などの植物質を使って合成堆肥を作る場合、主原料に対して尿素、硫酸アンモニウム、鶏糞などの有機、無機の窒素肥料を主体に、カルシウム源としての炭酸カルシウムや石膏、リン酸や微量元素を補強するための専用添加剤などを加えてやる。
そのまま、あるいは水煮にして缶詰として流通している。香りは薄いが味がよく、西洋料理によく用いられる。バター炒めにしたり、スパゲッティミートソース、グラタン、オムレツなどにされる。