フリードリヒ・マイネッケ(Friedrich Meinecke,1862年10月30日 - 1954年2月6日)は20世紀前半のドイツを代表する歴史学者。 第二次世界大戦後は最も伝統的な歴史学者として晩年に至るまでドイツ史学界に君臨していた。
プロイセンのザルツウェーデル出身。ベルリン大学とボン大学で学び、当初は文学を志していたが歴史学に転向した。当時のベルリン大学ではランケに代表されるプロイセン学派が主流であった。卒業後は1887年から国家文書館で働き、この間ディルタイの著作に重要な影響を受けたとされる。1901年にシュトラスブルク大学教授になった。マイネッケは1893年からドイツ史学界の権威的な雑誌『Historische Zeitschrift(史学雑誌)』の編集をし、ナチスの圧迫によって1935年に辞任するまで続けた。また「国立歴史委員会(the Historische Reichskommission)」の会長を務めた。この委員会は1928年に設置されたが、やはりナチスの圧迫で1935年に廃止された。
マイネッケは18、19世紀ドイツの知性や文化の歴史的背景を論じた。1907年に出版された『Weltbürgertum und Nationalstaat』(邦題『世界市民主義と国民国家』)のなかで、一見普遍的に見える世界市民的思想が民族的、国家的関心と深い関わりをもっていることを明らかにした。代表作『Die Idee der Staatsräson』(邦題『近代史における国家理性の理念』)をはじめとして、彼の関心は近代的な国家理性(今日的に言えば「国益」)と個人の道徳意識との乖離に向けられている。
マイネッケは政治的にはヴァイマル体制支持派で、1930年に組閣した超然内閣のブリューニングは彼の生徒であった。また1932年の大統領選挙ではヒンデンブルクを支持した。カール・シュミットは『ヴァイマール・ジュネーヴ・ヴェルサイユとの対決』において、自身が批判する現状のヨーロッパ公法の御用思想家としてマイネッケを批判している。またヘーゲルに批判的であったことから、国粋主義的なヘーゲル思想復興の風潮が著しかった当時の思想界からは理解されなかった。
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