ポエニ戦争(ポエニせんそう)とはローマとカルタゴとの間で、地中海世界の覇権を賭けて争われた一連の戦争を指す。ポエニとは、ラテン語でフェニキア人(カルタゴはフェニキア人の建てた国)を意味する言葉。紀元前246年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年のカルタゴ滅亡まで3度にわたる戦争が繰り広げられた。
西半分をカルタゴ領が押さえ、東半分がギリシア人勢力のシラクサ・メッシーナ領に属していたシチリア島において、メッシーナを抑えていた傭兵隊のマメルス隊に対して、シラクサのヒエロンがカルタゴと結んで討伐にかかり、メッシーナがローマに救援を求めたのがポエニ戦争の直接の原因である。
同盟関係にあったローマは援軍を派遣。シラクサはローマに撃破され、同盟国となるが、危機感を覚えたカルタゴは4万の軍勢をシチリアへ送る。カルタゴはアグリジェント、ハミルカル・バルカ将軍を前線にローマと戦うが、ローマは3万の軍を派遣し、アグリジェントは陥落。アグリジェントを制圧したローマ軍は、25000人もの住民を全て奴隷として売り払う。アグリジェント陥落が、ローマとカルタゴの全面戦争へと繋がる。
陸戦では諸都市を攻略していたローマだが、海軍を持たないローマはカルタゴの補給線を絶つ事が出来なかった。ローマはギリシア移民の多い同盟諸国から軍船を供出してもらい、更に「カラス」とよばれる桟橋を用いて敵の船に乗り込む戦術によって海戦を歩兵同士の戦いに変え、カルタゴ海軍を撃破する。
カルタゴ軍を撃破したローマ軍は、アフリカへ上陸し、都市カルタゴの近く、チュニスで冬営。カルタゴ側は和平を提示するが、交渉は決裂し、カルタゴはスパルタ人の傭兵隊長クサンティッポを雇い、ローマに会戦を挑む。ローマ軍は、友軍の到着も待たずに会戦に臨み大敗北を喫する。 執政官アティリウス・レグルスは、アフリカ侵攻を諦めるが、撤退の最中に海難事故に逢い、6万の兵を失う。
ハンニバルはイベリア半島を制圧し、諸部族をまとめて軍隊を養成。5万の兵と37頭の戦象を連れ、アルプス山脈を越えてイタリアへ進軍し、第二次ポエニ戦争を始める。イタリア半島各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年のカンナエの戦いではローマを完敗させたもののすぐにローマ攻略へは向かわなかった。敗北を受けてローマはファビウス・マクシムス・クンクタトルの「持久戦法」を採用し、マルクス・クラウディウス・マルケッルスはハンニバル軍に対して会戦は避けながら果敢に戦闘を仕掛けハンニバルを悩ませ、以後ローマへ進軍は許さず、イタリア半島では一進一退の膠着状態が続く。
カルタゴ本国はこの戦争に対して、はじめは日和見の立場を取り、ハンニバルは本国との連携や補給をうまく取ることができなかった。その間に、大スキピオにハンニバルの本拠地であるスペインを攻略されてしまう。勢いに乗ったローマ軍は、北アフリカへ逆侵攻し、カルタゴ本国での敗戦に狼狽した政府によってハンニバルは本国に召還されてしまう。その後ハンニバルは大スキピオにザマの戦い(紀元前202年)で破れ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わる。
戦争中ローマを裏切りハンニバル側についたシチリア島のシラクサでは防衛にアルキメデスも参加しており、彼の発明した兵器はマルケッルスらローマ軍を苦しめた。シラクサ陥落に際してはマルケッルスはアルキメデスは殺すなとの命令を出していたが、彼とは知らなかった配下の兵によって殺されている。アルキメデスは殺される直前まで地面の上に図形を描いて計算をしていたが、1人のローマ兵がこれを踏むと、「わしの図形を踏むな」と叫び、その兵士に殺されてしまった。このとき彼は円周率の計算をしている最中だったといわれる。
またイタリア半島に攻め込まれ、ローマ存亡の危機にまで陥った第二次ポエニ戦争は、危機の中で元老院の指揮権を拡大させ、共和制末期の共和主義者達が理想視したような元老院主導体制が作られていった。また新たにヒスパニアをも属州に加え、ローマは西地中海の覇者として確固たる地位を得ることとなった。
第三次ポエニ戦争はこうした強大になったローマの力を地中海世界に改めて示し、地中海を徐々に「われらの海」としていった。こうした一連の戦争はシチリア、コルシカ、サルディーニャ、ヒスパニア、アフリカ(カルタゴ)をローマの属州とする一方でローマ軍の主力であった中小の自作農を没落させ、軍団の弱体化を招いた。また裕福なプレブス層は新たに獲得した利権を利用しさらに富を蓄え、従来のパトリキに合流してノビレスと呼ばれる新貴族層を形成していった。このような貧富の格差の拡大はローマに重大な社会不安の種として以降の歴史に大きな影響を与えることになった。
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