やがてカルマル同盟(1397年)が成立するとスウェーデン人からの圧力は減ったが、デンマーク人による重税にフィンランド人は苦しむことになる。
フィンランド人はスウェーデン人と共にプロテスタントに改宗したが、17世紀後半から18世紀前半にかけてフィンランド人は、相次ぐ凶作と悪疫、スウェーデン人による失政及び長き戦争のために大打撃を受ける。いわゆる「大いなる神の怒りの時代」である。棍棒戦争と呼ばれる農民一揆による内乱も起き、破滅的な打撃を受ける。しかし18世紀初頭の大北方戦争によりスウェーデン人がロシア人に屈服すると、再びロシア人の勢力がフィンランド人にまとわり着き出す事になる。18世紀後半には、ロシア人の協力を得て、フィンランド人の独立を画策する、アニアーラ事件が起きる。しかし現代のフィンランドの歴史家は、これをロシア帝国の策略とする、愚かな犯罪的反乱予備罪だったと決定付けている。しかしこれはフィンランド人のナショナリズムの現われの一端ではあった。フィンランド人はその歴史上地理的に緩衝地帯としての役割を宿命付けられて来た。中世の初頭から冷戦終結後までフィンランド人は、スウェーデン人(西方教会、パン=ゲルマン主義、資本主義)とロシア(東方正教会、汎スラブ主義、共産主義)との間の緩衝国であり、東西交流の窓口であった。
この時代にはフィンランド人とロシア人の政治的緊張は目に見えて高まったが、経済的にはロシア帝国を輸出先としてフィンランド人は経済成長を遂げた。特に西側の最新技術を元に工業化を推進し、ロシア帝国に輸出する東西貿易の窓口として国力を充実させた。このときの発展が後の独立のための基盤になったことは歴史の皮肉であろう。
第二次世界大戦では、独ソ不可侵条約を締結したロシア人(ソビエト連邦)と2度に渡って戦い、その結果、カレリア地峡を失い、多額の賠償金を負った(ソ芬戦争。第1次は冬戦争、第2次は継続戦争と呼ばれる)。この時フィンランド人は、スウェーデン人に助力を求めたが、中立主義をとられ、止む無くドイツ第三帝国に接近した。この事がフィンランド人をしてパンドラの箱となった。第二次世界大戦でのドイツ人の敗北と同じくしてフィンランド人も敗戦国となり、ロシア人から戦争犯罪に問われる事になった。
その後冷戦の終わりと共に囚われの鎖から解き放たれたが、既にロシア人は最大の貿易相手国であり経済的なパートナーとしてなくてはならない存在であった。それゆえソビエト連邦崩壊後、政治的な自由とは裏腹に経済的な苦境に見舞われた。GDPは約4割も減少し、財政赤字を増大させたのである。そのため経済的な便益を求めて1995年にスウェーデン人と共に欧州連合に加盟した。情報通信産業に活路を見出し国家を挙げてIT革命に邁進し、21世紀初頭の現在、再び世界のトップグループに返り咲こうとしている。
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