アコード(ACCORD)は、本田技研工業が生産する中型乗用車である。 1985年にレジェンドが発売されるまでは同社のフラッグシップ車であった。現在はセダン(7代目)とステーションワゴンのアコードワゴン(ACCORD WAGON、4代目)がある。
より小さなシビックと同様、アコードはエンジン横置の前輪駆動レイアウトを採用している。更に、このクラスの車種で初代から存在しているのはアコードのみである。
ボディは4ドアで、スタイルはシビックに採用されたハッチゲートを持たず独立したトランクを設けた台形デザインを採用。特に、丸型4灯を持つフロントマスクの表情や、リアピラーを強く傾斜させたシルエットなど、後にこの計画の中止後に開発する初代アコードとの近似性が感じられるものだった。そのエクステリア・デザインを担当したのは、本田技術研究所の専務取締役を勤め、初代シビックをはじめ、後に初代アコードや、初代、2代目のプレリュード、ワンダー・シビック/初代CR-Xのエクステリア・デザインを手がける岩倉信弥(多摩美術大学教授、2004年8月現在)であった。
インテリア・デザインは、初代シビックを始め、初代アコードのインテリア・デザインをも手がけた元ホンダR&Dのエグゼティブチーフエンジニアの大塚紀元である。エンジンは、この頃コスワース移籍を模索し、最終的には残留することを決めた川本信彦が手がけ、一説によると、全長は当時のプリンスG型6気筒よりも12センチもコンパクトで、振動もバランサーシャフトが存在しないなか、ブロックの剛性配分で乗り切り、小型、軽量、静粛を実現していたという。そのような先進的なコンポーネンツの新しさもさることながら、最上級車ゆえに装備面でも当時の最先端技術を採用し、エアコン、パワーステアリング、カットパイルのカーペットの他、現在では当たり前となっているダッシュボードパネルの一体成型技術をものにしていた。
しかし、最終生産試作車を作り終え、金型発注が始まった段階で突如、本社役員会で開発中止の決定が下る。主な理由は、販売網にあった。シビックが大ヒットしていたとはいえ、本格的な販売網を整備していない状況のなかで、高級車を販売するにはあまりにもリスクが大きすぎた。代わりにホンダは、シビックよりもわずかうえの上級車を計画。それによって生まれたクルマが初代アコードとして日の目をみることとなる。ちなみにアコード計画には、653の開発に関わっていたスタッフがほぼ加わり、653で得たノウハウを惜しみなく投入された。
1976年5月7日に1600ccエンジンを搭載した中型の3ドアハッチバック車として、当時のシビックを拡大したようなスタイルで登場した。現在のアコードのような4ドアセダン型のモデルは、1977年10月に発売された。開発当時のホンダには、シビックから上級クラスの車に買い替えるユーザーの受け皿となる車が存在していなかったことが、開発の理由と言われている。
初期モデルは好燃費・低公害車を主眼に設計され、アメリカ及び日本では、排出ガス基準クリアのCVCC(低公害エンジン技術)を搭載。1978年には、より環境性能を高めたCVCC-IIに進化し、排気量も1800ccにスープアップされた。また、最上級グレード専用ではあったものの、当時の国産車では珍しかった車速感応型パワーステアリング、エアコンを採用していた。その後も改良の手は休められることはなく、CVCCなしの1800ccモデルに加え、モデル末期には初期型以来の1600ccモデルが復活した。
姉妹車ビガー発売。日本車初となる4輪アンチロックブレーキを搭載(当時のホンダではALBという略称であった)。また、オプションでリアの沈み込みを抑えるオートレベリングサスペンションを装着できた。また、かつてこのモデルのハッチバックは極楽とんぼの加藤浩次の愛車であった。
1985年6月4日、セダンをフルモデルチェンジ。リトラクタブルヘッドライト採用。搭載エンジンは、新開発のDOHCのB18A型1800ccとB20A型2000cc。SOHC型はキャブレター仕様のみでA18A型1800ccとA20A型2000cc。姉妹車はビガー。
1985年7月、ハッチバックをフルモデルチェンジ。エアロデッキとサブネームが付けられた。また海外では、エアロデッキとは異なった一般的な3ドアハッチバック仕様も用意されていた。
1989年9月13日、フルモデルチェンジ。1990年代をリードする意味が込められ、「90's ACCORD」というキャッチコピーがつけられる。この代は折からのバブル期に対応するために、本家アコードを中心とするワイドバリエーションが敷かれる。
ボディのラインナップは、初代から続いていたハッチバックがカタログから落ち、当初はセダンのみからスタートした。スタイルは、ごくオーソドックスな3ボックスセダンだが、4ライトボディのアコードに対し、アスコットにはは6ライトボディが採用されるなど、それぞれの独自性がみられる。また、5気筒モデルは“FFミッドシップ”と呼ばれるレイアウトにより生まれた、オーバーハングが極端に短いフロントとロングホイールベースを持つ独特なプロポーションのハードトップボディが特徴。
目新しい機構は特にないが、もともと静かだった静粛性はさらに向上し、亜鉛メッキが施されたボディは、さらにクオリティがアップした。また、当時の流行っていたメカニズムであった4WS装着車が設定されている。ただし、5気筒モデルにはメカニズム面の問題(FFミッドシップ)から、搭載は見送られた。また、アコードとアコード・インスパイアには当時まだ珍しかった、スタンレー電気との共同開発によるマルチリフレクター式ヘッドライトが採用され、従来のヘッドライトよりも省電力のうえ、明るい光力を備えていた。
エンジンは新開発のF型に変更。1800ccは先代に設定されていたツインカムモデルは姿を消し、シングルカムと電子制御キャブレターとの組み合わせのみが1本、2000ccはツインカムとシングルカムにキャブレターと電子制御インジェクションシステムのPGM-FIを組み合わせたものが3本、そして、アメリカ仕様のワゴンとセダン用のF22A型2200ccが1本、さらにビガー/インスパイア用の2000cc5気筒が1本、計6本となった。後に5気筒モデルにはマイナーチェンジにより投入された2500と5馬力アップした改良型の2000が追加され、エンジンラインナップは計8本となった。
ミッションは、ホンダ車の特徴的な7ポジションの4段ATと5段MTの2種。うちMTは、1800と2000のツインカム、さらに5気筒モデルの中下級モデルに採用された。また、ATもスポーティな走りを実現できるよう、上級モデルには“sモード”なるものが装備されていた。
エンジンは、ロングストロークながらよく回り、軽快な音を奏でながら気持ちよく回りきるフィーリングは実にホンダらしかった。ただ、先代よりもサイズアップしたボディでは若干パワー不足な感は否めず、特に1800はMTで小まめにシフトする乗り方が一番あっていた。また、初めて投入した5気筒は、比類のないスムーズネスとパワー、そしてトップエンドまで気持ちよく回りきるフィーリングを持ち、そして、それは、当時のトヨタ自動車や日産自動車のストレート6を凌駕するとさえ評される。
ただ、5気筒モデルは、フロントの荷重変化を抑えられる名目で採用した“FFミッドシップ”と呼ばれるエンジンを縦置きレイアウトを採っていたため、コンベンショナルな前輪駆動車に比べ、ハンドルの切れ角は稼げ、ターニングサークルを少なく出来る利点はあるもののそれ以外に目立ったメリットはなく、フロントへの荷重がかかりにくい構造ゆえトラクションがかかりにくい難点を持っていた。そこで、ホンダはトラクション・コントロールで対処したが、これもそのネガを完全に打ち消せたとは言えず、以後このレイアウトを採るホンダのクルマは、次のUA型や3代目レジェンドを最後に姿を消した。このクルマの特徴であるロングホイールベースは、このレイアウトのため、縦置きエンジン+ギアボックスが室内にはみ出してしまうことで生まれたものであった。故に、後席の居住性に何の寄与もなく、スペースは当時のマークIIやスカイラインなどの後輪駆動車と比べて、ごく平均的なものであった。
4気筒モデルの登場から2ヶ月後の11月には2000cc5気筒エンジンを搭載する“FR風FF車”であるビガー(VIGOR)/アコード・インスパイアが、またアメリカのHAMにて生産されるクーペ(1990年4月)とワゴン(1991年4月)、さらにイギリスで生産されるEUアコードの日本版であるアスコット・イノーバ(1992年3月)がたて続けに投入され、アコードファミリーのラインナップは完成する。また、1991年には本家のアコード/アスコットと5気筒モデルがマイナーチェンジを受け、前後のフェイスリフトと並びに、グレード体系と装備が見直された。これよって、5気筒モデルには改良されたエンジンマウントとパワーアップされた新エンジンを搭載した3ナンバーボディ(CC2/3型)のインスパイア/ビガーが投入され、同時に5ナンバーのアコード・インスパイアはIグレードに整理される。また、CD型移行期の1993年には、アメリカのHAM生産のセダン、“スペシャル・エディション”が2000台限定で発売される。
姉妹車のインスパイア/ビガーが、当時の3ナンバー税制の改正を機に投入されたワイドボディでさらなる人気を得ていたのとは対照的に、本家のアコードの販売はパッとせず、たてつづけに投入し軒並み不遇を囲っていたセダン群とRV参入の遅れによって、もともと芳しくなかったホンダの国内市場の足をさらに引っ張る結果となってしまう。このことから、ホンダは次期モデルのCD型には、もっとも人気のあるアメリカ市場をさらに意識したモデルとして開発することが決定。5ナンバーボディのアコードは6代目のCFアコードまで一時途絶えることとなる。また、この頃のセダンの拡販路線の惨敗の状況は、当時、隆盛を誇っていたRV市場への参入に大きく近づくこととなり、そして、それは、現在のホンダのミニバン路線の礎となるオデッセイが誕生するきっかけにもなっていった。
全体的に地味なイメージしか残らなかった4代目アコードだが、この代はイノーバが、1995年からホンダUKによりイギリス・ツーリングカー選手権への参戦を果たしている。ボルボやルノー、ヴォクソールなどの強豪がうごめくなか、序盤は低迷したものの、熟成が進むにつれ次第に上位に食い込むような活躍をみせるようになり、JTCCアコードのVTECエンジンを得た1997年には待望の初優勝を飾っている。ちなみに、日本のイノーバがHTを採用していたのに対し、ヨーロッパ仕様はサッシュドアを採用したごくオーソドックスなセダンであったというのはあまり知られていない。ちなみにローバー600はヨーロッパ仕様をベースにしていた。
1993年9月2日、セダンをフルモデルチェンジ。この代はアメリカのマーケットを強く意識した設計がなされ、全車3ナンバーボディとなった(全幅1760mm)。ただ、あまりのアメリカ志向のために国内での売れ行きを心配したホンダは、このモデルの保護として、5ナンバーのアスコット/ラファーガをデビューさせたが、すべて不評となった。ボディは当初、3ボックスのセダンからスタート。翌年には、アメリカ生まれのクーペとワゴンが追加される。
エンジンは1800cc、2000ccは基本的に先代同様。しかし、主力モデルは2200ccに移行され、ノーマルグレードのF22B型、スポーツグレードはH22A型2200cc・190psが搭載され、ともにVTEC化が施される。また、アメリカ仕様には、初代レジェンド用の2700V6に改良を施したエンジンを載せたモデルも用意された。
なお、欧州では前述のイノーバベースのセダンが引き続き販売された。
このモデルから世界共通フレキシブルプラットフォームを採用し、地域別に違うボディサイズで生産されるようになった。先代のアコードはメインターゲットの北米市場を意識し、衝突安全性能向上の為等で大型化されたのが日本市場では不評だった為、日本仕様は5ナンバーのボディサイズに縮小された。途中で「ユーロR」のグレードが追加される。
その4気筒モデルは、カリフォルニアのULEV基準を満たす世界で最初の市販車である。
変速機はユーロRに6MT、その他のグレードにはSマチック付の5ATが搭載される。また、最近のホンダ車に見られる「鋭い目」はアコードから始まった。なお、安全対策としてドアミラーウインカーが標準装備されている。オプション設定だが、IHCC(インテリジェントハイウェイクルーズコントロール)やLKAS(レーンキープアシストシステム)が装備できる。CMソングは「カルメン」のアレンジ版。
欧州モデルには2200ccのコモンレール式ディーゼルターボが搭載される(※日本での販売予定は無い)。
なお日欧版アコードは、北米ではホンダの高級車ブランド「アキュラ」において、「アキュラ・TSX」として発売されている。
2005年秋にフェイスリフトが行われ、リアデザインが大幅に変更された。同年11月には日本仕様のインスパイアもこれに追随して大幅変更されている。
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