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バブル景気(ばぶるけいき)とは日本経済史上で1980年代後半~1990年代初頭にかけてみられた好景気である。指標の取りかたにもよるが、概ね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月間を指すのが通説となっている。この場合、いざなぎ景気(1965年11月~1970年7月の4年9か月間が通説)に次ぐ戦後2番目の好況期間となる。

過剰な投機熱によるバブル経済によって支えられ、バブルの崩壊とともに急激に後退。同時に1973年より始まった安定成長期も終焉を迎え、その後の平成不況(複合不況、失われた10年)の引き金となった。

なお、平成景気はバブル景気とほぼ同義だが、平成景気にはその後の平成不況も含む場合がある。

経緯


要因

バブル景気の引き金になったのは1985年プラザ合意とされている。当時、ドル高による貿易赤字に悩む米国G5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。これにより急激な円高が進行。1ドル240前後だった為替相場が1年後に1ドル120円台まで急伸した。これにより、
  1. 米国債などのドル建て資産含み損が発生し、資金が為替リスクのない日本国内へ向かった。
  2. 円高による打撃を受けた輸出業界を救済するため金融緩和が実施され過剰な流動性が発生した。

また、それまでの素地として以下の要因があるとされている

  1. 1970年代後半から優良製造業向けの融資案件が伸び悩んでいたため、銀行が不動産業や小売業、住宅への融資へ傾斜していた。
  2. 1980年代に入ってからの世界的なディスインフレーションの中で株式は上昇しやすい状況になっていた。

展開

これらの要因が重なって日本国内では投機熱が加熱、特に土地への投機が盛んになった。なかでも、土地は必ず値上がりするという土地神話に支えられて転売目的の売買が増加し地価は高騰。東京23区の地価でアメリカ全土が購入できるといわれるほどとなり、銀行はその土地を担保にして貸し付けを拡大した。また、地価高騰は地権者に含み益をもたらし、心理的に財布のヒモをゆるめる資産効果によって景気の過熱感を高める効果もあった。

1987年に入ると経済全体に波及し、土地に対する需要が高い限り決してこの景気は終わらないという楽観論が蔓延し、株は今後値下がりしないから買えという投資の勧めや、「岩戸景気」「神武景気」に続く現在の景気の呼び名を公募するような記事が雑誌をにぎわしていた。しかし一部からは、すでに土地価格は実際の需要に基づいた価格(ファンダメンタル)を超えて暴騰しており、日本経済はいつ破裂してもおかしくないバブル経済に突入していると危惧する声もあった。

もともと、土地の値段が上昇した場合はその上で操業している工場やビルの収益率が低下するため、土地を売却し債券などを購入することが合理的になり、土地の需要は低下。価格はやがて均衡するはずである。しかし、日本においては土地資産などの計上が簿価で行われていたため、名目的に収益率は変わらない上、簿価と時価の差額が含み益をもたらし経営制度を陰より正当化させることになった。この中で、日本企業は収益率を高めるのではなく総資産を増加させることを第一義的な目標とするようになった。

社会現象

大都市周辺の土地取得のため、大手不動産会社の身代わりとして強引な手口の地上げを行った地上げ屋(主に暴力団員)が社会問題となった。さらに、収益の見込めない遠隔地の土地もリゾート開発を名目に破格の値段で取引された。こうして得た土地を担保に得た巨額の融資や、将来地価が上昇することで得るだろうと見込まれるキャピタル・ゲイン(値上がり益)は膨張し、それらを元手に株、債権、ゴルフ会員権や、ロックフェラー・センターなどの世界中の不動産や、サザビーなどが開催したオークションによるゴッホルノアールなどの絵画や骨董品、フェラーリなどの高級車、海外リゾート、海外企業などに対する「ジャパンマネー」による買い漁りも目立つようになった。

また、NTT株の公開に伴う一般投資家による投資や、上記のフェラーリやロールスロイスなどの高級輸入車トヨタ・ソアラ日産・シーマなどの国産高級車への人気集中、海外不動産への投資など、企業や富裕層のみならず、一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが勃発した。当時のゴルフ場のテレビCMでは、今なら「○○自動車道○○インターから車で○分」などとするところを「東京ヘリポートから○○分」などと案内をするほどであった。

この様な熱狂の中、1987年の中嶋悟フォーミュラ1への参戦を機に巻き起こったモータースポーツブームにより、多くの日本企業がF1チームの買収やチームのスポンサーに名乗りを上げた。

そのとき、世界は

ソ連は、アフガニスタン侵攻とアメリカとの軍拡競争に敗れた上、東欧衛星諸国の離反が重なり崩壊の瀬戸際にあった。ヨーロッパは、深刻な高失業と東欧民主化による混乱に見舞われていた。

アメリカは、このころ1980年代半ばのユーフォリアを経て迷走気味になりつつあった。住宅金融に破綻の兆しが出て、信用問題に発展しつつあった。また、経常収支が均衡に向かう中で国内経済は低迷し、失業増大や記録的財政赤字につながりつつあった。

中華人民共和国は、民主化に関連する諸問題から第一次改革開放ブームが終了しつつあり、1989年には天安門事件が発生し、民主化の道は一時的に閉ざされることとなった。

この世界情勢の中で、政治的に安定している上に空前の好景気で非常に大きな投資力を持つことになった日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の呼び声とともに世界一の経済大国とされるまでになった。

太平洋戦争で焼け野原となってからわずか40年あまりのことである。

問題

資産の生む収益ではなく、値上がり益により利益を得ようとする手法は、資産価格が上昇するほど困難になる。資産価格がやがて高い水準で均衡すれば、最終的な資産保有者が値上がり益を得られないだけで済む。しかし、資産価格が上昇前の水準に戻ることになると、それまで皆が得た値上がり益と同額の値下がり損を資産保有者が被ることになる。このように、維持不可能な資産価格上昇は次第に「ババ抜き」の状態になり、ますます持続可能性を喪失する。

また、地価上昇は、日本のような戸建主義的な都市構造において、深刻な住宅取得可能性低下をもたらした。大都市に居住する一般的な労働者は、都心に住むことはおろか近郊にすら住めない状況になりつつあった。この状況は、一刻も早く住宅を取得するべきだという行動につながり、地価上昇に拍車をかけた。

この地価と住宅問題が、当時の日本政府において懸念事項であり、後の地価抑制政策につながり、信用構造を圧迫することになった。

後退


その絶頂期の1989年(平成元年)ごろには投資が活発となり、空前の景気は「平成景気」と呼ばれるほど好調となったが、実体経済の成長では説明できないほどの資産価格上昇を伴う、いわゆるバブル経済であったため、やがて縮小することとなる。

すなわち、投機意欲が保たれなくなると株や土地などの資産は下落し、一転して大きなキャピタル・ロス(含み損)をもたらし、含み益を計算に入れて過大な投資をしていた企業や投機家を借金のどん底に突き落とすこととなる。当時の日本は資産価格上昇により、土地や株式などの収益率(値上がり益を除く)が著しく低下していたため、金融緩和の終了で持続可能性を喪失した。

バブル崩壊という現象は景気循環の面に加えて、政策の錯誤がいくつか絡んでいる。1990年3月大蔵省から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)による人為的な急ブレーキが自然な景気後退を加速させ、ついには日本の経済の根幹を支えてきた長期信用全体を崩壊させてしまった。また、日銀による金融引き締めは完全に後手に回った上に、崩壊のさなかにおいても続けられ、資産経済を破滅させた。

日経平均株価1989年の大納会(12月29日)に最高値38,915円87銭を付けたのをピークに下落に転じ、地価も1991年頃から下落に転じ、バブルは崩壊した。それまでの熱狂的な景気は異常な投機熱、すなわちバブルであったことが明らかになり、ふり返って「バブル景気」と呼ばれるようになった。

バブル経済時代に土地を担保に融資された債権は、地価の下落によって担保が融資額を下回る事態になった。また、各事業会社の収益は未曾有の不景気で大きく低下した。こうして銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は銀行の経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。

バブル景気を象徴する企業、事件


企業

事件

人物

その他

関連項目


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